豊洲報道に見る情報の非対称性に於ける心理

築地市場の豊洲移転問題が連日報道され、都民に不安が広がっている。

毎日のように新事実が見つかったと報道され、ついには白紙案まで浮上してきている。

この状況は集団ストーカー妄想に陥る原理と全く同じである。

なので、豊洲移転問題は集団ストーカー妄想に陥る様子を客観的に見る事が出来るので取り上げる事にした。

 

まず、豊洲移転問題に対する報道のあり方にそもそもの原因がある。

東京系の全ての放送が、同じ方向を向いてしまっているのだ。

コメンテーターとして登場する専門家の顔ぶれは、どのチャンネルも同じ、当然言っている事も同じ。

相反する意見が全く取り上げられていないのだ。

これが「情報の非対称性」と言う状況である。

情報の非対称下では「逆選択(逆選抜)」が起きる。

そして不安に火を付けられた人々は、冷静な判断力や思考力を失い感情に支配されてしまう。

そして疑心暗鬼に陥り、全てを疑いの目で見てしまう。

疑いの目を持って見れば全てが怪しく見えてしまう。

これが「信頼」を失った状態である。

信頼が失われれば、真実を話しても誰も信じようとはしなくなり、真実は疑惑の対象となってしまう。

そして、豊洲移転の問題の根底には無知と無理解があり、専門バカが拍車を掛けている。

 

それをこれから解説して行こう。

 

まず無知の問題だが、豊洲市場の地下に謎の空間があると報道された時、知っている人と知らない人では反応が異なる。

建築に造詣が有る人なら建物の下の空間と聞けば、直ぐに「地下ピット」を思い浮かべるだろう。

それは何所のマンションにも普通に存在している空間である。

なので不思議とは思わず「そんなの当たり前だろう」と思う。

しかし、地下ピットはマンションの住人と言えど立ち入る事は出来ない空間なので、その存在を知る者は少ない。

地下ピットの存在を知らなければ、建物の下に謎の空間がると聞けば、そこに疑念が生まれる。

その疑念は想像を掻き立て、隠蔽や陰謀の可能性を思い描く。

そこに地下ピットの写真が公開され、そこに水が溜まっているのを目にする。

建築中の地下ピットに入った事が有ればそれは普通の光景だが、地下ピットの存在すら知らない人からすると、水が溜まっている事が特別の事のように思えてしまい、そこに欠陥を疑い始める。

それらの疑惑が土壌汚染の問題とリンクして不安が掻き立てられる。

しかし、リンク先の画像でも分かるように、施工途中ではそれが普通なのである。

そして、現場で働く人は雨の日に水が地下ピットに流れ込む光景も目にしている。

 

問題は地下ピットに対する無知が、都民だけでなく歴代の知事や専門家会議も同じであった事だ。

建築に地下ピットがセットになっている事を知らないからこそ、地下を作るとか作らないとか言う話しが出て来る。

それは、建築物に必要不可欠な物を、そこだけ作るか作らないかの議論でしかない。

それは、スマートホンを販売するのに、液晶はガラスだから危ないので液晶を付けるか付けないかの議論をするのと同じだ。

既にそこからボタンの掛け違いが発生しているのだ。

専門家会議は土壌汚染の専門家の会議であって建築の専門家の会議ではない。

もしそこに、設計担当者が入ってるか専門家会議のメンバーに地下ピットの存在を知る者がいれば盛り土案は変わっていただろう。

設計不在の会議だからこそ、地下ピットが考慮されていない盛り土案が提案される事になる。

 

地下ピットを考慮されていない盛り土案が決まってしまうと、設計や施工は頭を抱える事になる。

少し頭を働かせて考えてみよう。

水を然程使わない施設なら配管もシンプルなので建物の中に数本通せば良いが、水を多く使う施設では多くの配管が必要になる。

もし、配管を埋設してしまえば、地震などで破損すれば復旧は困難になる。

予め空間を作りそこに配管を通せば素早く復旧できる。

地下ピットは本来そうした目的で作られる設備だ。

また。建物には必ず基礎が必要である。

その基礎は地中に作ら無ければならないので、盛り土をしても結局掘り返す事になる。

盛り土を掘らずに基礎を作ろうとすれば、当然高床式にせざるを得ない。

高床式にすると、耐震強度が低くなる。

例えば、マッチ箱を土の上に置けば風が吹いただけで倒れてしまうが、マッチ箱を少し土に埋めるだけで倒れ難くなる。

耐震はそれと基本的に同じで、地中に埋没させた方が強度は増す。

しかも盛り土は重量物が乗るのには適さない。

何故なら、土が締まっていないので重量物が乗ると沈下を起こす。

建物自体は杭で支えられているので沈下はしないが、周りの土は次第に沈下して行く。

例えば、穴を掘ってそこに砂を埋める。

その砂に水を掛けると直ぐに沈下を起こす。

これは水締めと言って、埋めた時に出来た空間に水で砂が運ばれて、砂が締まった状態になるのでこれを「水締め」と言うのだが、盛り土にもそれと同じ事が起きる。

但し、砂の様に直ぐに起きるのではなく、時間を掛けてゆっくりと進行して行く。

するとどうなるかと言えば、建物の周りの土が沈下して建物が浮いた状態になり、建物の床下と地面との間にも自然に空間が出来てしまう。

勝手に出来てしまう空間は、予測も制御も出来ない。

つまり盛り土にしても、知らない間に空間が出現し、もし地中にベンゼンが残っていたら、ベンゼンは揮発性なのでその空間に溜まる事になる。

揮発性のベンゼンは濃度が濃ければ引火もする。

土壌汚染しか知らなければ、別の危険性に気付かない。

これが専門バカによるボタンの掛け違いである。

 

一旦議会で決まった事は、現場で覆す事は出来ない。

すると、限られた状況の中で最善の方法を模索する事になる。

自然に空間が出来てしまって予測も制御も出来ないなら、予め空間を作り制御した方が合理的だ。

本来有るべき地下ピットを作れば問題は無くなる。

土壌汚染には土壌汚染対策法と言う物があり、汚染土壌との接触を遮断するため、厚さ10cm以上のコンクリート舗装または厚さ3cm以上のアスファルト舗装などを施すとなっている。

地下ピットを作ればその規定はクリアー出来る。

そして建物以外の場所は、盛り土がそのまま生かされる。

地中に染み込んだ揮発性物質のコントロールは三つだ。

大気中に自然拡散させるか、コンクリートで押さえ込むか、揮発し易い状態にしてのフィルター換気するかだ。

限られた条件下で、最善を求めればあの形式に辿り着く。

なので、建築に造詣がある人からするとあの形状はとても合理的なのだが、それを知らない人からすると「違うじゃないか」と言う事になる。

 

地下水の問題は、共産党の議員団が視察して写真を公開した事に端を発する。

ここにも無知が発生している。

建築に携わった事が無い人は、工程と言う物を理解していない。

地下ピットに雨水が溜まるのは現場では常識である。

地下ピットに溜まった水を吸い出しても直ぐに溜まってしまう。

なので、地下ピットで作業する時だけ水中ポンプを入れ、水をくみ出してから作業する。

地下ピットは主に配管を設置するスペースである。

その配管工事が終わらない限り、ポンプも排気も動かす事が出来ない。

また、配管だけでなく配線も繋がなくては動かない。

当たり前のように水が入っていれば、配線する事も出来ない。

なので、地下ピットの作業は水の流入が少なくなってから行なわれる。

また、建築中に稼動させれば電気代などの費用が発生する。

その為、地下ピットの水抜きや清掃は最終工程になる。

そうした工程も知らない議員団が疑いの目を持って、排水設備が稼動する前の地下ピットに入れば、「何だこの水は!」と言う事になる。

作業員でさえ送風機で空気を送り込みながら作業する所に、入れろと言われれば当然拒否される。

拒否されれば「何かあるに違いない」と疑いを深めてしまい「酸欠の危険がある」と言う説明も、誤魔化しにしか聞こえなくなってしまう。

そして、建築に造詣がある人が酸欠の危険があるから当然だと言えば、それを知らない人には「擁護」に聞こえてしまう。

さらに、その水のphを計って強アルカリ性を示すと、自慢げに発表する。

しかし、工事現場に溜まった水の全てが強アルカリ性なのだが、議員団はその事を知らないから騒ぎ立てる。

その姿はまるで電磁波があるべき所で、電波探知機が反応したと騒ぎ立てている集スト投稿動画と同じだ。

マスコミが地下ピットへ入り、その水に手を入れて、底に溜まった白い泥のような物をすくい上げて、何でしょう?とリポートする。

それこそが工事現場の水を一瞬で強アルカリにする原因物質なのだが、誰一人として気付かずただの泥だと思って見過ごしてしまう。

その白い泥はコンクリートの粉塵が堆積した物で、乾いていれば粉塵だが水と混じれば泥になる。

粉塵の上に水が落ちれば、その時点で水と混ざり強アルカリになる。

現場の水が強アルカリである事を知らない人達は、更に疑念を深めてその水を調べ出す。

すると、アンモニアや亜硝酸やヒ素が出て来たと大騒ぎになる。

強アルカリの水にアンモニアや亜硝酸があるのは別に不思議な事ではない。

そこにもう一つ有るべき物質が検出されていない所に、アンモニアや亜硝酸の原因がある。

その物質とは硝酸である。

植物や動物が死ぬとアンモニアが発生する。

そのアンモニアを亜硝酸菌が分解して亜硝酸塩が出来る。

その亜硝酸塩を硝酸菌が硝酸塩に分解する。

亜硝酸菌はアルカリに強く硝酸菌はアルカリに弱いので、アルカリ下ではアンモニアの分解は亜硝酸までしか進まない。

もし地下水が上がってきた水で、その水に含まれていた成分だとしたら、硝酸塩まで分解されているので、硝酸塩が検出されなければおかしい。

これはアクアリウムの常識だ。

 

水の中に何かあるかもしれないと疑い、ある物だけを調べようとすれば、無ければおかしい物に気付けない。

このアンモニア分解の原理を知っていれば、アンモニアと亜硝酸しか検出されない事が、地下ピットに溜まった水が雨水の可能性の高さを示している事に気付けるのだが、知らなければそこに疑念が生じてしまう。

 

そもそもの話だが、ベンゼンと言う物質は無極性の為に水に溶けず、比重は水よりも軽いので水に浮く。

例えば同じ水より軽いアルコールは水に溶けて混ざり合う。

その理由はアルコールが極性を持っているから水と電気的結合を起こして水に溶ける。

しかし、無極性のベンゼンは水と電気的結合を起こさないから水に溶けない。

水に溶けず、水より比重の軽いベンゼンで地下水は汚染されない。

理由は簡単だ。

ベンゼンは水より比重が軽いので地下水面より下へは行けず、水と分離する物質だからだ。

その地下水面より上の土を除去していると言う事は、理論上そこより下にベンゼンは無いと言う事である。

ベンゼンの性質を知れば、4万倍のベンゼンの意味も分かってくる。

水位より下に行けないからそこに溜まるしかない。

人はその数値の大きさだけに目が行き、ベンゼンと言う物質の性質を知ろうとはしない。

だからこそ、人の心の中でベンゼンはモンスターと化し、過剰な恐れを抱く事になる。

しかし、ベンゼンが溜まっていた土はすでに除去され、もうそこにベンゼンは居ないのだ。

残っているのはベンゼンの破片と、人の心に作られたモンスターだけだ。

集団ストーカー妄想の犯人はそのモンスターと同じなのだ。

 

こうなってしまっては、怪しい物探しが止まらなくなってしまう。

何が何でも探し出そうとする。

すると基準値以下の、地中や海水に普通に存在するレベルでのヒ素でさえ、ヒ素があると言うだけで問題になる。

検出されたヒ素の0.003mg/Lと言う数字が一人歩きしてしまう。

例えば、主食の米に含まれるヒ素は0.14mg/L、ミネラルウォーターには0.05mg/Lも入っている。

それは福島原発の事故後に、自然放射能を測定して危険だと騒いでいた集ストさんと変わらない。

専門家は雨水に含まれるヒ素ではこの数値は有り得ず、海水と同じレベルなので地下水の可能性を疑う。

更に臭素が見つかったと言い、臭素は雨水に含まれず、海水に含まれるから地下水説を有力視する。

しかし、その比較に大きな間違いがある。

雨水と言っても、雨水をそのまま容器で受けた水ではない。

地表を流れて来た水である事を忘れている。

そこは湾岸エリアで隣は海だ。

地表には海水の細かな水滴が降り注ぎ、それは壁にも付着している。

そこを流れて色々な物質を取り込んで来た水である。

それを雨水と同じと考える所がそもそも間違っている。

 

こうなってしまっては、東京都民を納得させるのは、集ストさんを説得するより難しい。

一旦植え付けられた不安は簡単には消えない。

どれほど検査数値が安全性を示していても、データ偽装を疑われ信用されない。

ここまで風評被害が大きくなっては、豊洲のイメージは地に落ちている。

これが、偏った情報で生じる「情報の非対称性」による「逆選択」の状態である。

 

もし、東京でもこの様な放送がなされていたら、結果は違う物になっていただろう。

それは集団ストーカー妄想を持つ者達も同じだ。

自分の求める情報だけを探し続ける為に、自ら情報の非対称かを招く結果を生み、逆選択を引き起こす。

 

被害妄想の系統と傾向と集団ストーカー妄想

被害妄想には病気の違いによる系統がある。

そして、被害妄想には一次妄想と二次妄想がある。

統合失調症に見られる妄想は一次妄想で、真性妄想とも呼ばれ、その特徴は「何故」が無い所にあり、了解不能な妄想の事を言う。

例えばCIAに狙われていると思っていても、何故狙われるのかが抜けている。

集団ストーカー妄想に多い「咳払いをして合図を送ってくる」と言った妄想も、咳払いを合図と思っているだけでそこに根拠は無い。

統合失調症の妄想の特徴は、ただ思えると言う理由だけで、確信している所に特徴がある。

 

二次妄想には何故がある妄想で、了解可能な妄想の事を言う。

双極性タイプは、同じ様にCIAに狙われていると思っていても、一応理由を持っている。

例えば、国家に不都合だからとか、人体実験に選ばれたとか、自分の才能や特殊技能、能力を妬まれてなどの理由が多い。

そうした理由はともかく、双極性タイプの妄想の特長は、狙われていると思う理由が選民意識を起点にしている所に特徴がある。

また、誇大妄想的特徴も持ち、妄想の中に天皇家やらフリーメイソンなどが登場したりする。

 

うつ病系はマイナス思考で、人間関係や社会的立場に起因した妄想が多い。

例えば、リストラストーカーを使って会社を辞めさせようとしているとか、悪評を立てて辞めさせ様としている等の妄想を抱く所に特徴があり、自律神経症状などの体の不調に対して過度な不安を持ち、そこから電波攻撃などの発想が生まれているケースが多い。

また、コンプレックス系の被害妄想もうつ病に多く見られる。

コンプレックス系被害妄想とは、例えば肥満にコンプレックスを持っている女性の隣に、スレンダーな人が立ったと言うだけで嫌がらせと感じたり、友人の無い人が友達と遊ぶ子供を見て嫌がらせと感じたりする。

言わば、当て付け系の妄想である。

自律神経症状を電磁波攻撃されていると思い込むのも、鬱病系の心気妄想の変化版と考えると分かりやすいだろう。

 

自己愛性人格障害系の妄想は、妄想に著名人の名前が出て来る所に特徴がある。

また、妄想の中に凡人には自分は理解出来ないと言う様な気風がある。

例えば、盗聴妄想一つ取っても「お前レベルで見つかる盗聴ではない」など、何事にも「自分は特別」と言う意識が根底にある。

 

境界性人格障害系は、手のひらを返す所に特徴がある。

例えば、集団ストーカー妄想団体を称賛していたかと思えば、その団体を成りすまし団体だと批判したり、ネットで共闘していたと思えば攻撃していたり、直ぐに手のひらを返す所に特徴がある。

また、ネット上であえて攻撃的言動や、挑発的言動を繰り返し相手を怒らせたり、あえて論議を平行線化させる事で、自分に係わりを持たせ続けようとする者もいる。

早い話が「かまってチャン」タイプだ。

 

こうした病気的な妄想の系統は、病気を併せ持っていれば双方の妄想も併せ持つ事になる。

また病気による妄想の系統とは別に、右脳系妄想と左脳系妄想の違いもある。

左脳系妄想は科学的な傾向を持ち、右脳系妄想はオカルト系の傾向を持ち易い。

 

集団ストーカー妄想は、これらの妄想の集大成的妄想で、多くの人が同じ妄想を抱く集団妄想である。

集団ストーカー妄想はネットで生まれた概念的な妄想であり、これらの妄想の集合体である。

病気毎の妄想系統とは別に、被害妄想には妄想のジャンルがある。

国家やCIAなどの秘密組織系、UFO系、リストラ工作等の工作系、近隣住民系、心霊系、宗教系、フリーメーソン・ユダヤ系など様々なジャンルがある。

インターネットが普及する前は、系統やジャンルはそれぞれが独立し、各々が独自の妄想を展開していた。

その妄想の生みの親と言うべき存在が、少年マガジン連載のMMRと雑誌ムーであり、1999年当時は全てこの雑誌に掲載されていた内容ばかりで作られていた。

熊本の地震の際に書かれた落書きの「HAARP」も出典はムーである。

それが集団ストーカー妄想の根底に今なお脈々と受け継がれている。

 

最初は個別の妄想を展開していたのだが、インターネットの普及と共に自分の妄想を主張出来るようになると、最初は同じジャンル同士が集まり出して集団化して行った。

次にジャンル毎の集団で親和性を持つ物同士の融合が始まった。

秘密組織系と、UFO系はUFOの墜落をアメリカが隠蔽して宇宙人を捕獲しているとか、すでに条約が結ばれているなどの記事がムーに掲載されていたので両者の親和性は高く、秘密組織系は工作系とも親和性が高く、それらが融合して行った。

宗教系と心霊系も親和性が高く融合し、秘密組織系と宗教系の二大妄想が形作られて行った。

因みに、雑誌ムーにはオウム真理教の空中浮遊も掲載されており、その後のオウムの一連の事件が重なり、そこから宗教団体が秘密兵器を開発していると言う発想が生まれている。

フリーメイソン系はフリーメイソンを主体に二大妄想の主張の使える部分だけ取り入れて独自進化して行ったので少し毛色が異なっている。

その二大妄想がある人物の主張によって融合される事になった。

それが、池田大作朝鮮人説である。

丁度その頃北朝鮮の同行が怪しくなっていた時期で、北朝鮮のスパイや潜水艇や拉致のニュースが大きく報道されていたので、北朝鮮と言う国家や秘密組織と、池田大作の宗教に親和性が生まれて合体して行った敬意があり、集団ストーカー妄想はそれらの妄想の集合体となっているのだ。

なので、どの系統の妄想であっても強い親和性を持っているので、集団ストーカー妄想を受け入れ易くなっている。

そこに一つ新たな問題が生じる事になる。

例えば、小説を読むと読んだ者は、それぞれのシーンを自分のイメージで思い浮かべるのだが、その小説が映画化されてその映画を見てしまうと映画のシーンしか浮かばなくなってしまう。

また、映画を見てから小説を読んでも映画のシーンしか浮かばず、誰もが同じイメージしか思い描けなくなってしまう。

これと同じ現象が、集団ストーカー妄想に起こる。

各系統の妄想者が、集団ストーカー妄想を読んでしまうと集団ストーカーにイメージが固定されてしまうのだ。

集団ストーカー妄想は各系統の妄想の集合体なので、言動も同じになってしまうので誤診を生んでしまう。

 

当事者ほど真実は見えない

被害妄想解体新書」の追記に、被害妄想をコリオリの力の原理で物理的な説明を加えた。

集団ストーカーと言う被害妄想」でも書いていたが、「被害妄想解体新書」ではもっと詳細な内容にした。

集団ストーカーやガスライティングの被害に遭っていると言う人は「当事者でなければ分からない」「遭って見なければ分からない」と主張する。

しかし、コリオリの理論からすれば「当事者である限り分からない」「遭っていないからこそ分かる」それを説明出来る。

そして、コリオリの論理は、当事者が客観的視点に立つ事が出来ない事も説明出来る。

 

被害妄想とは回転する円盤の上にいる状態だ。

回転する円盤の直上に円盤から独立させて固定カメラを設置する。

これが客観的視点である。

回転する円盤の上にボールを転がすと、定点カメラはボールが真っ直ぐに進む事を観測する。

しかし、円盤の上にいる人にはボールが自分に向ってきたり、自分から遠ざかって行く様に見える。

これが被害妄想であり、主観的観測である。

客観的観測の基本は高きより全体を見通す事だ。

円盤の直上に脚立を使って定点カメラを設置する場合、円盤の上に脚立を立ててしまえば、カメラも一緒に回ってしまうので、脚立を円盤をまたぐ形で設置しなければならない。

被害妄想という回転する円盤に乗っている人が、どんなに高きより客観的に見ようとしても、円盤の上に脚立を立ててしまうので、回転する円盤から降りない限り円盤の外に脚立は立てられず、客観性は持てない。

つまり被害妄想から外れなければ客観性は持てず、どれ程客観的に見ようとしても主観的にしか見る事が出来ない。

また、被害妄想の人に近付き過ぎれば同じ円盤の上に乗る事になってしまうので、客観性は失われる。

 

被害妄想解体新書」では何故被害妄想の人は円盤が回り出すのか、被害妄想の人の感覚が何故反転するのか、どうしたら回転を止められるのかなども書いている。

他者は自分を映す鏡

他人が何を考えているのか、それは本人にしか分からない。

「私は人にこう思われている」とか、「人に嫌われている」とか「人に好かれている」と言った、自分に対する他人の思いとして感じる事は、全て自分の考えでしかない。

それは他人に自分を投影して見ているに過ぎない。

つまり、他人とは「自分を写す鏡」なのだ。

長所も短所も含めた「ありのままの自分」を愛し受け入れられる人は、他人に写る自分も肯定的に写るが、ありのままの自分を愛せず受け入れられない人は、他人に映る自分の姿が否定的に写る。

その他人に写った自分の姿を、実際の他人の姿だとだと思い込む所に「自他境界の曖昧性」が生まれる。

それは実際の相手の自分に対する思いではなく、自分の自分に対する思いでしかない。

つまり、他人と言う鏡に映った自己評価を見ているに過ぎない。

それを、相手の思いとして思い込んでいるからこそ、自分と他人の境界が曖昧になっている状態なのである。

自他境界が曖昧になると、自他の区別が付かなくなる。

その結果、自分が知っている事は他人も知っていると感じ始め、自分の考えが他人に筒抜けの様な感覚に襲われる事となる。

 

その感覚は先入観を生み視覚や聴覚にも影響を与える。

自他境界の曖昧性により被害妄想に陥っていれば、他者の言動や視線を異常に気にし始める。

すると脳は、自分に対する悪口などを聞き漏らさないように過敏に反応する。

すると、些細な音を悪口のような声に脳が変換してしまい、悪口として聞えてしまう。

視覚も同様に怪しくも無い人が、さも怪しげに見えてしまう。

それが「疑心暗鬼」であり、疑心暗鬼の語源である「疑心、暗鬼を生ず」の由来でもある。

つまり、被害妄想を持つ人の「悪口を言われた」とか「怪しい人の怪しい行動」も、他人に写った自分の心が生み出した産物でしかない。

 

自分の感じる世界とは、自分が認識している世界観で作られている。

それは、自分の認識が変われば感じる世界も変わるという事でもある。

 

 

「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」の概略

被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」は、被害妄想は持っているが発病に至っていない人や、治療を受けていても被害妄想が無くならない人向けに書いた本です。

何故、被害妄想が生まれるのか、何故治療を受けても被害妄想が無くならないのか?

被害妄想を単なる妄想とか、病気の症状だと思っている限り、まず無くならないでしょう。

 

そもそも、被害妄想とは何か? 被害妄想は何故生み出されるのか? そのメカニズムを知らずに治そうとしても治るはずもありません。

逆にメカニズムを理解すれば、何処をどのように改善したら良いのかが分かります。

被害妄想は「疑心暗鬼」です。

疑心暗鬼は病気ではありません。

しかし、疑心暗鬼は不安を生み、その不安が病気を発症させる原因になるのです。

その疑心暗鬼は何故生まれるのか?

疑心暗鬼の語源は「疑心、暗鬼を生ず」です。

疑心暗鬼を生ずとは、疑いの心をもって見ると、なんでもないことでも疑わしく見えてくるということのたとえです。

つまり、疑う心。

自分を疑う、他人を疑う。

その疑う心が何故生まれるのか?

その原点に戻り、そこから改善しなければ疑心は消えないのです。

病気は治療で治せても、疑心の改善は出来ません。

「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」は、その疑心を改善する事を目的として書いた本です。

 

 

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被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する

うつ病や統合失調症の治療を受けても被害妄想が無くならない、この本はそんなお悩みをお抱えている方の為の本です。
治療を受けても被害妄想が無くならないのは何故でしょう?何故 被害妄想は起きるのでしょうか?そもそも被害妄想は病気の症状なのでしょうか?
治療を受けても被害妄想が無くならない方は、そこから見直すべきではないのでしょうか?
この本は、被害妄想が何故起きるのか、何をどうすれば被害妄想が消えるのかを書いています。
被害妄想でお悩みの方は、ぜひ一度ご覧ください。

客観視を取り戻す為に

被害妄想に陥っていると、客観的な判断力や思考力が失われ、全てに於いて主観的になってしまう。

一旦客観視を失い主観的になってしまうと、客観視を取り戻す事は容易ではなくなってしまう。

主観的になってしまった人に、客観視を取り戻させる為の有効な手段が「他人の振り見て我が振り直せ」である。

被害妄想に陥っている人は、自分がサスペンスドラマの主人公にでもなったような感覚を抱いている。

しかし、同じ様な被害妄想を抱いている人を見た時には、意外と客観的に見られる人も多い。

同じ様な被害妄想を抱いている人の行動を愚かしく滑稽に感じれば、自分も他人から見れば同じ様に見えていると理解させれば客観視が戻り易くなる。

つまり、サスペンスドラマの主人公になりきっている人に羞恥心を芽生えさせるのだ。

それを意図して書いたのが「電波な人々」と「電波な人々Ⅱ」だ。

しかし、この2冊は文章だけで伝えている為、文章を読んだイメージはそれぞれ異なってしまう。

イメージの相違は共通認識の相違であり、共通認識が違えば意思の疎通は図れない。

この、話し手と聞き手のイメージの相違は、被害妄想の解消に於いて大きな障害となる。

そこで、新たに書いたのが「電波な人々Ⅲ」だ。

この著書は、youtubeに投稿されている動画にリンクして、何をどの様に勘違いしているのかを解説する形にしている。

言葉による伝達はイメージの相違を生じ易いが、映像での解説はイメージの相違を解消して共通認識を得られ易く、客観視を復活させる為には有効な手段である。

例えば「電波な人々Ⅲ」でリンクを貼っている動画に、電磁波過敏症のテレビニュースをUPした動画がある。

その中に、帽子の中にアルミ箔を貼り電磁波対策をしている人の映像がある。

何の説明も無ければ、アルミ箔は電磁波を遮断すると思って納得して見てしまうだろう。

しかし、アルミ箔を貼った帽子で電磁波の影響が少なくなったと言っている時点で、電磁波過敏症では無い事を証明しているのだ。

何故なら、アルミ箔は電波を遮断する事は確かだが、電波を受信もしてしまう。

電波の受信は金属で出来ているアンテナで受信する。

「帽子の中にアルミ箔を貼ってかぶる」と言う事は、帽子の中にアンテナを設置していると同じ事だ。

アルミ箔なので受信面積が広く、より多くの電磁波を受信してしまう形状になっている。

しかも、そのアルミ箔は頭に密着しているので、受信した電波を体に直接流している状態になっている。

電磁波を集める帽子をかぶって症状が和らぐのであれば、電磁波過敏症では無いと言う事だ。

 

その映像を、こうした理屈を知っている人が見たら、実に馬鹿げた主張にしか聞えない。

番組自体は大真面目な番組だけに、馬鹿げた行為を大真面目にやっている姿が滑稽に見える。

その感覚を体験させれば、初期段階なら客観視を取り戻せる。

 

集団ストーカーと言う思想を知らない人の為の説明

洲本の事件やボウガンの事件で耳にする「集団ストーカー」と言う言葉。
何も知らない人なら「集団でのストーカー行為」などと理解するだろう。

また「被害妄想」なら説得で理解させる等、何らかの対処が出来ると思うだろう。

しかし、集団ストーカーと言う思想はそんな生易しい物ではない。
集団ストーカー思想はカルト宗教だと思えば分かりやすい。

神を犯行組織に置き換え、「神の御業」を「犯行」に置き換えた物が集団ストーカーと言う思想だ。

カルト宗教を妄信している人に「そんな神様はいない」と言っても「神は絶対にいる」と言うのと同じ様に、集団ストーカーなど存在しないと言っても「集団ストーカーは絶対存在する」と信仰を捨てない。

「神はいつも貴方を見守っています」と言う教えが「犯行グループは常に貴方を監視しています」に置き換えられる。

信仰していない人には「日常の出来事」でも、信仰している人には「神のご加護」と受け止めるのと同じ様に、日常の出来事を「ストーカー行為」と受け止める。
道で咳をする人に出あったり、マスクをしている人を見かけたり、そんな日常の何気無い出来事をストーカー行為と受け止める為に、集団でストーカーされていると言う事になる。

厄介なのは、そんな感覚を持って生活していれば継続的なストレス状態になり、自律神経のバランスが崩れて体調不良に陥る。
集団ストーカー思想では、その体調不良を電磁波や超音波による攻撃と教える。
そもそも宗教に入信しようと言う人は、宗教に救いを求めて入信する。
それは集団ストーカー思想に取り付かれる人も同じだ。

元々社会性が低い為に社会に馴染めず、ストレスを溜め込んでいる人達なので、集団ストーカー思想に出会う前から体調不良を抱えていたりする。
違う表現をするなら、集団ストーカー思想とは究極のネガティブ思考である。
集団ストーカー思考に出会う前からネガティブ思考の人が、集団ストーカー思考に出会う事で究極のネガティブ思考になる。

通常のネガティブ思考は単なるマイナス思考なのだが、究極のネガティブに陥ると、見えている世界、感じる世界も写真のネガの様に反転してしまう。

ネガもポジも同じ物を写した物なのだが、ネガに写っている世界とポジに写し出されている世界は全くの別世界だ。

ポジの写真ではにこやかに笑っている写真でも、ネガで見ると不気味に見える。
集団ストーカーを信奉する人が感じている世界は、そんなネガの様な世界なのだ。
つまり、集団ストーカー思想は感覚の反転である。
この感覚の反転で、彼等の感覚や被害を分かりやすく説明しよう。

恐怖の毒ガス「O2C」
この恐怖の毒ガスO2Cは人を死に至らしめ、地球の環境にも影響を与える。
そんな毒ガスが、至る所からばら撒かれている事実を知ってしまった。

自動車にも排出装置が秘密裏に組み込まれ、工場などにも排出装置が設置されている。
これは国家的な陰謀で、国家に不要な人間を人知れず合法的に抹殺しようとしているに違いない。

O2CとはCO2のCとO2を反対にしただけで、二酸化炭素の事である。
この二酸化炭素のように当たり前にある物を、O2Cと言う毒ガスだと思い込んでいるのが集団ストーカーを信じている人達である。

集団ストーカー(ガスライティング)13年間の研究レポート

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集団ストーカー(ガスライティング)13年間(平成23年現在)の研究レポート
かつてはネット限定だった集団ストーカーやガスライティングと言う言葉が、マツダ工場暴走無差別殺傷事件等で新聞にまで使われるようになって来た。

初めて集団ストーカーやガスライティングと言う名称を聴く人には、それが何なのか分からないだろう。

そこでこのページも少し書き換えてみた。

その最大の趣旨は、情報の非対称性を生まない事である。
こうした言葉が個人レベルで騙られている内は良いが、こうした言葉を金儲けに利用しようとする輩が必ず出てくる。

被害を訴える人の社会復帰に繋がる仕事をして対価を得るのであれば異論は無い。

しかし、不安を煽って利益を上げようとする輩が必ず出てくる。
集団ストーカーで検索すると100万件を超える件数がHITする。

その大半が「自称被害者」と呼ばれる人たちが書いたブログであり、実態の研究や調査を書いているページは皆無に等しい。

それは、すでに情報の非対称性が始まっていると言える。

それまで集団ストーカーという言葉を知らなかった人が、ネットで情報を得ようとすれば「逆選択(集合的無知)」に陥る。

そして、100万件以上あるのだから、一つ位は本当の被害もあるだろうと考えてしまい、否定できなくなってしまう。

私と同業の調査会社も、肯定してれば金になると想い、作り話で「実際にありました」等と不安を煽り立てる。
いや、意外と本気でそう思っていたりもする・・・調査会社ではないが司法系で実際にいた。

すると、調査会社も確認しているのだからと、逆選択に拍車が掛かる。

そうなれば、第2、第3のマツダ事件が誘発される。
いや、今まででも有ったのだが、集団ストーカーという言葉が使われていなかっただけなのだ。

調査会社が安易に不安を煽り立てて金儲けに走る事は、そうした犯行を助長する事になりかねない。

それは集団ストーカーやガスライティングを訴える人や家族にとっての不幸であり、その犯行の犠牲になった人やその家族、そして社会にとっても不幸である。

そうした不幸を少しでも減らす為に、ここでは出来るだけ論理的に集団ストーカーやガスライティングと言う物を説明して行きたいと思う。

 

集団ストーカー(ガスライティング)とは一体何か?

現実なのか? 妄想なのか? それとも心の病なのか?

ネット上では様々な意見が飛び交っている。

しかし、実際にはその前提から既に間違っている。

まず妄想と言う言葉が、適切ではない。
まずこの映像を見て欲しい。

 

 

これは「マジックドラゴン」と言うペーパークラフトである。
この映像を見ると、マジックドラゴンは首を振って自分を見続けているように見える。

しかし、このマジックドラゴンは、全く動いておらず、首を振っている訳でも、自分を見続けている訳でもない。

しかし、何度見ても自分を見続けているように見える。

これは妄想だろうか?

どんなに「ペーパークラフトが動く訳が無い」と説得しても、動いて見える事には変わりはない。

それを「妄想」と言えるのだろうか?

この映像を見た人にとって、自分を見続けているように見えるのは「事実」であり、確かに自分を見続けているように見えている。

しかし、その事を誰かに話したら、それは「妄想だ」と言われたらどんな気がするだろう?
確かに見えているのに、周りの人はそれを「妄想だ」と言う。

マジックドラゴンを見ている人は、自分が正しく、周りの人が間違っていると思うだろう。

しかし、マジックドラゴンを見ている人には事実であっても、真実ではない。

実際には、マジックドラゴンが自分を見続けているように見えるのは「錯視」である。
そして、このマジックドラゴンが「監視妄想」のメカニズムでもある。

さて、ここで「監視妄想」と言う言葉を使った。
しかし、この原理からすると「監視妄想」ではなく「監視錯視」と言った方が適切な表現ではある。

しかしながら、「監視錯視」と言う言葉を使うと「監視妄想」とは別物と認識してしまう人もいるので、便宜上「妄想」と言う言葉を使用している。
さて、次に「ストーカー」なる言葉だが、この言葉も今一度認識を改める必要がある。
ストーカーの意味としては、「特定の他者に対して執拗に付き纏う行為を行う人間の事」なのだが、それは一面的な見方でしかなく、ストーカーなる言葉が使われる時、得てしてこの一面だけの印象を植え付けられる。

しかし、ストーカーと言う言葉を的確に表現するならば「好きな人にされると嬉しい事を、嫌いな人にされる事」である。

例えば、恋心を抱いていた人に待ち伏せされて、告白されれば嬉しいが、その人と喧嘩別れして待ち伏せされればストーカーと言われる。

また、カルト宗教に入信してしまった人を、家族が救い出そうとすれば、家族がストーカーになり、そのカルト宗教から脱退しようとした時に、信者が連れ戻そうとすれば信者がストーカーになる。

そして、カルト宗教に入信して、その後に脱会した人でも、入信した頃は必ず「心地よさ」を感じている。

少し話は変わるが、人には究極の幸せが4つ有ると言う。
「人に愛される事」「人に褒められる事」「人の役に立つ事」「人に必要とされる事」

その幸せが、誰もが持つ人間としての願望であり、願望が叶わなければ「満たされない」と感じるのである。

私は宗教は嫌いだが、宗教の教えや活動にはそうした事が含まれている。
それ故に、満たされないと感じている人は、宗教に関心を持ち、入信した時には「心地よさ」を感じるのである。

逆に言えば、満たされている人は宗教に関心を示さない。

つまり、満たされていない人は、宗教の執拗な勧誘を「必要とされている」と感じたりするが、満たされている人は「煩わしい」と感じたりする。
そして、宗教団体から脱退した人は、引きとめようとする信者に「煩わしさ」を感じたりする。

しかし、満たされている人が感じる「煩わしい」と言う感覚と、脱退者の「煩わしい」と言う感覚は、似て非なる物であるのだが、満たされている人は、自分の持つ「煩わしい」と言う感覚と同じ感覚だと思ってしまう。

ここで重要な事は、文字で書くと同じ「煩わしい」と言う言葉でも、その言葉に含まれる意味や感覚は人によって異なると言う事である。
集団ストーカー(ガスライティング)を理解する上で、少なくともこれだけの予備知識は必要だと私は思う。

この予備知識を踏まえた上で次へ進もう。

 

集団ストーカー(ガスライティング)は複数の要因から成り立ち、その複数の要因には、要因の要因、更には要因の要因の要因がある。

そうした要因を書き出すと以下の要因があり、それらの要因が複雑に絡み合いっている。

集団ストーカー(ガスライティング)の要因

1. 不安
2. 情報の非対称性
3. 脳(前頭葉)の機能低下
4. 孤独
5. マインドコントロール
6. 神経及び精神疾患
7. 社会性の欠如

ネット上では「集団ストーカー(ガスライティング)=統合失調症」との風聞が高い。
それは医師の診断にも同じ様な傾向がある。

しかしそれは誤りであり、その誤りが誤診を生む。

そうした誤診を防ぐ為にも、こうした要因の相関関係を理解する事が必要と考えられる。
こうした要因の中で最も重要な要因はマインドコントロールである。
集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールに陥りやすい要因として、様々な疾患があり、その疾患の症状としての不安や孤独もあれば、逆に疾患の原因としての不安や孤独もある。

その不安や孤独を引き起こす要因として多いのが「社会性の欠如」であり、発病する事でも社会性は失われる。

また、マインドコントロールによっても前頭葉の機能が低下し、病を発症する事でも脳の機能は低下する。
更に元々前頭葉の機能が低かった人はマインドコントロールに陥りやすい傾向にある。

そして、疾患を発症していない人でもマインドコントロールによって不安に落とし込まれ、その不安によるストレスから病を発症する。

そのマインドコントロールの入口となる物が「情報の非対称性」であり、情報の非対称性が不安を生む要因となる。

そして、前頭葉の機能が低下している人や、心に病を持った人が、そうした情報の非対称性を作り出し、そうして作られた情報の非対称性が、新たなる要因を持つ人を不安に陥れる。

こうした要因の連鎖がスパイラル化した物が、現在の集団ストーカー(ガスライティング)である。

 

確かに、集団ストーカー(ガスライティング)を主張する人の言動は、統合失調症の人の言動に酷似している。

しかし、マインドコントロールと言う視点で見ると、集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールによって「統合失調症」の人と同じ言動を「言わされている」と言う事も見えて来る。

単なる不安症の人が、集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールで、統合失調症の人と同じ言動をして、統合失調症と診断されてしまえば、統合失調症の処方がされてしまう。

そうなると、その薬の作用が症状と誤診され、薬が効かない=強い薬となり、何時までも治らないと言う危険性も出てくる。

また、本当に病気の人が集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールにより、薬が効いていてもおかしな言動を繰り返し、治療の効果が見られないと判断される危険性もある。

更に、集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールにより、投薬の効果が薄れる事すらありえる。

集団ストーカー(ガスライティング)を唱える者を治療する場合、治療と同時にマインドコントロールを外す必要がある。

しかし、医師にマインドコントロールと言う概念が無ければそれも難しい。

間違えやすいのは、集団ストーカー(ガスライティング)=監視妄想と見てしまう事である。

集団ストーカー(ガスライティング)は監視妄想であって監視妄想ではない。
マインドコントロールによって監視妄想に陥っている人と、精神疾患等から来る監視妄想をマインドコントロールによって確信させられている人は、似て非なる物であって同じではない。

かと言ってマインドコントロールによって監視妄想を持っている人が、健康な人かと言えばそうでもない。

その多くが原因不明の体の不調を持っていたり、体調不調に気付いていなかったりしている。
原因不明の不調で多いのが、めまい系の症状や、耳鳴り系の症状であり、これらの多くは自律神経系の疾患であったり、神経過敏による症状である。

そして、気付かない不調がドライアイであったり、「難聴」であったりする。
ドライアイは「疲れ目」程度にしか思わず、難聴は脳で補完されて聞こえている為、自分が難聴であるとは気付かない。

そして、その補完が幻聴と間違われ易い。

また、妄想を伴う精神疾患は統合失調症に限った事ではない。
鬱病にしろ、躁うつ病にしろ、妄想は伴う。

集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールの厄介な所は、そうした異なる疾患から来る妄想の言動が、統合失調症タイプの言動に統一されてしまう所にある。

まずは、妄想とは何か?を考えるべきだろう。

彼らの妄想の原点は「不安」である。

 

人は不安になると、怯えが生じ始める。
人は怯えると、周囲を警戒し始め「怪しい」と思う物を探そうとする。

では「怪しい」とは何か?
それは「知らない」と言う事である。

知らない事、理解できない事、理不尽に思える事、そうした事を怪しいと感じ、怪しいと思える物を「探し」始める。
そして、不安を解消する為に知ろうとする。

問題は「探す」と言う事だ。

「怪しい」と言う事は「知らない」と言う事であり、怪しいと思える物を探すと言う事は、「自分が知らない事(物)を探す」と言う事である。

しかし、本人には「怪しい」=「知らない」と言う意識は無く、単に「怪しい」と言う認識しか持っていない。

知らない物を探そうとすれば、自分の回りは知らない物に満ち溢れている。
つまり、怪しいと思う物を探し始めれば、全てが怪しく思えてしまう。

そして調べ始める。

しかし、自分にとって重要な事や、興味のある事だけしか知ろうとせず、それ以外の事はスルーする傾向が強くなる。

その結果、知識のつまみ食い状態に陥り、基本原理も知らずに現象同士を想像で繋ぎ合わせる。
それが彼等の妄想の特徴だ。

 

さて、それでは何故そのような「不安」が出るのだろう。
彼等は必ずと言って良いほど原因不明の体調不良を訴えている。

頭痛や耳鳴り、目の乾きから皮膚病、心拍の急上昇に至るまで様々な症状を口にする。
そして、原因不明の原因を「攻撃」に求めるのだが、結論から言うと原因不明の体調不良とは「自律神経失調症などの自律神経症状」である。

この「原因不明」と言う物を少し考えてみよう。

例えば、心療内科で体調不良を訴えたとする。
すると、まず内科等で検査を受ける様に指示される。

そして、内科で異常なしと診断されると、自律神経失調症と診断される。

しかし彼等には、それが矛盾に感じる。
検査しても、体に異常が無ないのに病名が付けられれば、「無理に病気にさせられる」と言う感情を持っても不思議ではない。

しかし、体調不良が有るのにも関わらず、検査しても体に異常が無いからこそ「自律神経」なのである。
異常があれば別の病名が付いているし、異常が無ければ体調不良は起さない。

この自律神経症状は、鬱病や統合失調症にも共通した症状であり、この自律神経症状の一つに「不安感」がある。

 

マジックドラゴンの映像では、マジックドラゴンが自分を見続けているように見えたと思う。
しかし、マジックドラゴンは一切動いていない。

自分を見続けているように見える秘密は「凹凸の逆転」であり、これこそが監視妄想の原理でありマインドコントロールを受けた人が見えている感覚である。

マジックドラゴンの凹凸の逆転と同じく、自称被害者には感覚の逆転が見られる。

現実と非現実の逆転、多数と少数の逆転、日常と非日常の逆転、「する」と「される」の逆転などなど。

それは、youtube等にUPされている証拠映像にも見て取れる。

カメラで撮影しながら、遠くにいる怪しいと思う人の所まで行きストーカーされていると言っていたり、自分が車線をはみ出しているのに隣の車が幅寄せして来ると言っていたりする。

 

最も重篤な逆転が、「疑う」と言う事である。

社会性とは「信じる」事を基本として成り立っている。

その「信じる」が「疑う」に逆転すれば、社会性は失われる。
こうした感覚の逆転は全ての自称被害者に共通している。

感覚が逆転していれば、マジックドラゴンのように見続けられているという感覚に陥る。
集団ストーカーというマインドコントロールの外し方も、この映像に含まれている。

マジックドラゴンは、一定の角度を超えると錯視は起こらなくなる。
つまり錯視の起こらない角度から見れば、それが錯視で有る事に気付く。

つまり、認めようとしなかった事や、聞く耳を持たなかった視点に立てれば必然的に錯視は消える。

 

さて、ここからが難しい所だ。

錯視の起こらない所から見れば、錯視である事に気付くのだが、前いた位置に戻ればまた錯視は始まってしまう。
その為、一旦は抜けたかのように見えても、また元に戻ってしまう。

どれだけ「あれは錯視だ」と理解していても、どれだけ説得しても、自分を見続けているように見えてしまう。

何時までも自分を見続けている様に感じていれば、錯視である事が信じられず、説得は騙そうとしているとしか思えない。

 

自称被害者の友人知人や家族の人が、ネットで調べただけで対処する事がどう言う事なのか?ネットの中の自称被害者に対する論議とはどういう事なのか?

こうした人達がこのマジックドラゴンの映像を見て、理解したつもりになって話を年する。
しかしそれは、理解したつもりになっているだけであり、本当の事は何も理解していない。

映像で見て理解しているのに何故理解していないのだろうか?
それは、単に映像を見ただけに過ないのであって、実際のマジックドラゴン を見ていないのである。

本当の外し方とは、この映像と現実の違いに有る。

実際にマジックドラゴンを作って肉眼で見ても、ほとんど錯視は起こらない。
マジックドラゴンの錯視は、カメラで映像化して初めて見事な錯視が起きる。

実際に自分で試した人にしかこの「格段の違い」は分からない。

それが「知識と経験のフィードバック」の重要性である。

映像だけの理解であれば、視点が戻れば同じ感覚に捕らわれてしまう。
しかし、現物で自分の肉眼で見れるようになればもう錯視は起こらない。
そして映像のマジックドラゴンの錯視を見ても、「錯視なんだ」と実感出来るようになる。

その感覚は実際のマジックドラゴンを見た人にしか理解できない。
これが「知っているつもりになっている」と「本当に知っている」の違いである。

 

この「知っているつもり」と言う物が、妄想を生み出す背景である。

集団ストーカーやガスライティングと言った物は、ネット社会の副産物のような物である。

ネットが普及する前にはその様な言葉は存在せず、その様な概念も存在しなかった。

それがネットと共に生まれて拡散して行った。

インターネットが普及し、何でもインターネットで調べる事ができる。

しかしその反面、「自分で確認する」事が希薄になっている。

マジックドラゴンの映像だけ見て「知っているつもり」になっているのと同じだ。

しかし「知っているつもり」の人は、その自覚が無く「知っている」と思い込んでいる。

それは「妄想」と同じであり、妄想を現実と思い込んでいる事に他ならない。

 

幻聴が聞える人の判定方法を考案した(隣人トラブル)

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隣人トラブルで多いのが、音や声が原因の物が多い。

それは時に事件にまで発展する。

また、集団ストーカーやガスライティングの被害を訴える人にも、「声が聞こえる」「音が聞こえる」と言う被害を訴える人は少なくない。

人は五感の情報で世界を認識しているので、存在しない声が聞こえていたらそれが幻聴であっても、その人にとっては存在しているとしか思えない。

以前は、録音して確認する方法を推奨していたが、「聞こえても存在しない声」で書いた人のように、録音を解析して声が存在していない事が確認されても、同じ所で同じ様に聞こえる人もいる。

しかも録音は、録音方法によって録音される音が変化してしまうし、機材も必要になる。

そこでもっと手軽で確実な方法を考案した。

 

幻聴が聞える人に、ある動画を見せると特有の反応が出る。

これは双極性障害や統合失調症、癲癇などの精神疾患の簡易的な判定にも使えると思う。

 

方法は簡単、1分程度で判別出来る。

まず最初にこの音声を聞く。(必ず先に進む前に、この音声ファイルを聞いて何と言っているのか確認する事

 

何と言っているように聞こえるだろう?

恐らく「バババーバ」に聞えると思う。

次に、下記のリンク先の動画を見ながら何と言っているかを聞く。

注意事項 : 必ず動画を見ながら聞くようにする事。

 

 リンク先の動画 ←クリック

 

恐らく、動画を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などに聞えると思う。

次に、この動画を目を閉じて、もう一度何と言っているのかを聞く。

本来なら、最初の音声ファイルと同じ様に「バババーバ」と聞えるはずである。

しかし、これが「バナナーナ」や「バザナーガ」など、「バババーバ」以外の聞え方をした場合、脳に機能障害が発生している可能性が高いと思われる。

 

さてこの判別法の原理を説明しよう。

最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを抜き取った物だ。

映像を見ずに純粋に音声だけを聞くので、脳の補完は行われない。

つまり音声ファイルで聞こえた声が、本来聞こえるべき声であり、最初にその聞える音声を確認しておく必要がある。

次に、映像を見ながら音声を聞くのだが、この映像は「ダダダーダ」と言う発音の映像に、「バババーバ」と言う音声が合成してある。

この「ダ」と言う発音と「バ」と言う発音には決定的な違いがある。

「バ」は破裂音であり、一度唇を閉じなければ発音する事は出来ない。

破裂音は「マ行」と「パ行」と「バ行」しかない。

脳は、口を閉じていない発音は、破裂音では有り得ないと判断して、似たような口の動きの発音である「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に補完してしまう為、映像を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などの声に聞えるのだ。

これを「音韻修復」と言う。

問題は、目を閉じて聞いた時にも「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に変換されてしまう事だ。

 

それは補完機能のON/OFFが出来なくなっている事を示し、補完要件が無くなっても脳に記憶されたイメージによって補完が続いている事を示している。

これは逆のケースで観察すると分かり易くなる。

癲癇の人にこの映像を見せた時には補完が行われず、映像を見ながらこの音声を聞いても「バババーバ」に聞えていた。

癲癇は、脳細胞のネットワークに起きる異常な神経活動である為、補完する神経が機能していないと考えられる。

 

過去、この画像を目を閉じても補完が行われていたのは、双極性障害(躁鬱病)や統合失調症の人であり、これらの疾患の人は補完がOFFにならない人と考えられ、癲癇の人は補完がONにならない人と考えられる訳だ。

目を閉じて音だけ聞くのも、音声ファイルだけ聞くのも同じ事である。

つまり、最初の音声ファイルだけを聞いた段階では補完のスイッチが入っていないので「バ」に聞えるのだが、映像を見ると補完のスイッチが入る。

通常の人は映像を見て補完のスイッチが入っても、目を閉じれば補完のスイッチが切れるのに対し、脳に何らかの障害が発生している人は目を閉じても補完のスイッチが切れないと考えられるのだ。

聞え方の多くは、最初の一文字は「バ」に聞え、その後に続く文字に補完が見られる場合が多いので、スイッチがOFFになるというより、例えるなら「漏電的」な状態なのだろう。

この現象は聴覚だけでなく「視覚」に於いても同じ現象が起きている事を確認している。

例えば坂田利夫の写真が松山千春と同じ顔に見えていたりするのだが、雰囲気は違うが同一人物だと言ったりする。

これは一部の特徴的な部分から顔全体を補完している物と推測される。

また、「雰囲気は違うが」と言う部分が、リンク先の映像を見た後で目を閉じて聞いた時に、最初の一文字は合致しているが続く発音が「バナナ」の様に異なって聞えるのと同じ要因で発生していると考えられる。

 

この映像を見た後に、目を閉じて聞いても「バ」以外の声に聞える人は、補完要因が無い状態でも自分の抱いている世界のイメージによって補完が行われていると考えられる訳で、それが幻聴であると考えられる訳だ。

では何故、補完のON/OFFの切り替えが出来なくなるのだろうか?

精神疾患などの発症メカニズムから考えると納得しやすいと思う。

精神疾患はストレスによって引き起こされるのだが、ストレスホルモンは糖質なのでストレスホルモンが長期間分泌され続けると、血流の悪化する事により、必要な栄養素や酸素の供給が滞り、脳細胞がダメージを受ける事によって、脳の神経ネットワークがダメージを受けたり失われたりする。

その状態が脳の疾患であり、鬱病や躁鬱病、統合失調症などの精神疾患である。

また面白い反応を示す人もいた。

最初の音声ファイルを聞いた時には「バババーバ」に聞こえていた人が、映像ファイルで目を閉じて聞くと「バナナーナ」と聞こえ、もう一度音声ファイルを聞き直すと「バナナーナ」にしか聞こえなくなっていた。

つまり、ストレスで神経ネットワークがダメージを受ける事により、補完機能にも影響を受けると推測される。

また、脳の疾患と同じストレスによるメカニズムで、聴覚器官内にある有毛細胞にダメージを受けて発症する感音性難聴がある。

この感音性難聴も聴覚過敏を引き起こしたり、幻聴が聞こえる場合も有るのだが、その幻聴が聞えるメカニズムも「音韻修復」である。

因みに、映像を見ない段階で、最初の音声ファイルを聞いて「バババーバ」に聞えなかった場合、感音性難聴などの難聴系の疾患の可能性がある。

理由は、補完要因のない状態で音韻修復が行われていると言う事は、聞き取れていない部分を補完していると考えられるからである。

 

考えてみると、この「補完」と言う物が、全ての根源で一貫しているのかもしれない。

補完は見えない部分や聞えない部分を周りの情報から推測して行われる。

集団ストーカー妄想に陥っている人は「情報の非対称性」による逆選択状態にある。

その逆選択も「思考の補完」と発症要因は同じだ。。

故に、インターネットで調べ続ける限り思考の補完が行われ、集団ストーカーと言う補完が行われ続けるとも考えられる。

そして、脳のダメージにより目を閉じても音韻修復が続いてしまうのと同じ様に、脳のダメージ次第では情報を遮断しても集団ストーカーの補完が続いてしまうとも考えられる訳で、入院治療で情報が遮断されても集団ストーカー妄想が消えない人がいるのはこの為と思われる。