他者は自分を映す鏡

他人が何を考えているのか、それは本人にしか分からない。

「私は人にこう思われている」とか、「人に嫌われている」とか「人に好かれている」と言った、自分に対する他人の思いとして感じる事は、全て自分の考えでしかない。

それは他人に自分を投影して見ているに過ぎない。

つまり、他人とは「自分を写す鏡」であり、自分の中で作られた他人でしかないのだ。

長所も短所も含めた「ありのままの自分」を愛し受け入れられる人は、他人に写る自分も肯定的に写るが、ありのままの自分を愛せず受け入れられない人は、他人に映る自分の姿が否定的に写り、その人にさも嫌われているように思えてしまう。

その他人に写った自分の姿を、実際の他人の姿だとだと思い込む所に「自他境界の曖昧性」が生まれる。

それは実際の相手の自分に対する思いではなく、自分の自分に対する思いでしかない。

つまり、他人と言う鏡に映った自己評価を見ているに過ぎない。

それを、相手の思いとして思い込んでいるからこそ、自分と他人の境界が曖昧になっている状態なのである。

また、ありのままの自分を受け入れられず愛せない人は、ありのままの自分に嫌悪を抱き、理想とする自分を演じようとする。

故に、現実の自分を突き付けられても、受け入れる事が出来ない。

すると、受け入れられない自分(コンプレックス)を相手に投影し、投影した相手を嫌悪する事で自尊心を守ろうとする。

分かり易く言えば、他人を悪者にすれば自分は被害者になれる。

被害者でいる限り非は相手にある事になり、自分に非がある事を認めずに済む為、自尊心が守られる。

故に、自分が不遇である責任を他者や社会に求め、自分を変えようとはしない。

自分を変える事は嫌悪する自分を認める事にり、自尊心が傷ついてしまうので受け入れられないのだ。

故に集団ストーカー被害などの被害妄想を主張する人達は、病気を否定し病気である事を認めようとはせず、病気や治療の話をされると自尊心を守る為に猛然と抗議する。

(病気と診断される事は、現実の自分を突き付けられる事になり、治療で治す事は自分を変える事になる)

また、治療を受けている人も治療だけに頼り、自己改善をしようとはしない。

それは一種の依存である。

そうした感覚を生み出す原点となるのは、ありのままの自分を認められずに育てられた家庭環境が多大である。

故に、被害妄想を持つ者の血縁家族も、医師などの専門家に丸投げ傾向を持つ場合が多い。

そこに「共依存」が見え隠れしているケースも少なくない。

間違えてはならないのは、ありのままの自分を認められないとは、単に否定されて育つ事を意味している訳ではない。

ありのままとは、過大評価も過小評価も無い正当な評価を意味する。

自他境界が曖昧になると、自分と自分の中の他人の区別が付かなくなる。

その結果、自分が知っている事は自分の中の他人も知っている事になる為、他人に知られていると感じ始める。

すると、最初は盗聴、盗撮、監視されていると思い始め、曖昧度が増して来ると幻聴が聞こえたり、相手の考えが伝わってくるように感じたり、自分の考えが他人に筒抜けの様な感覚に襲われる事となる。

その感覚は先入観を生み視覚や聴覚にも影響(補完)を与える。

自他境界の曖昧性により被害妄想に陥っていれば、他者の言動や視線を異常に気にし始める。

すると脳は、自分に対する悪口などを聞き漏らさないように過敏に反応する。

すると、些細な音を悪口のような声に脳が変換してしまい、悪口として聞えてしまう。

視覚も同様に怪しくも無い人が、さも怪しげに見えてしまう。

それが「疑心暗鬼」であり、疑心暗鬼の語源である「疑心、暗鬼を生ず」の由来でもある。

つまり、被害妄想を持つ人の「悪口を言われた」とか「怪しい人の怪しい行動」も、他人に写った自分の心が生み出した産物でしかない。

自分の感じる世界とは、自分が認識している世界観で作られている。

それは、自分の認識が変われば感じる世界も変わるという事でもある。

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被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する

うつ病や統合失調症の治療を受けても被害妄想が無くならない、この本はそんなお悩みをお抱えている方の為の本です。
治療を受けても被害妄想が無くならないのは何故でしょう?何故 被害妄想は起きるのでしょうか?そもそも被害妄想は病気の症状なのでしょうか?
治療を受けても被害妄想が無くならない方は、そこから見直すべきではないのでしょうか?
この本は、被害妄想が何故起きるのか、何をどうすれば被害妄想が消えるのかを書いています。
被害妄想でお悩みの方は、ぜひ一度ご覧ください。

客観視を取り戻す為に

被害妄想に陥っていると、客観的な判断力や思考力が失われ、全てに於いて主観的になってしまう。

一旦客観視を失い主観的になってしまうと、客観視を取り戻す事は容易ではなくなってしまう。

主観的になってしまった人に、客観視を取り戻させる為の有効な手段が「他人の振り見て我が振り直せ」である。

被害妄想に陥っている人は、自分がサスペンスドラマの主人公にでもなったような感覚を抱いている。

しかし、同じ様な被害妄想を抱いている人を見た時には、意外と客観的に見られる人も多い。

同じ様な被害妄想を抱いている人の行動を愚かしく滑稽に感じれば、自分も他人から見れば同じ様に見えていると理解させれば客観視が戻り易くなる。

つまり、サスペンスドラマの主人公になりきっている人に羞恥心を芽生えさせるのだ。

それを意図して書いたのが「電波な人々」と「電波な人々Ⅱ」だ。

しかし、この2冊は文章だけで伝えている為、文章を読んだイメージはそれぞれ異なってしまう。

イメージの相違は共通認識の相違であり、共通認識が違えば意思の疎通は図れない。

この、話し手と聞き手のイメージの相違は、被害妄想の解消に於いて大きな障害となる。

そこで、新たに書いたのが「電波な人々Ⅲ」だ。

この著書は、youtubeに投稿されている動画にリンクして、何をどの様に勘違いしているのかを解説する形にしている。

言葉による伝達はイメージの相違を生じ易いが、映像での解説はイメージの相違を解消して共通認識を得られ易く、客観視を復活させる為には有効な手段である。

例えば「電波な人々Ⅲ」でリンクを貼っている動画に、電磁波過敏症のテレビニュースをUPした動画がある。

その中に、帽子の中にアルミ箔を貼り電磁波対策をしている人の映像がある。

何の説明も無ければ、アルミ箔は電磁波を遮断すると思って納得して見てしまうだろう。

しかし、アルミ箔を貼った帽子で電磁波の影響が少なくなったと言っている時点で、電磁波過敏症では無い事を証明しているのだ。

何故なら、アルミ箔は電波を遮断する事は確かだが、電波を受信もしてしまう。

電波の受信は金属で出来ているアンテナで受信する。

「帽子の中にアルミ箔を貼ってかぶる」と言う事は、帽子の中にアンテナを設置していると同じ事だ。

アルミ箔なので受信面積が広く、より多くの電磁波を受信してしまう形状になっている。

しかも、そのアルミ箔は頭に密着しているので、受信した電波を体に直接流している状態になっている。

電磁波を集める帽子をかぶって症状が和らぐのであれば、電磁波過敏症では無いと言う事だ。

 

その映像を、こうした理屈を知っている人が見たら、実に馬鹿げた主張にしか聞えない。

番組自体は大真面目な番組だけに、馬鹿げた行為を大真面目にやっている姿が滑稽に見える。

その感覚を体験させれば、初期段階なら客観視を取り戻せる。

 

集団ストーカー妄想は治療で治す事が困難な理由

洲本で発生した事件」で、「妄想性障害との診断を受けて治療してもマインドコントロールを外さない限り良くなる事はない。」と書いた事に対する質問メールがあったので、ここで書こうと思います。

ご質問内容は「集団ストーカー妄想は病院で治療を受けても治らないのでしょうか」と言った趣旨の内容でした。

 

それが単なる被害妄想であれば、投薬治療で不安を抑えれば被害妄想も薄れて来ます。

しかし、集団ストーカーと言うマインドコントロールに陥っていれば、投薬治療だけでは被害妄想を消す事は困難です。

 

そもそも、集団ストーカーなる物は、妄想とは少し様相が異なります。

集団ストーカー(ガスライティング)13年間の研究レポート」に掲載しているマジックドラゴンの映像を一度見てください。

この映像のマジックドラゴンは単なるペーパークラフトなので動くはずもありませんが、誰が見ても首を振って自分を見続けるように見えます。

これは妄想でしょうか?

妄想ではなく、確かに首を振っているように見えるので、それは妄想ではなく現実です。

実はこれ、妄想ではなく「錯視」が起きているのです。

つまり、集団ストーカーとは妄想ではなく、このマジックドラゴンの映像と同じ「錯視」なのです。

ですので、実際には「集団ストーカー妄想」ではなく、「集団ストーカー錯視」と言った方が現実に即しているのです。

 

例えば、洲本事件の平野容疑者が海で溺れていたとします。

溺れている平野容疑者を助けようと、洲本事件の被害者が手を差し伸べたとします。

集団ストーカーで電波攻撃を仕掛けて来ると思い込んでいる平野容疑者が、集団ストーカーの犯人と思い込んでいる人から差し伸べられた手を見てどう思うでしょう?

助けようとする手に見えるでしょうか? それとも突き放そうとする手に見えるでしょうか?

恐らく自分を突き放して殺そうとする手に見えて(感じて)しまいます。

 

では何故、自分を突き放して殺そうとする手に見えてしまうのでしょうか?

それがマジックドラゴンと同じ原理なのです。

マジックドラゴンの映像が首を振り自分を見続けているように見える原理は、凹凸の逆転です。

通常凸ている所が凹んで入る為に、脳が凹んでいる所を凸と認識してしまう為にこの様な錯視が起きるのです。

溺れている例も、これと同じ「反転の原理」なのです。

 

では集団ストーカー妄想に陥っている人は、何が反転しているのでしょう?

それが「信頼と不信」です。

他者を信頼していれば、差し伸べられた手は自分を助け様とする手に見えますが、他者に不信を抱いていれば自分を突き放そうとする手に見えて(感じて)しまうのです。

その為、集団ストーカーの被害を主張している人は、例外なく感覚が反転しているのです。

例えば「防犯パトロール」などの見守り活動が「監視活動」に見え(感じ)、気遣いや思いやりが「ハラスメント」になり、善意を悪意に感じ、人間にとって敵意の無い事を表す笑顔を敵意と捉え、自分との関連性の無い物に関連性を持って感じてしまうのです。

錯視により実際にその様に見えたり感じたりしているのですから、それは考想による「妄想」とは異なります。

また、見えている物の認識にも問題を感じる事が多々有ります。

例えば何処にでも先回りして監視している人の証拠写真と言って見せられた写真が、私が見るとまったくの別人なのですが、その人には同じ顔に見えていたりします。

それは坂田利夫の顔が松山千春に見えている状態で、特徴的な類似点「音韻修復」と同じ原理で顔を補完して見せていると考えられるのです。

錯視に対して妄想の治療やカウンセリングを行っても、根底が違っているのですから効果は期待出来ませんよね。

 

その錯視を引き起こしているのが、集団ストーカーと言うマインドコントロールなのです。

集団ストーカーと言う概念は、他者に対する不信を植え込み錯視を起させる概念なのです。

とは言う物の、普通の人は集団ストーカーなどと言う概念を知っても、どこぞの異常者が妄想で書いた物としか思えない内容です。

参項リンク(集団ストーカー、ガスライティング、ギャングストーキング、電磁波犯罪、テクノロジー犯罪は全て同意語です)

リンク先の注意:これは数ある集団ストーカー妄想の一系統にしか過ぎませんし、書いてある事は何処にでもある日常です)

 

その異常者としか思えないと思っていた人ですら、条件さえ揃ってしまえば陥ってしまうのが集団ストーカーと言うマインドコントロールなのです。

その要因やメカニズムはかなり複雑ですので、それは著書をご覧ください。

 

錯視を引き起こさない様にするには、マインドコントロールを外すしかありません。

これは容易な事ではありません。

集団ストーカーの被害を主張する人の脳は不安に支配されており、その不安は扁桃体より発しています。

どれほど言葉を尽しても、扁桃体から生じる不安には勝てません。

扁桃体に言葉は通じないのです。

集団ストーカーと言うマインドコントロールが無ければ、投薬治療で不安を抑えれば必然的に被害妄想は薄れますが、投薬で不安を抑えても見えている世界が自分に危害を及ぼすように見えていれば不安は消えません。

不安とは漠然とした物なので明確な物は何も無く、単に不安に感じているだけですので、不安が薄まれば必然的に感じ方も薄まります。

それが投薬治療の効果です。

 

しかし、集団ストーカーと言う概念を植え付けられてしまうと、漠然とした物が明確になり、不安が恐怖へと変わります。

分かり易く説明すると、不安とは暗闇の中に何かが潜んでいると感じて怖がっている状態で、不安が消えるという事は暗闇に照明を付けて見えるようにする事です。

怖がっていた暗闇が明るく照らし出され、そこに何も潜んでいない事が分かれば怖さは薄れます。

そうした不安に対し、恐怖は暗闇が明るく照らされて見えるようになった時、そこに猛獣が潜んでいたような状態です。

これでは投薬治療で不安が和らいでも、恐怖が消える事はありませんよね。

つまり不安とは「暗闇の中の手探り状態」であり、恐怖とは「明確な脅威に対する恐れ」と言う違いになります。

集団ストーカーと言う概念は、暗闇の中に猛獣を見付けさせる概念なのです。

暗闇の中に猛獣を見付けさせられていたら、投薬治療で暗闇が明るく照らされても恐怖が消える事はないのです。

問題はどの程度集団ストーカーのマインドコントロールの影響を受けているかです。

これは、その人に元々備わって行った他者への信頼度(社会性)により個人差があり、その個人差は乳幼児期から青年期までの家庭環境によって変わります。

 

この不安と恐怖の違いがマインドコントロールに陥る原因の一つでもあるのです。

不安とは漠然としており「お化け」のような物で掴み処がありません。

すると不安を抱えている人は不安を払拭しようと、糸口を探そうとします。

集団ストーカーと言う概念はその糸口なのです。

集団ストーカーと言う概念で糸口を掴み相手が明確になる事で、不安が恐怖に変り「不安が解消される」のです。

違う表現をするなら、目標や仕事も持たずに将来に不安を感じていた人に、目標や仕事が出来て将来に希望を持ったような物です。

集団ストーカーと言う概念は、集団ストーカーの被害を主張する人にとっては希望ですので、集団ストーカーと言うマインドコントロールを外そうとする事は、その人の希望を奪う事でもあるのです。

希望を奪われる事は誰でも嫌ですよね。

その為、集団ストーカーと言う物にに捕らわれている人は、治療の先の自分が分からない為に治療に不安を抱き、集団ストーカーと言う希望にしがみ付こうとするのです。

これも感覚の反転ですね。

そうした集団ストーカーによる感覚の反転を是正する方法は、投薬治療ではなく「他者に対する信頼」を芽生えさせる事なのです。

 

 

幻聴が聞える人の判定方法を考案した(隣人トラブル)

※ 電子ブック「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」アマゾンにて販売中!

 

隣人トラブルで多いのが、音や声が原因の物が多い。

それは時に事件にまで発展する。

また、集団ストーカーやガスライティングの被害を訴える人にも、「声が聞こえる」「音が聞こえる」と言う被害を訴える人は少なくない。

人は五感の情報で世界を認識しているので、存在しない声が聞こえていたらそれが幻聴であっても、その人にとっては存在しているとしか思えない。

以前は、録音して確認する方法を推奨していたが、「聞こえても存在しない声」で書いた人のように、録音を解析して声が存在していない事が確認されても、同じ所で同じ様に聞こえる人もいる。

しかも録音は、録音方法によって録音される音が変化してしまうし、機材も必要になる。

そこでもっと手軽で確実な方法を考案した。

 

幻聴が聞える人に、ある動画を見せると特有の反応が出る。

これは双極性障害や統合失調症、癲癇などの精神疾患の簡易的な判定にも使えると思う。

 

方法は簡単、1分程度で判別出来る。

まず最初にこの音声を聞く。(必ず先に進む前に、この音声ファイルを聞いて何と言っているのか確認する事

 

何と言っているように聞こえるだろう?

恐らく「バババーバ」に聞えると思う。

次に、下記のリンク先の動画を見ながら何と言っているかを聞く。

注意事項 : 必ず動画を見ながら聞くようにする事。

 

 リンク先の動画 ←クリック

 

恐らく、動画を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などに聞えると思う。

次に、この動画を目を閉じて、もう一度何と言っているのかを聞く。

本来なら、最初の音声ファイルと同じ様に「バババーバ」と聞えるはずである。

しかし、これが「バナナーナ」や「バザナーガ」など、「バババーバ」以外の聞え方をした場合、脳に機能障害が発生している可能性が高いと思われる。

 

さてこの判別法の原理を説明しよう。

最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを抜き取った物だ。

映像を見ずに純粋に音声だけを聞くので、脳の補完は行われない。

つまり音声ファイルで聞こえた声が、本来聞こえるべき声であり、最初にその聞える音声を確認しておく必要がある。

次に、映像を見ながら音声を聞くのだが、この映像は「ダダダーダ」と言う発音の映像に、「バババーバ」と言う音声が合成してある。

この「ダ」と言う発音と「バ」と言う発音には決定的な違いがある。

「バ」は破裂音であり、一度唇を閉じなければ発音する事は出来ない。

破裂音は「マ行」と「パ行」と「バ行」しかない。

脳は、口を閉じていない発音は、破裂音では有り得ないと判断して、似たような口の動きの発音である「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に補完してしまう為、映像を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などの声に聞えるのだ。

これを「音韻修復」と言う。

問題は、目を閉じて聞いた時にも「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に変換されてしまう事だ。

 

それは補完機能のON/OFFが出来なくなっている事を示し、補完要件が無くなっても脳に記憶されたイメージによって補完が続いている事を示している。

これは逆のケースで観察すると分かり易くなる。

癲癇の人にこの映像を見せた時には補完が行われず、映像を見ながらこの音声を聞いても「バババーバ」に聞えていた。

癲癇は、脳細胞のネットワークに起きる異常な神経活動である為、補完する神経が機能していないと考えられる。

 

過去、この画像を目を閉じても補完が行われていたのは、双極性障害(躁鬱病)や統合失調症などの精神疾患や不安障害などの神経症を持つ人であり、これらの疾患の人は補完が完全にOFFにならない人と考えられ、癲癇の人は補完がONにならない人と考えられる訳だ。

目を閉じて音だけ聞くのも、音声ファイルだけ聞くのも同じ事である。

つまり、最初の音声ファイルだけを聞いた段階では補完のスイッチが入っていないので「バ」に聞えるのだが、映像を見ると補完のスイッチが入る。

通常の人は映像を見て補完のスイッチが入っても、目を閉じれば補完のスイッチが切れるのに対し、脳に何らかの障害が発生している人は目を閉じても補完のスイッチが切れないと考えられるのだ。

聞え方の多くは、最初の一文字は「バ」に聞え、その後に続く文字に補完が見られる場合が多いので、スイッチがOFFになるというより、例えるなら「漏電的」な状態なのだろう。

この現象は聴覚だけでなく「視覚」に於いても同じ現象が起きている事を確認している。

例えば坂田利夫の写真が松山千春と同じ顔に見えていたりするのだが、雰囲気は違うが同一人物だと言ったりする。

これは一部の特徴的な部分から顔全体を補完している物と推測される。

また、「雰囲気は違うが」と言う部分が、リンク先の映像を見た後で目を閉じて聞いた時に、最初の一文字は合致しているが続く発音が「バナナ」の様に異なって聞えるのと同じ要因で発生していると考えられる。

 

この映像を見た後に、目を閉じて聞いても「バ」以外の声に聞える人は、補完要因が無い状態でも自分の抱いている世界のイメージによって補完が行われていると考えられる訳で、それが幻聴であると考えられる訳だ。

では何故、補完のON/OFFの切り替えが出来なくなるのだろうか?

精神疾患などの発症メカニズムから考えると納得しやすいと思う。

精神疾患はストレスによって引き起こされるのだが、ストレスホルモンは糖質なのでストレスホルモンが長期間分泌され続けると、血流の悪化する事により、必要な栄養素や酸素の供給が滞り、脳細胞がダメージを受ける事によって、脳の神経ネットワークがダメージを受けたり失われたりする。

その状態が脳の疾患であり、鬱病や躁鬱病、統合失調症などの精神疾患である。

また面白い反応を示す人もいた。

最初の音声ファイルを聞いた時には「バババーバ」に聞こえていた人が、映像ファイルで目を閉じて聞くと「バナナーナ」と聞こえ、もう一度音声ファイルを聞き直すと「バナナーナ」にしか聞こえなくなっていた。

つまり、ストレスで神経ネットワークがダメージを受ける事により、補完機能にも影響を受けると推測される。

また、脳の疾患と同じストレスによるメカニズムで、聴覚器官内にある有毛細胞にダメージを受けて発症する感音性難聴がある。

この感音性難聴も聴覚過敏を引き起こしたり、幻聴が聞こえる場合も有るのだが、その幻聴が聞えるメカニズムも「音韻修復」である。

因みに、映像を見ない段階で、最初の音声ファイルを聞いて「バババーバ」に聞えなかった場合、感音性難聴などの難聴系の疾患の可能性がある。

理由は、補完要因のない状態で音韻修復が行われていると言う事は、聞き取れていない部分を補完していると考えられるからである。

 

考えてみると、この「補完」と言う物が、全ての根源で一貫しているのかもしれない。

補完は見えない部分や聞えない部分を周りの情報から推測して行われる。

集団ストーカー妄想に陥っている人は「情報の非対称性」による逆選択状態にある。

その逆選択も「思考の補完」と発症要因は同じだ。。

故に、インターネットで調べ続ける限り思考の補完が行われ、集団ストーカーと言う補完が行われ続けるとも考えられる。

そして、脳のダメージにより目を閉じても音韻修復が続いてしまうのと同じ様に、脳のダメージ次第では情報を遮断しても集団ストーカーの補完が続いてしまうとも考えられる訳で、入院治療で情報が遮断されても集団ストーカー妄想が消えない人がいるのはこの為と思われる。