フェイクニュースを信じてしまう人

最近トランプ大統領が口にしてから、フェイクニュースと言う言葉を耳にする機会が増え、フェイクニュースを信じてしまう人の話題もよく耳にする。

しかし、フェイクニュースは昨日今日始まった事ではない。

少なくとも、私がネットを始めた平成10年にはすでに存在していた。

その代表格が集団ストーカーを信じる人達が作ったサイトだ。

そして、それを信じてしまう人も長年見続けて来た。

そうした人の特徴は「調べる=検索」の人達だ。

ネットで検索して出た情報が正しいとは限らないのだが、検索で出て来た情報を精査もせずに信じてしまう。

また、情報の信憑性を得ようと情報ソースを求める場合も、そのソースの信憑性は不明だ。

それはネットでなくても同じだ。

テレビでも同じ事が起きる。

その代表が盗聴の特集である。

盗聴や盗撮を疑う人は、そうしたテレビの情報を何の疑いも無く信じてしまっている。

故に、盗聴や盗撮ありきで思考が推移してしまう。

私のブログのアメンバー限定記事だが、ジックリみればテレビのフェイクが分かるだろう。

アメンバーでなければ、公開版を参照

もし、誰もこのフェイクを見破れない状況で、この番組が情報ソースになっていれば誰もが疑わずに信じてしまうだろう。

それが調べると言う事の限界である。

 

そこに欠けているのは「確認」であるのだが、調べる人は調べる事を確認と思い込んでいる人が多い。

しかし、調べる事は確認ではなく認識しているに過ぎない。

確認は自ら試し、経験して初めて確認したと言える。

しかし、先入観を持った確認は意味を成さない。

シャーロック・ホームズの言葉にこんな物がある。

「人は事実に合う理論的な説明を求めようとしないで、理論的な説明に合うように事実の方を知らず知らず曲げがちになる。」

先入観を持った確認は、得てして先入観に合わせて事実を曲げてしまう。

 

情報社会は調べれば簡単に情報が手に入るのだが、同一経験や類似経験が無ければ情報の真偽を判断する事が出来ず、情報に翻弄される事になる。

情報社会で情報に翻弄されない為には、より多くの経験を積む必要があるのだが、世の流れは逆だ。

検索すれば出て来る情報をワザワザ検証しようとはせず、より多くの情報だけを求めてしまう。

情報を確認する事無く情報の真偽の判断も出来ないのに情報を集めていれば、世界観が現実と乖離し始める。

それは、妄想を現実と思い込んでいるのと変わらない。

その代表的な物が、通販などの評価だ。

商品に付けられた評価は、他人の評価であって自分の評価ではない。

また、販促目的で出品者自ら高評価を与えていたりもする。

その評価を信じてしまえば、粗悪品を買う破目になったり、良品を敬遠する事になってしまう。

大切な事は、自分が使ってどう思うかであり、その積み重ねが経験の積み重ねとなり、良品と粗悪品を見分ける目が養われる。

情報収集だけで経験が伴わなければ、良し悪しを見分ける目が養われる事はないと言う事だ。

 

 

 

 

 

 

 

うつ病カテに見るうつ病資質

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うつ病資質

うつ病カテを見ていると、面白い傾向が目に付く。

 

症状や不安に思う事の相談に対して、心療内科や精神科の受診を奨める。
また、被害妄想などの相談では、直ぐに統合失調症と決め付けて、カテ違いを指摘する。

 

それは間違いでは無いが、正しくも無い。
そして、そこにこそうつ病の資質が有ると思う。

 

受診して早期に治療を行う事は間違いでは無い。
しかし、医師の所見が全ての様な回答を寄せる人には疑問符が付く。

 

それは、裏を返せば自分の判断を放棄し、判断を他人に委ねると言う事でもあり、自分自身の判断力の欠如とも言えるのだ。

 

また、被害妄想=統合失調症と言う考え方も、画一的思考の表れと言える。

 

そして、カテ違いの指摘は、杓子定規で融通性に欠けている。

 

それらは、うつ病を発症する資質である。

 

そもそも、被害妄想と思えば病気と直結させる思考は被害妄想に向き合っていない。
被害妄想に向き合えば、それが必ずしも病気の症状では無い事が分かるはずだである。

 

被害妄想とは疑心暗鬼になっているだけであって、病気ではない。
その被害妄想を直ぐに病気の症状と思えてしまうのは、文献などに病気の症状として書かれている事を話す代弁者でしかない。

 

つまり、そこに自分の意見は無く、それは自分が無いと言う事でもあり、そこに自我の薄さが垣間見える。

 

 判断力とうつ病

人の判断基準は何から来るのか?
本来なら自分の経験から判断するのだが、自らの経験の無い者は判断出来ない。
経験の無い者が何かを判断する時には、人の意見に耳を傾ける。

 

しかし、人の意見も十人十色で、誰の意見が正しいのかが分からず迷ってしまう。
様々な意見の中から何を選ぶのかを決めるのも、自分で判断しなければならない。

 

ここで大切な事は、何故迷ってしまうのか?と言う所にある。
迷う理由は、失敗や責任の回避である。
失敗したくない、損をしたくないと言う気持ちが迷いを生む。
失敗や損を恐れなければ迷う事は無い。

 

数ある他人の意見の中から、何を選んだら良いかが分からない時の判断材料は、権威性である。
権威のある人の意見だから信用出来る、有名な会社だから信頼出来ると言った具合に、判断の基準を権威に求めようとする。
また、権威性に次ぐ判断材料は数であり、同じ意見の多さを判断材料にする。

 

誰かの意見を聞き入れたのなら、失敗しても意見を言った人の責任にすれば良い。

 

判断材料を、権威性や数に頼ると言う事は自分の判断に自信が無い事の表れであり、自分に対する自信の無さと同義である。

 

それは自己評価の低さであり、それはうつ病の特徴でもある。

 

 経験の必要性

自らの経験による知識の無い者は、判断基準を権威性に求める。
つまり、判断基準を権威性に求める事は、経験不足を意味する。

 

自ら経験して得た知識は、経験の無い者が100人違うと言っても自分を信じられる。
その違いは天と地ほどの開きがあり、それが自信となる。

 

また、多くの失敗をする事で、失敗した時の対処やリカバリなどを身に付けられる。
失敗した時の対処やリカバリを身に付けていれば、失敗する事に然程不安は感じなくなるが、失敗の経験を持たなければ失敗する事に多大な不安を感じる。

 

その不安がストレスとなるので、経験の量とストレスの量は反比例の関係になる。
また、経験の量と自信は比例の関係にある。

 

インターネットが普及した現代では、知らない事でもネットで簡単に調べる事が出来る。
しかしそれは経験の伴わない知識でしかない。
そして、経験が無ければその真偽の判断が出来ないので、鵜呑みに信じてしまう。
それは、経験の無い知識を使う事で、何らかの責任や損益が生じる場合に多大なストレスに襲われる事となる。
しかし、経験の伴わない知識を集めている時には、その事に気付く事は無い。

 

 画一的思考とうつ病

画一的思考は多面的視野の欠如である。
これも、うつ病に多い傾向だ。
一つの視点でしか物事を見られないので、精神的に追い込まれてしまう。
例えば、残り時間が5分しかないと思えば焦りが出るが、5分もあると思えば焦りは出ない。
その焦りがストレスとなる。

 

また、画一的思考は「こうでなければならない」と、何事も枠に嵌った思考になる。
しかし世の中は常に変化している。
画一的思考では、その変化について行けない。
つまり、多様性に欠けるのだ。

 

多様性を持たずに変化に付いて行けなければ取り残される。
それは、孤立感や劣等感を生む。

 

関連知恵ノート

何度鍵を変えても入られる、記憶障害と言う犯人

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不思議な事件

調査などと言う仕事をしていると、奇妙な被害に遭っていると言う人からの依頼が多い。

 

その内容は、留守中に侵入され「お米」を少し持っていかれるとか、醤油が使われていたとか、盗まれた物が戻されていたとか、閉めたはずの鍵が開いていた・・・
中には数百万円が入った通帳と印鑑が盗まれ、お金を引き出された通帳と印鑑が戻されていたなんて話も、珍しい事では無い。

 

そうした被害に対して、防犯カメラの設置を奨めている。
防犯カメラは、屋外ではなく屋内に設置し、自分がいる部屋を24時間常時録画するようにする。

 

 不思議な事件の実態

そうした人達が部屋の中に防犯カメラを設置すると、面白い犯人が映る。
被害と言っている事を自分でやっているのだ。
しかも、その映像を見ても「記憶に無い」と言い、口を揃えた様に出てくる言葉が「狐につままれたようだ」である。

 

その原因が記憶障害である。
この記憶障害を犯行と思っている人は高齢者が多いのだが、若年層にもかなりいる。
記憶がスッポリ無くなっているので、自分がやった事の記憶が無くなっていれば他人がやったとしか思えないので、犯行と言う考えになる。
また、犯行だと思っている人は防犯カメラを屋外に設置するので、カメラに映らずに侵入されると思い込む為、犯人像を膨らましてしまう。

 

 犯人の正体

こうした不思議な事件の犯人は記憶障害である。
高齢者の場合、最も多いのが認知症だ。
自室に防犯カメラを設置する事で、アルツハイマーが発覚して治療に至ったケースも少なくない。
この記憶障害は、高齢者の認知症だけに限ったことでは無い。
次に多いのが中年の女性だ。
その主な原因は更年期障害で、更年期うつ病である。

 

問題は若年層だ。
若年層の記憶障害は、記憶の欠落だけではなく記憶の書き換えと言うか上書きと言うか、自分がやった事を他人にやられたとすり替わっていたりする。

 

こんな事例があった。
最初、カップルで相談を受けた。
最初の相談の時は、物が盗まれると言う話だったので、防犯カメラを設置させた。
その防犯カメラに映っていたのはその女性。
記憶が消えていたのだ。
その防犯カメラには、女性の方が彼氏にDVを行なっている姿も頻繁に映っていた。
その時の映像も確認しているし、相談に来た時には女性も彼氏の態度が気に入らなかったと自分のDVを認めていた。

 

そのカップルが別れてから、女性の主張は変わる。
「DVを受け続けていたので、別れた」
その女性は自分がDVを行なっていたのでは無く「されていた」と主張し始めた。
そして、その証人になって欲しいと言って来た。
見事に記憶がすり替わっていた。
その女性は心療内科に通院しており、その病名は「双極性障害」。

 

若年層の記憶障害の原因は、主にストレスによって起る。
ストレスホルモンであるコルチゾールが分泌され続けると、記憶領域である海馬にダメージを与え、記憶障害が発生する。
同じ要因で起きるのが、ストレスが原因とされる精神疾患であり、鬱病や双極性障害や統合失調症などがある。

 

更年期うつ病も、更年期うつ病から生じる不安が被害妄想を生み、その被害妄想がストレスとなって記憶障害が起きる。
これが更年期うつ病を含めたストレス起因の精神疾患の不安と被害妄想とストレスの基本的な関係なのだが、元々社会性が低いが為に被害妄想や不安感を持ち、その被害妄想がストレスとなっている場合もある。

 

この不安と被害妄想の順序の違いは治療の効果の違いとなって現れる。
不安から被害妄想が生じていれば、投薬治療で不安感を抑えれば自ずと被害妄想も消えるのだが、元々社会性の低さから被害妄想を持ち、不安を感じていた人は、投薬治療で被害妄想は消えない。

 

 記憶障害以外の犯人

記憶障害以外にも犯行の無い犯行が山ほどある。
それらの犯人は無知、妄想、勘違いであり、その実体が分かれば実に馬鹿馬鹿しいのだが、本人は真剣に脅え不安を感じている。

 

特に多いのが無知や勘違いである。
例えば「モズのはやにえ」を知らない人が、呪いの儀式と思い込んでいたり、エアコンの室外機を自分の映像を世界に配信する機械だと思い込んでいたり、テレビの電波を影絵のように考えて、自分の映像が隣の家で見られると思っていたりする。
本人達は真剣に悩み、不安や恐怖に脅えて暮らしているのだが、冷静に見ると漫才の世界である。

 

そんな人達の事例集として「電波な人々」シリーズを書いている。

 

関連知恵ノート

統合失調症と集団ストーカー妄想は別物

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被害妄想は統合失調症の症状では無い

集団ストーカーやガスライティングについての質問に対し、直ぐに統合失調症と決め付ける人が多いのだが、集団ストーカーやガスライティングと統合失調症は別物である。
別物ではあるが、そうした物が実在している訳でも無い。

 

集団ストーカーやガスライティング妄想とは、人間不信や被害妄想を持つ者がインターネットで陥るマインドコントロールであり、集団ストーカーやガスライティング妄想と被害妄想は分けて考える必要がある。

 

うつ病や統合失調症から来る症状は「不安感」であり、その不安感から被害妄想が生まれるのだが、病気でなくても被害妄想は生まれるので、被害妄想は病気の症状とは言えない。
被害妄想の原点に有るのは人間不信である。
その人間不信の原因が、病気から来る不安感であれば投薬治療で不安が治まれば勝手に消えるのだが、愛着形成に問題が有れば投薬治療で不安が治まっても、愛着形成を正さなければ被害妄想は消えない。

 

これが集団ストーカーやガスライティングと言うマインドコントロールに陥っていれば、マインドコントロールを解かなければ、愛着形成を正す事も出来ない。

 

まるで竹の子の皮の様だ。

 

 集団ストーカーやガスライティング妄想に陥る資質

幻聴が自他境界の曖昧性で起きるのと同じ様に、ネットによるマインドコントロールは現実と非現実の曖昧性によって陥り易い。

 

例えば「調べる」と「確認」の違いだ。
インターネットのマインドコントロールに落ちやすい人は、ネットで調べただけで「確認」したという人が多い。
しかしそれは確認では無く、他人の言動や文章を鵜呑みに信じているに過ぎない。
自分自身の検証作業が伴っていないのだ。
そこに「虚実の曖昧性」が生じる。
乱暴な言い方をすると、実験の伴わない科学は妄想と変わらないのである。

 

また、「調べる」と言う事は、知らないから調べるのであって、最初から知っていれば調べない。
そして、知らない事を調べても、知らない人はその虚偽を見抜く事が出来ないので、半信半疑ながらも書いてある内容を読み、それが先入観となる。

 

一旦先入観を植え付けられてしまえば、それまでスルーしていた物を意識して探し、見付けてしまう。
そのスルーしていた物とは、気にも留めなかった日常である。
人間不信や被害妄想を持つ人に、「それが犯行の手口」と先入観を与えられて、自分で見付けてしまえば信じ込んでしまう。

 

なので、彼等には他人の日常が自分に対する嫌がらせの手口に見えている。
集団ストーカーは、ストレスから来る自律神経症状持つ人に対し、電磁波攻撃とか超音波攻撃とかテクノロジー犯罪との先入観を植え付けられて、マインドコントロールに陥る。
だからこそ、皆が同じ言動になる。

 

 集団ストーカー=統合失調症と言う人も同じ資質

幻聴や被害妄想的な質問をすると、直ぐに統合失調症と決め付け病院へ行けという人は、統合失調症の症状に、幻聴幻覚、被害妄想と書いてあるのを読んだり聞いたりして、鵜呑みに信じて決め付けているに過ぎない。
もし、何人もの集団ストーカーやガスライティングの被害に遭っていると主張する人達に会い実態を調査すれば、幻聴や幻覚、被害妄想と言う物は、病気を起こす原因であって特有の症状では無い事を理解するだろう。

 

実際問題として、そうした人達に治療を薦めて、統合失調症と診断されたケースは極めて少なく、精神疾患や神経症を発症していなかったケースもある。

 

 決め付けは追い込む事になる

知恵袋で、集団ストーカー=統合失調症と返信する事は、「病気に仕立る手口」との確信を与え、マインドコントロールの深みに追い込む事になる。

 

マインドコントロールは症状では無いので、マインドコントロールに陥っていれば治療の効果は現れ難くなり、本人のみならずその家族の方を、何時終わるとも知れない不幸に落とし込む事になる。

 

 この事は新たな治療法を示す

通常、治療は投薬が中心で、主に投薬で不安を軽減させる。
インターネットが普及する前であれば、不安が軽減すれば被害妄想も薄らいだのだが、ネットが普及し、マインドコントロール状態になっていれば、日常が犯行と思い込まされているので、不安が消えても被害妄想は消え難い。

 

しかし、マインドコントロールと言う視点を持ては、治療とは別に「マインドコントロールを外す」と言う視点が生まれてくる。
実際、治療を受けても被害妄想が消えなかった人のマインドコントロールを外すと、被害妄想はなりを潜めて治療の効果が出ている。

 

また、発病の疑われる人のマインドコントロールを外しても、特定の被害妄想は消えるが不安は消えない。

 

発病に至っていないと思われる人のマインドコントロールを外すと立ち直る。
そうした事から、治療とマインドコントロールは別に対応すべき問題である事が分かる。

 

 集団ストーカーの本当の恐ろしさ

集団ストーカーやらテクノロジー犯罪を信じる事は個人の自由だ。
なので、集団ストーカーやらテクノロジー犯罪やらを信じている人に、「そんな物は妄想だ」とは言わない。

 

しかしこれだけは覚えておいた方が良い。

 

そんな物を信じ続けていると、脳細胞が徐々に破壊されて行き、やがては廃人となるか事件を起こして逮捕されるか、自死を選ぶかしかなくなる。

 

通常ストレスが一ヶ月継続すれば、大半の人が鬱病になる。
それはストレスにより脳血流が悪化し、脳細胞がダメージを受けて萎縮していくからだ。

 

集団ストーカーやテクノロジー犯罪と言うマインドコントロールは、日常を犯行と思わせてしまう。
その為、ストレスを受け続ける事になる。
ストレスを受け続ければ、脳は萎縮を続け機能を失って行く。

 

萎縮とは、脳細胞が死滅して行く事を意味する。

 

つまり、信じ続けている期間が長くなるほど、脳の機能は失われ、脳の回復は望めなくなると言う事だ。

 

何を信じるかは個人の自由だ。
しかし、信じた結果は自分に返って来る事を忘れてはならない。

関連知恵ノート

幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い

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 幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い

この知恵袋で幻聴系や被害妄想的な質問をする人に対して、直ぐに統合失調症を持ち出す人を見かける。
しかし、幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い。
質問者に「それは統合失調症」と返信すれば、質問者を追い込む事になり兼ねないので、著書として出してはいるが、私が調べてきた事を「知恵ノート」にも記して置こうと思う。

 

 幻聴と言っても様々

まず幻聴系だが、幻聴と一言で言っても色々なケースが存在する。
大分類として、「音系」と「声系」に分類される。

 

「音系」は声ではなく「音」が聞えるタイプだ。
その音を不快に思っていたり、嫌がらせのように感じている人も多い。
また、自分の室内の行動に合わせて音が移動して聞えるので、「盗聴器などで居場所を知られて嫌がらせをしている」と思い込んでいる人も少なくない。
聞える音を不快に思っている人は「生活騒音」と言い、嫌がらせと感じている人は「仄めかし」と言ったりする。

 

「声系」は声が聞こえるタイプで、主に自分の行動を指摘する声や、自分の噂や悪口など、自分を否定するような声が聞こえる人が多い。

 

 幻聴の実体

「音系」と「声系」、この両者とも共通した特徴がある。
まず音系だが、第三者立会いで計測しようとすると、その音は聞えない場合が殆どである。
また、音が聞こえた場合でも、第三者には騒音と言える程の音には聞えない。

 

そこで、本人に機材を渡して測定すると「40db」もありましたと言う報告が来る事がある。
その数値は、騒音など存在して無い事を示す数値である。

 

「40db」と言えば、深夜の市内、図書館、昼の住宅の音レベルで、かなり静かな状態を示す数値だ。

 

では何故40dbが騒音に聞えるのか?
実は、彼等に聞えているのは騒音ではない。
最も多いのが「感覚過敏(聴覚過敏)」で、小さな音が大きな音に聞えている。
また、感音性難聴やメニエール病などのストレス性の難聴の人は、換気扇等のモーターの様な耳障りな低音が聞えているのだが、それは低音性の耳鳴りであり、その耳鳴りを騒音だと思いこんでいる人が多い。

 

また、時折寝ようとすると、ドアを強く閉めたり、ドンドンと足音を鳴らしたりする嫌がらせをされると言う人もいるが、それは「脳内爆発音症候群」によって聞えている場合が多い。

 

それら全てに共通する原因が「ストレス」である。
ストレスとは本来、敵から身を守る為の防衛反応である為、ストレス反応が出ると神経が興奮状態となり、交換神経も優位な状態となる。
ストレスが続くと交感神経優位な状態が続き、その結果、聴覚器官や脳への神経への血液供給が悪化する事で機能低下を起す。
その機能低下が原因で、特定の音に対して過敏になる。

 

また、これは実際にそのお宅へ出向かなければ分からないが、こうした事が原因で騒音を訴える人(トラブル化している人)は例外無く何らかの形で孤立化している。
社会的孤立、家庭内孤立、精神的孤立、対人的孤立などなど。
そして、コミュニケーションに苦手意識を持っている。

 

声系の人はその進化版と考えれば分かり易いだろう。
声系は、聞こえている音に「補完機能」が働いて音が声に聞こえたり、聞き取れない音量の音や会話の内容を勝手に脳が補完して聞こえている。

 

この補完機能は誰もが備えている能力で、病気の症状では無い。
それは「録音の解析」をする事で明らかにしている。

 

例えば「あ、また食べてる」と言う声が録音されているとして送られたファイルには、ボリュームを最大にしても聞き取れない程の音が録音されていた。
その音が入っている部分だけをカットし、音量を増幅するソフトで何倍にも増幅して聞くと「あ」の部分は電子音の「ピ」と言う音が録音されており、「また食べている」と言う部分は、工事現場の音に混じって「何で壊すの」と言う声が確認された。

 

別の代表的な例では「犯人が語りかけてくる声が録音されています」と言う録音ファイルを相談者が持ち込んで来た。

 

その録音ファイルを音声スペクトラムアナライザーで音を視覚化して分析すると、相談者の声以外には雨音と時計の音しか録音されておらず、私には本人が一人で話しているようにしか聞こえない。
しかし、一緒に聞いていた相談者には相手の声が聞こえると言う。
このケースの面白い所は、それが録音ファイルであると言う事だ。

 

録音ファイルなので、脳内通信だとか電波送信だとかの戯言は通用しない。
録音ファイルからは電波だとかテレパシーなどは間違っても出ない。
しかし、相談者には何度ファイルを再生しても、同じ所で同じ内容が聞こえているので間違いなく音が原因で聞こえている。

 

そう、このファイルには確かに声の原因が録音されていた。
その原因が、雨音と時計の音であり、それらの音を声に補完して聞こえていたのだ。

 

この手の幻聴には、共通した特徴がある。
声が聞こえる時には必ず雑多な音(ノイズ)が存在し、「無音」では幻聴が聞こえない。
そして無音の時は、耳が「ボーン」とした感じになると言う。

 

また、聞こえる声は心的要因で左右され、それが被害妄想と大きく係わっている。

 

こうした補完系の幻聴は難聴系でも起こる。
例えば、有毛細胞系の難聴では部分的に聞えていなかったりしているのだが、通常は補完機能が働いて、聞えない部分を前後の文脈や状況からっ正しく補完されて聞えるので難聴の自覚がない。
しかし、部分的に聞えていない所が心的要因に左右されて補完されてしまうと、自分に対する悪口などに聞えてしまう。
例えば「~らしいね」の「ら」と「い」が聞き取れなければ「しね」に聞える。
また「おかあさん」の「か」が聞えず「ば」に補完すれば「おばあさん」に聞えてしまう。

 

この補完は聴覚に限った事ではなく、視覚でも起きる。
その片鱗を体験出来るのがこの画像だ。

 

リンク先の上にある12個の点は見えるのだが、その点に格子の図形が加わると視点の中心付近の4つの点しか見えなくなってしまう。

 

何故、そうした現象が起きるのか?
人間がハッキリと物が見る事が出来るのは黄斑の周辺で「錐体細胞」が密集している所に映った映像だけで、それが視点だ。

 

その視点以外の所は、12個の点だけの画像の様に、ハッキリと見えている様に感じているが、実は然程ハッキリとは見えていない。
ハッキリと見えていると感じているのは、脳が周囲の状況から推測して補完しているからである。

 

それ故12個の点に格子が掛かると、錐体細胞の領域では点を認識できるが、桿体細胞の領域では認識出来ないので、周囲の情報から格子を補完してしまう為、錐体細胞の領域以外の点は見えなくなってしまう。

 

これが視覚に於ける補完だ。
そして、視覚の補完も聴覚と同様に心的要因に左右されて見え方が変わってしまう。

 

それ故、錯視の多くは周辺視野の領域で起きている場合が殆どである。
そうした補完が被害妄想を生んでしまう。
いや、持っている被害妄想の影響を受けた補完がなされると言った方が正しいだろう。

もう一つの幻聴の原因が幻覚物質のアドレノクロムである。
ホッファー博士の提唱する分子整合療法によると、総合失調症の幻聴はアドレノクロムが原因物質であるとされている。

統合失調症はドーパミン過多が原因と言われており、そのドーパミンを基にしてノルアドレナリンが生成される。
そのノルアドレナリンがメチル化してアドレナリンとなり、アドレナリンが酸化する事でアドレノクロムが生成される。

このアドレノクロムは幻覚作用を持つメスカリンと同じ成分で構成されている為、同じ作用を持つとされている。

分子整合療法ではアドレノクロムがアドレナリンの酸化物質であるなら、アドレナリンを酸化させなければ良いと言う考えから、抗酸化作用のあるビタミンCやEの大量摂取や、アドレナリンの前段階であるノルアドレナリンのメチル化を阻害するビタミンB3(ナイアシン)の投与が有効とされている。
文献によると、実験で投与された量は、1時間当たりビタミンCを1000mgと書かれている。
ビタミンは大量摂取しても大丈夫な物と体調不良を起す物もあるので、医師の監修が必要である。

但し、日本では分子整合療法は認知されていない。
また、幻聴や幻覚に対する効果は記されているが、統合失調症が治ったとは記載されていない。

 幻聴と心理状態

その被害妄想だが、被害妄想を抱く人の共通した特徴は「人間不信」「社会性の低さ」があり、社会性の低さは、そのままコミュニケーションの低さでもある。
被害妄想を端的に表す言葉が「疑心暗鬼」である。
その語源は「疑心、暗鬼を生ず」であり、「暗闇と言うだけで疑い、鬼がいるかのように見える」から来ている。

 

被害妄想は、他人を信じずコミュニケーションが取れない為に、他人が分らない。
その分らない他人が暗鬼となり、疑心を生じている状態である。

 

他人が考えている事など、誰にも分かるはずも無い。
しかし、コミュニケーションを重ねる事で他人を理解する事は出来る。
逆に、コミュニケーションを重ねなければ他人を理解する事は出来ない。
そして、相手を信じて自分が心を開かなければ、相手も心を開いて本心を話さず、上辺だけの付き合いしか出来ない。

 

コミュニケーションが苦手で他人を信じられない人は、他人の心を想像するしかない。
人間は無から何かを生み出す事は出来ない。
必ず、ベースとなる物が必要となる。
それが、自分だ。
「自分はこう思うから、相手もこう思うだろう」と言った考えである。

 

しかし、それは他人の思いではなく、自分の思いでしかない。
つまり、他人と言う鏡に自分を反映させているに過ぎず、心を開いたコミュニケーションを積み重ねてこなかった人の考える他人の自分に対する評価は、自分自身の自己評価でしかない。
それが投影である。

 

ここにもう一つの問題が生じる。
自己評価を他人の評価と信じ込む事は、自分の考えなのか他人の考えなのかの区別が付かない状態であり、それが自他境界の曖昧性となる。

 

自他境界の曖昧性は自分と他人の区別が付かなくなっている状態と言えば分かりやすいだろう。
厳密に言えば、自分と自分の中で作られている他人との境界の喪失である。
すると、自分も、自分の中で作られている他人も自分なので、双方の思考に区別が無くなる。

 

それが、声として感じれば「幻聴」となり、頭に直接届くようなら「音声送信」の様に感じられ、自分の考えがダダ漏れのように誰かに伝わっている様に感じれば「思考盗聴」や「サトラレ」と言う言葉になる。
そして行動を知られている、聞かれていると思えてしまうと、盗聴とか盗撮と言った言葉が出て来る。

 

幻聴や被害妄想を個別に分析検証して行くと、それらが統合失調症の症状ではなく、統合失調症を含む精神疾患を引起す「要因」である事が分かって来る。

 

そして、その要因は親が作っている場合が多く、治療以前に親の反省と改善が求められる。

余談だが、盗聴を気にする人と気にしない人がいるのだが、両者の違いは「ありのままの自分」を認め愛せるか、認められず愛せないかの違いである。

ありのままの自分とは、自分の長所も短所も認めた上で、その全てを愛するという事。

短所も含めた自分を愛しているなら、短所は恥とは感じないので気にならない。
逆に、自分の短所を認められず自分の短所を愛せなければ、自分の短所を恥だと思い知られたく無いと思う。

 

こうした事を「被害妄想解体新書」で詳しく書いている。

 

またこの記事を読まれた方は「騒音の無い生活騒音トラブル」もあわせて読まれる事をお奨めする。

関連知恵ノート

 

これが本当の工作だろう

相談掲示板で、創価学会に対するこんな書き込みがある。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13171915733

同様の書き込みが6日後に書かれている。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11172163801

 

この二つ、ストーリーが変えてあるが、内容は同じ。

更に再掲載までしている。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11172167221?__ysp=6ZuG5Zuj44K544OI44O844Kr44O8

また、別の掲示板にも投稿されている。

https://okwave.jp/qa/q9309388.html

別に創価学会を擁護する訳ではないが、これは創価学会の集団ストーカー説の根拠を捏造工作で、ネットに拡散させる目的で書かれた物と推測される。

 

これこそが工作だと私は思う。

 

 

 

 

 

ASKA転院の理由に共依存

昨日ラジオで知ったのだが、医療保護入院させられていたASKAが転院した理由に耳を疑った。

医療保護入院になれば、良くなるか家族の同意なくして出る事はできないはず。

それなのに東京の病院から九州の病院へ転院していたのが不思議だった。

しかしそのラジオの話を聞いて、再犯の理由から病院から出ているのに被害妄想を続ける理由も全て納得した。

報道によると、妻子は盗聴や盗撮を訴えるASKAを薬物による後遺症の疑いと見て医師に相談し医療保護入院させたのだが、保護入院させられたASKAが実家に監禁されていると助けを求め、父と妹が弁護士を通じて退院させたと言う事らしい。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/12/01/kiji/K20161201013823690.html

なるほど、最悪のパターンがそこに有った訳だ。

妻子からすると、盗聴とか盗撮とかを口にし、言動がおかしくなれば薬物の後遺症を疑うのは当然の事だ。

そして治療と言う事になるのだが、問題は本人の同意を得ているかどうかだ。

本人の同意を得ずに医療保護入院させられれば、家族の裏切りとか監禁という思いがこみ上げてくる。

同意を得ていたとしても、本人に治そうとする意思が無ければ同じ思いが込み上げて来る。

医療保護入院を続けて良くなれば、そこで家族の思いが伝わるのだが、実家の家族が弁護士を通じて出してしまった。

良くもならずに妻子に不信感を抱いたまま出ている事になる。

これは最悪だ。

恐らくASKANお家族はASKAの為を思い、断腸の思いで医療保護入院させたのだと思うが、実家の家族がそれを台無しにしてしまった。

その実家にASKAが薬物に手を出してしまった原点があるのかもしれない。

その原点が共依存。

そして、仕方が無い様に思える医療保護入院させた妻子にも、コントロール型の共依存があったのかも知れない。

AR盗撮という言葉から見えるASKAの状態

AR盗撮という言葉からASKAの状態がある程度分かる。

ASKAはスマホにAR盗撮のアプリを入れられていたと言っていた。

つまり、スマホで監視されていると思っていた訳だ。

ASKA曰く、ズームで200倍まで・・・

この感覚は、「される側」の感覚ではなく「する側」の感覚だ。

どんな高度な技術を使おうとも、基本的な事は変わらない。

盗撮するにはカメラが必要であり、そのカメラは本人に向けられなければ写らない。

自分で持っているスマホのカメラでは200Mのズームなど必要ない。

しかも、歩きスマホしていなければ、スマホは鞄の中かポケットの中で何も写らない。

そうした事からASKAの今の感覚が見えて来る。

つまり、自分の持っているカメラで、自分をズームで写す感覚。

それは他人目線と自分目線の混同を意味している。

つまり、自他境界が曖昧になっている事を示している。

そもそもAR技術とは拡張現実であり、ポケモンGOにも搭載されており、カメラで写した現実の風景にバーチャルの映像を合成する技術だ。

それは、現実の中に妄想が見えている事も示している。

 

ASKA逮捕

ASKAが再び覚せい剤で逮捕された。

50歳以上の再犯率が83.1%と言われる覚せい剤なので予想はしていた。

以前、ASKAと思われるブログに盗聴やら集団ストーカーやら書かれていた事に付いて書いたが、アレは本人だった訳だ。

私としては、好きだったアーティストの一人だっただけに残念だ。

 

私の興味は別にある。

報道で聞く限りでは、家族が支えていたがその家族に騙されたと言っていると聞く。

家族に対して被害妄想を抱いていたと言う事だ。

 

これは推測なのだが、ASKAの家族は献身的に支えていたのだと思う。

だからこそ家族に対して被害夢想を持った様に思う。

但し、再び覚せい剤に手を出した理由がそこにあるかまでは分からない。

 

これは覚せい剤のみならず、精神疾患の患者を支える家族にも共通して言える事なのだが、献身的過ぎるサポートは被害妄想を生む。

その原因は自尊心だ。

家族の役に立たず迷惑を掛けていると思っている相手を励まし懸命に支えようとすると、自尊心が傷付いて行く。

被害妄想は自尊心を傷付けた相手に向けられ、自尊心を傷付ける相手に不信感を抱くようになる。

社会性は信じる事で成り立っているので、不信感の大きさに比例して社会性は失われる。

社会性を失った者が感じる世界が、監視されている感覚だ。

 

人間は集団で生きる動物であり、集団で生きるメリットは天敵から襲われた時の生存確率を上げる事だ。

そして集団に守られて安心感を得て、安心する事でストレスから開放される。

その為の絶対条件が、仲間を信じる事である。

もし、仲間が信じられなければ周りの仲間は敵と変わらず、集団を形成する意味が消失してしまう。

 

つまり、社会性を失うと言う事は、敵に囲まれているのと同じ心境になる為に、監視されている感覚に陥る。

そうなれば常に強いストレスに晒される事になる。

そのストレスに脳がダメージを受けると精神疾患となり、そのストレスから逃れる為に再び覚せい剤に手を出したとも考えられる。

サポートする家族が注意すべき点は、自尊心を傷付けない様に心がける事だ。

具体的には3つの事を心掛ける様にする。

1. 自分が必要とされていると感じさせる事。

2.自分が役に立っていると感じさせる事。

3.感謝する事。

 

その他の注意点は、言動を鵜呑みに信じない事だ。

ASKAは薬物検査の陽性に「事実に反します」と言っている。

多くの人は、これを嘘とか言い逃れと思っているかもしれないが、必ずしもそうとは限らない。

意外と本心で言っているのかも知れない。

とは言え、陽性反応が出たと言う事は、覚せい剤を使用していた事に間違いは無い。

しかし、継続したストレスは記憶障害を生む。

自分でした事を忘れたり、記憶が都合の良い様に書き変えられたりするので、あながち嘘とは言い切れない所もある。

それは言動の全てに信憑性が無いと言う事でもある。

 

豊洲報道に見る情報の非対称性に於ける心理

築地市場の豊洲移転問題が連日報道され、都民に不安が広がっている。

毎日のように新事実が見つかったと報道され、ついには白紙案まで浮上してきている。

この状況は集団ストーカー妄想に陥る原理と全く同じである。

なので、豊洲移転問題は集団ストーカー妄想に陥る様子を客観的に見る事が出来るので取り上げる事にした。

 

まず、豊洲移転問題に対する報道のあり方にそもそもの原因がある。

東京系の全ての放送が、同じ方向を向いてしまっているのだ。

コメンテーターとして登場する専門家の顔ぶれは、どのチャンネルも同じ、当然言っている事も同じ。

相反する意見が全く取り上げられていないのだ。

これが「情報の非対称性」と言う状況である。

情報の非対称下では「逆選択(逆選抜)」が起きる。

そして不安に火を付けられた人々は、冷静な判断力や思考力を失い感情に支配されてしまう。

そして疑心暗鬼に陥り、全てを疑いの目で見てしまう。

疑いの目を持って見れば全てが怪しく見えてしまう。

これが「信頼」を失った状態である。

信頼が失われれば、真実を話しても誰も信じようとはしなくなり、真実は疑惑の対象となってしまう。

そして、豊洲移転の問題の根底には無知と無理解があり、専門バカが拍車を掛けている。

 

それをこれから解説して行こう。

 

まず無知の問題だが、豊洲市場の地下に謎の空間があると報道された時、知っている人と知らない人では反応が異なる。

建築に造詣が有る人なら建物の下の空間と聞けば、直ぐに「地下ピット」を思い浮かべるだろう。

それは何所のマンションにも普通に存在している空間である。

なので不思議とは思わず「そんなの当たり前だろう」と思う。

しかし、地下ピットはマンションの住人と言えど立ち入る事は出来ない空間なので、その存在を知る者は少ない。

地下ピットの存在を知らなければ、建物の下に謎の空間がると聞けば、そこに疑念が生まれる。

その疑念は想像を掻き立て、隠蔽や陰謀の可能性を思い描く。

そこに地下ピットの写真が公開され、そこに水が溜まっているのを目にする。

建築中の地下ピットに入った事が有ればそれは普通の光景だが、地下ピットの存在すら知らない人からすると、水が溜まっている事が特別の事のように思えてしまい、そこに欠陥を疑い始める。

それらの疑惑が土壌汚染の問題とリンクして不安が掻き立てられる。

しかし、リンク先の画像でも分かるように、施工途中ではそれが普通なのである。

そして、現場で働く人は雨の日に水が地下ピットに流れ込む光景も目にしている。

 

問題は地下ピットに対する無知が、都民だけでなく歴代の知事や専門家会議も同じであった事だ。

建築に地下ピットがセットになっている事を知らないからこそ、地下を作るとか作らないとか言う話しが出て来る。

それは、建築物に必要不可欠な物を、そこだけ作るか作らないかの議論でしかない。

それは、スマートホンを販売するのに、液晶はガラスだから危ないので液晶を付けるか付けないかの議論をするのと同じだ。

既にそこからボタンの掛け違いが発生しているのだ。

専門家会議は土壌汚染の専門家の会議であって建築の専門家の会議ではない。

もしそこに、設計担当者が入ってるか専門家会議のメンバーに地下ピットの存在を知る者がいれば盛り土案は変わっていただろう。

設計不在の会議だからこそ、地下ピットが考慮されていない盛り土案が提案される事になる。

 

地下ピットを考慮されていない盛り土案が決まってしまうと、設計や施工は頭を抱える事になる。

少し頭を働かせて考えてみよう。

水を然程使わない施設なら配管もシンプルなので建物の中に数本通せば良いが、水を多く使う施設では多くの配管が必要になる。

もし、配管を埋設してしまえば、地震などで破損すれば復旧は困難になる。

予め空間を作りそこに配管を通せば素早く復旧できる。

地下ピットは本来そうした目的で作られる設備だ。

また。建物には必ず基礎が必要である。

その基礎は地中に作ら無ければならないので、盛り土をしても結局掘り返す事になる。

盛り土を掘らずに基礎を作ろうとすれば、当然高床式にせざるを得ない。

高床式にすると、耐震強度が低くなる。

例えば、マッチ箱を土の上に置けば風が吹いただけで倒れてしまうが、マッチ箱を少し土に埋めるだけで倒れ難くなる。

耐震はそれと基本的に同じで、地中に埋没させた方が強度は増す。

しかも盛り土は重量物が乗るのには適さない。

何故なら、土が締まっていないので重量物が乗ると沈下を起こす。

建物自体は杭で支えられているので沈下はしないが、周りの土は次第に沈下して行く。

例えば、穴を掘ってそこに砂を埋める。

その砂に水を掛けると直ぐに沈下を起こす。

これは水締めと言って、埋めた時に出来た空間に水で砂が運ばれて、砂が締まった状態になるのでこれを「水締め」と言うのだが、盛り土にもそれと同じ事が起きる。

但し、砂の様に直ぐに起きるのではなく、時間を掛けてゆっくりと進行して行く。

するとどうなるかと言えば、建物の周りの土が沈下して建物が浮いた状態になり、建物の床下と地面との間にも自然に空間が出来てしまう。

勝手に出来てしまう空間は、予測も制御も出来ない。

つまり盛り土にしても、知らない間に空間が出現し、もし地中にベンゼンが残っていたら、ベンゼンは揮発性なのでその空間に溜まる事になる。

揮発性のベンゼンは濃度が濃ければ引火もする。

土壌汚染しか知らなければ、別の危険性に気付かない。

これが専門バカによるボタンの掛け違いである。

 

一旦議会で決まった事は、現場で覆す事は出来ない。

すると、限られた状況の中で最善の方法を模索する事になる。

自然に空間が出来てしまって予測も制御も出来ないなら、予め空間を作り制御した方が合理的だ。

本来有るべき地下ピットを作れば問題は無くなる。

土壌汚染には土壌汚染対策法と言う物があり、汚染土壌との接触を遮断するため、厚さ10cm以上のコンクリート舗装または厚さ3cm以上のアスファルト舗装などを施すとなっている。

地下ピットを作ればその規定はクリアー出来る。

そして建物以外の場所は、盛り土がそのまま生かされる。

地中に染み込んだ揮発性物質のコントロールは三つだ。

大気中に自然拡散させるか、コンクリートで押さえ込むか、揮発し易い状態にしてのフィルター換気するかだ。

限られた条件下で、最善を求めればあの形式に辿り着く。

なので、建築に造詣がある人からするとあの形状はとても合理的なのだが、それを知らない人からすると「違うじゃないか」と言う事になる。

 

地下水の問題は、共産党の議員団が視察して写真を公開した事に端を発する。

ここにも無知が発生している。

建築に携わった事が無い人は、工程と言う物を理解していない。

地下ピットに雨水が溜まるのは現場では常識である。

地下ピットに溜まった水を吸い出しても直ぐに溜まってしまう。

なので、地下ピットで作業する時だけ水中ポンプを入れ、水をくみ出してから作業する。

地下ピットは主に配管を設置するスペースである。

その配管工事が終わらない限り、ポンプも排気も動かす事が出来ない。

また、配管だけでなく配線も繋がなくては動かない。

当たり前のように水が入っていれば、配線する事も出来ない。

なので、地下ピットの作業は水の流入が少なくなってから行なわれる。

また、建築中に稼動させれば電気代などの費用が発生する。

その為、地下ピットの水抜きや清掃は最終工程になる。

そうした工程も知らない議員団が疑いの目を持って、排水設備が稼動する前の地下ピットに入れば、「何だこの水は!」と言う事になる。

作業員でさえ送風機で空気を送り込みながら作業する所に、入れろと言われれば当然拒否される。

拒否されれば「何かあるに違いない」と疑いを深めてしまい「酸欠の危険がある」と言う説明も、誤魔化しにしか聞こえなくなってしまう。

そして、建築に造詣がある人が酸欠の危険があるから当然だと言えば、それを知らない人には「擁護」に聞こえてしまう。

さらに、その水のphを計って強アルカリ性を示すと、自慢げに発表する。

しかし、工事現場に溜まった水の全てが強アルカリ性なのだが、議員団はその事を知らないから騒ぎ立てる。

その姿はまるで電磁波があるべき所で、電波探知機が反応したと騒ぎ立てている集スト投稿動画と同じだ。

マスコミが地下ピットへ入り、その水に手を入れて、底に溜まった白い泥のような物をすくい上げて、何でしょう?とリポートする。

それこそが工事現場の水を一瞬で強アルカリにする原因物質なのだが、誰一人として気付かずただの泥だと思って見過ごしてしまう。

その白い泥はコンクリートの粉塵が堆積した物で、乾いていれば粉塵だが水と混じれば泥になる。

粉塵の上に水が落ちれば、その時点で水と混ざり強アルカリになる。

現場の水が強アルカリである事を知らない人達は、更に疑念を深めてその水を調べ出す。

すると、アンモニアや亜硝酸やヒ素が出て来たと大騒ぎになる。

強アルカリの水にアンモニアや亜硝酸があるのは別に不思議な事ではない。

そこにもう一つ有るべき物質が検出されていない所に、アンモニアや亜硝酸の原因がある。

その物質とは硝酸である。

植物や動物が死ぬとアンモニアが発生する。

そのアンモニアを亜硝酸菌が分解して亜硝酸塩が出来る。

その亜硝酸塩を硝酸菌が硝酸塩に分解する。

亜硝酸菌はアルカリに強く硝酸菌はアルカリに弱いので、アルカリ下ではアンモニアの分解は亜硝酸までしか進まない。

もし地下水が上がってきた水で、その水に含まれていた成分だとしたら、硝酸塩まで分解されているので、硝酸塩が検出されなければおかしい。

これはアクアリウムの常識だ。

 

水の中に何かあるかもしれないと疑い、ある物だけを調べようとすれば、無ければおかしい物に気付けない。

このアンモニア分解の原理を知っていれば、アンモニアと亜硝酸しか検出されない事が、地下ピットに溜まった水が雨水の可能性の高さを示している事に気付けるのだが、知らなければそこに疑念が生じてしまう。

 

そもそもの話だが、ベンゼンと言う物質は無極性の為に水に溶けず、比重は水よりも軽いので水に浮く。

例えば同じ水より軽いアルコールは水に溶けて混ざり合う。

その理由はアルコールが極性を持っているから水と電気的結合を起こして水に溶ける。

しかし、無極性のベンゼンは水と電気的結合を起こさないから水に溶けない。

水に溶けず、水より比重の軽いベンゼンで地下水は汚染されない。

理由は簡単だ。

ベンゼンは水より比重が軽いので地下水面より下へは行けず、水と分離する物質だからだ。

その地下水面より上の土を除去していると言う事は、理論上そこより下にベンゼンは無いと言う事である。

ベンゼンの性質を知れば、4万倍のベンゼンの意味も分かってくる。

水位より下に行けないからそこに溜まるしかない。

人はその数値の大きさだけに目が行き、ベンゼンと言う物質の性質を知ろうとはしない。

だからこそ、人の心の中でベンゼンはモンスターと化し、過剰な恐れを抱く事になる。

しかし、ベンゼンが溜まっていた土はすでに除去され、もうそこにベンゼンは居ないのだ。

残っているのはベンゼンの破片と、人の心に作られたモンスターだけだ。

集団ストーカー妄想の犯人はそのモンスターと同じなのだ。

 

こうなってしまっては、怪しい物探しが止まらなくなってしまう。

何が何でも探し出そうとする。

すると基準値以下の、地中や海水に普通に存在するレベルでのヒ素でさえ、ヒ素があると言うだけで問題になる。

検出されたヒ素の0.003mg/Lと言う数字が一人歩きしてしまう。

例えば、主食の米に含まれるヒ素は0.14mg/L、ミネラルウォーターには0.05mg/Lも入っている。

それは福島原発の事故後に、自然放射能を測定して危険だと騒いでいた集ストさんと変わらない。

専門家は雨水に含まれるヒ素ではこの数値は有り得ず、海水と同じレベルなので地下水の可能性を疑う。

更に臭素が見つかったと言い、臭素は雨水に含まれず、海水に含まれるから地下水説を有力視する。

しかし、その比較に大きな間違いがある。

雨水と言っても、雨水をそのまま容器で受けた水ではない。

地表を流れて来た水である事を忘れている。

そこは湾岸エリアで隣は海だ。

地表には海水の細かな水滴が降り注ぎ、それは壁にも付着している。

そこを流れて色々な物質を取り込んで来た水である。

それを雨水と同じと考える所がそもそも間違っている。

 

こうなってしまっては、東京都民を納得させるのは、集ストさんを説得するより難しい。

一旦植え付けられた不安は簡単には消えない。

どれほど検査数値が安全性を示していても、データ偽装を疑われ信用されない。

ここまで風評被害が大きくなっては、豊洲のイメージは地に落ちている。

これが、偏った情報で生じる「情報の非対称性」による「逆選択」の状態である。

 

もし、東京でもこの様な放送がなされていたら、結果は違う物になっていただろう。

それは集団ストーカー妄想を持つ者達も同じだ。

自分の求める情報だけを探し続ける為に、自ら情報の非対称かを招く結果を生み、逆選択を引き起こす。