フェイクニュースを信じてしまう人

最近トランプ大統領が口にしてから、フェイクニュースと言う言葉を耳にする機会が増え、フェイクニュースを信じてしまう人の話題もよく耳にする。

しかし、フェイクニュースは昨日今日始まった事ではない。

少なくとも、私がネットを始めた平成10年にはすでに存在していた。

その代表格が集団ストーカーを信じる人達が作ったサイトだ。

そして、それを信じてしまう人も長年見続けて来た。

そうした人の特徴は「調べる=検索」の人達だ。

ネットで検索して出た情報が正しいとは限らないのだが、検索で出て来た情報を精査もせずに信じてしまう。

また、情報の信憑性を得ようと情報ソースを求める場合も、そのソースの信憑性は不明だ。

それはネットでなくても同じだ。

テレビでも同じ事が起きる。

その代表が盗聴の特集である。

盗聴や盗撮を疑う人は、そうしたテレビの情報を何の疑いも無く信じてしまっている。

故に、盗聴や盗撮ありきで思考が推移してしまう。

私のブログのアメンバー限定記事だが、ジックリみればテレビのフェイクが分かるだろう。

アメンバーでなければ、公開版を参照

もし、誰もこのフェイクを見破れない状況で、この番組が情報ソースになっていれば誰もが疑わずに信じてしまうだろう。

それが調べると言う事の限界である。

 

そこに欠けているのは「確認」であるのだが、調べる人は調べる事を確認と思い込んでいる人が多い。

しかし、調べる事は確認ではなく認識しているに過ぎない。

確認は自ら試し、経験して初めて確認したと言える。

しかし、先入観を持った確認は意味を成さない。

シャーロック・ホームズの言葉にこんな物がある。

「人は事実に合う理論的な説明を求めようとしないで、理論的な説明に合うように事実の方を知らず知らず曲げがちになる。」

先入観を持った確認は、得てして先入観に合わせて事実を曲げてしまう。

 

情報社会は調べれば簡単に情報が手に入るのだが、同一経験や類似経験が無ければ情報の真偽を判断する事が出来ず、情報に翻弄される事になる。

情報社会で情報に翻弄されない為には、より多くの経験を積む必要があるのだが、世の流れは逆だ。

検索すれば出て来る情報をワザワザ検証しようとはせず、より多くの情報だけを求めてしまう。

情報を確認する事無く情報の真偽の判断も出来ないのに情報を集めていれば、世界観が現実と乖離し始める。

それは、妄想を現実と思い込んでいるのと変わらない。

その代表的な物が、通販などの評価だ。

商品に付けられた評価は、他人の評価であって自分の評価ではない。

また、販促目的で出品者自ら高評価を与えていたりもする。

その評価を信じてしまえば、粗悪品を買う破目になったり、良品を敬遠する事になってしまう。

大切な事は、自分が使ってどう思うかであり、その積み重ねが経験の積み重ねとなり、良品と粗悪品を見分ける目が養われる。

情報収集だけで経験が伴わなければ、良し悪しを見分ける目が養われる事はないと言う事だ。

 

 

 

 

 

 

 

幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い

yahoo知恵ノートから移設

yahoo知恵ノートの終了に伴い知恵ノートより移設。

 

 幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い

この知恵袋で幻聴系や被害妄想的な質問をする人に対して、直ぐに統合失調症を持ち出す人を見かける。
しかし、幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い。
質問者に「それは統合失調症」と返信すれば、質問者を追い込む事になり兼ねないので、著書として出してはいるが、私が調べてきた事を「知恵ノート」にも記して置こうと思う。

 

 幻聴と言っても様々

まず幻聴系だが、幻聴と一言で言っても色々なケースが存在する。
大分類として、「音系」と「声系」に分類される。

 

「音系」は声ではなく「音」が聞えるタイプだ。
その音を不快に思っていたり、嫌がらせのように感じている人も多い。
また、自分の室内の行動に合わせて音が移動して聞えるので、「盗聴器などで居場所を知られて嫌がらせをしている」と思い込んでいる人も少なくない。
聞える音を不快に思っている人は「生活騒音」と言い、嫌がらせと感じている人は「仄めかし」と言ったりする。

 

「声系」は声が聞こえるタイプで、主に自分の行動を指摘する声や、自分の噂や悪口など、自分を否定するような声が聞こえる人が多い。

 

 幻聴の実体

「音系」と「声系」、この両者とも共通した特徴がある。
まず音系だが、第三者立会いで計測しようとすると、その音は聞えない場合が殆どである。
また、音が聞こえた場合でも、第三者には騒音と言える程の音には聞えない。

 

そこで、本人に機材を渡して測定すると「40db」もありましたと言う報告が来る事がある。
その数値は、騒音など存在して無い事を示す数値である。

 

「40db」と言えば、深夜の市内、図書館、昼の住宅の音レベルで、かなり静かな状態を示す数値だ。

 

では何故40dbが騒音に聞えるのか?
実は、彼等に聞えているのは騒音ではない。
最も多いのが「感覚過敏(聴覚過敏)」で、小さな音が大きな音に聞えている。
また、感音性難聴やメニエール病などのストレス性の難聴の人は、換気扇等のモーターの様な耳障りな低音が聞えているのだが、それは低音性の耳鳴りであり、その耳鳴りを騒音だと思いこんでいる人が多い。

 

また、時折寝ようとすると、ドアを強く閉めたり、ドンドンと足音を鳴らしたりする嫌がらせをされると言う人もいるが、それは「脳内爆発音症候群」によって聞えている場合が多い。

 

それら全てに共通する原因が「ストレス」である。

 

また、これは実際にそのお宅へ出向かなければ分からないが、こうした事が原因で騒音を訴える人は例外無く何らかの形で孤立化している。
社会的孤立、家庭内孤立、精神的孤立、対人的孤立などなど。
そして、コミュニケーションに苦手意識を持っている。

 

声系の人はその進化版と考えれば分かり易いだろう。
声系は、聞こえている音に「補完機能」が働いて音が声に聞こえたり、聞き取れない音量の音や会話の内容を勝手に脳が補完して聞こえている。

 

この補完機能は誰もが備えている能力で、病気の症状では無い。
それは「録音の解析」をする事で明らかにしている。

 

例えば「あ、また食べてる」と言う声が録音されているとして送られたファイルには、ボリュームを最大にしても聞き取れない程の音が録音されていた。
その音が入っている部分だけをカットし、音量を増幅するソフトで何倍にも増幅して聞くと「あ」の部分は電子音の「ピ」と言う音が録音されており、「また食べている」と言う部分は、工事現場の音に混じって「何で壊すの」と言う声が確認された。

 

別の代表的な例では「犯人が語りかけてくる声が録音されています」と言う録音ファイルを相談者が持ち込んで来た。

 

その録音ファイルを音声スペクトラムアナライザーで音を視覚化して分析すると、相談者の声以外には雨音と時計の音しか録音されておらず、私には本人が一人で話しているようにしか聞こえない。
しかし、一緒に聞いていた相談者には相手の声が聞こえると言う。
このケースの面白い所は、それが録音ファイルであると言う事だ。

 

録音ファイルなので、脳内通信だとか電波送信だとかの戯言は通用しない。
録音ファイルからは電波だとかテレパシーなどは間違っても出ない。
しかし、相談者には何度ファイルを再生しても、同じ所で同じ内容が聞こえているので間違いなく音が原因で聞こえている。

 

そう、このファイルには確かに声の原因が録音されていた。
その原因が、雨音と時計の音であり、それらの音を声に補完して聞こえていたのだ。

 

この手の幻聴には、共通した特徴がある。
声が聞こえる時には必ず雑多な音(ノイズ)が存在し、「無音」では幻聴が聞こえない。
そして無音の時は、耳が「ボーン」とした感じになると言う。

 

また、聞こえる声は心的要因で左右され、それが被害妄想と大きく係わっている。

 

こうした補完系の幻聴は難聴系でも起こる。
例えば、有毛細胞系の難聴では部分的に聞えていなかったりしているのだが、通常は補完機能が働いて、聞えない部分を前後の文脈や状況からっ正しく補完されて聞えるので難聴の自覚がない。
しかし、部分的に聞えていない所が心的要因に左右されて補完されてしまうと、自分に対する悪口などに聞えてしまう。
例えば「~らしいね」の「ら」と「い」が聞き取れなければ「しね」に聞える。
また「おかあさん」の「か」が聞えず「ば」に補完すれば「おばあさん」に聞えてしまう。

 

この補完は聴覚に限った事ではなく、視覚でも起きる。
その片鱗を体験出来るのがこの画像だ。

 

リンク先の上にある12個の点は見えるのだが、その点に格子の図形が加わると視点の中心付近の4つの点しか見えなくなってしまう。

 

何故、そうした現象が起きるのか?
人間がハッキリと物が見る事が出来るのは黄斑の周辺で「錐体細胞」が密集している所に映った映像だけで、それが視点だ。

 

その視点以外の所は、12個の点だけの画像の様に、ハッキリと見えている様に感じているが、実は然程ハッキリとは見えていない。
ハッキリと見えていると感じているのは、脳が周囲の状況から推測して補完しているからである。

 

それ故12個の点に格子が掛かると、錐体細胞の領域では点を認識できるが、桿体細胞の領域では認識出来ないので、周囲の情報から格子を補完してしまう為、錐体細胞の領域以外の点は見えなくなってしまう。

 

これが視覚に於ける補完だ。
そして、視覚の補完も聴覚と同様に心的要因に左右されて見え方が変わってしまう。

 

それ故、錯視の多くは周辺視野の領域で起きている場合が殆どである。
そうした補完が被害妄想を生んでしまう。
いや、持っている被害妄想の影響を受けた補完がなされると言った方が正しいだろう。

 

 幻聴と心理状態

その被害妄想だが、被害妄想を抱く人の共通した特徴は「人間不信」「社会性の低さ」があり、社会性の低さは、そのままコミュニケーションの低さでもある。
被害妄想を端的に表す言葉が「疑心暗鬼」である。
その語源は「疑心、暗鬼を生ず」であり、「暗闇と言うだけで疑い、鬼がいるかのように見える」から来ている。

 

被害妄想は、他人を信じずコミュニケーションが取れない為に、他人が分らない。
その分らない他人が暗鬼となり、疑心を生じている状態である。

 

他人が考えている事など、誰にも分かるはずも無い。
しかし、コミュニケーションを重ねる事で他人を理解する事は出来る。
逆に、コミュニケーションを重ねなければ他人を理解する事は出来ない。
そして、相手を信じて自分が心を開かなければ、相手も心を開いて本心を話さず、上辺だけの付き合いしか出来ない。

 

コミュニケーションが苦手で他人を信じられない人は、他人の心を想像するしかない。
人間は無から何かを生み出す事は出来ない。
必ず、ベースとなる物が必要となる。
それが、自分だ。
「自分はこう思うから、相手もこう思うだろう」と言った考えである。

 

しかし、それは他人の思いではなく、自分の思いでしかない。
つまり、他人と言う鏡に自分を反映させているに過ぎず、心を開いたコミュニケーションを積み重ねてこなかった人の考える他人の自分に対する評価は、自分自身の自己評価でしかない。
それが投影である。

 

ここにもう一つの問題が生じる。
自己評価を他人の評価と信じ込む事は、自分の考えなのか他人の考えなのかの区別が付かない状態であり、それが自他境界の曖昧性となる。

 

自他境界の曖昧性は自分と他人の区別が付かなくなっている状態と言えば分かりやすいだろう。
厳密に言えば、自分と自分の中で作られている他人との境界の喪失である。
すると、自分も、自分の中で作られている他人も自分なので、双方の思考に区別が無くなる。

 

それが、声として感じれば「幻聴」となり、頭に直接届くようなら「音声送信」の様に感じられ、自分の考えがダダ漏れのように誰かに伝わっている様に感じれば「思考盗聴」や「サトラレ」と言う言葉になる。
そして行動を知られている、聞かれていると思えてしまうと、盗聴とか盗撮と言った言葉が出て来る。

 

幻聴や被害妄想を個別に分析検証して行くと、それらが統合失調症の症状ではなく、統合失調症を含む精神疾患を引起す「要因」である事が分かって来る。

 

そして、その要因は親が作っている場合が多く、治療以前に親の反省と改善が求められる。

 

こうした事を「被害妄想解体新書」で詳しく書いている。

 

またこの記事を読まれた方は「騒音の無い生活騒音トラブル」もあわせて読まれる事をお奨めする。

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