うつ病カテに見るうつ病資質

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うつ病資質

うつ病カテを見ていると、面白い傾向が目に付く。

 

症状や不安に思う事の相談に対して、心療内科や精神科の受診を奨める。
また、被害妄想などの相談では、直ぐに統合失調症と決め付けて、カテ違いを指摘する。

 

それは間違いでは無いが、正しくも無い。
そして、そこにこそうつ病の資質が有ると思う。

 

受診して早期に治療を行う事は間違いでは無い。
しかし、医師の所見が全ての様な回答を寄せる人には疑問符が付く。

 

それは、裏を返せば自分の判断を放棄し、判断を他人に委ねると言う事でもあり、自分自身の判断力の欠如とも言えるのだ。

 

また、被害妄想=統合失調症と言う考え方も、画一的思考の表れと言える。

 

そして、カテ違いの指摘は、杓子定規で融通性に欠けている。

 

それらは、うつ病を発症する資質である。

 

そもそも、被害妄想と思えば病気と直結させる思考は被害妄想に向き合っていない。
被害妄想に向き合えば、それが必ずしも病気の症状では無い事が分かるはずだである。

 

被害妄想とは疑心暗鬼になっているだけであって、病気ではない。
その被害妄想を直ぐに病気の症状と思えてしまうのは、文献などに病気の症状として書かれている事を話す代弁者でしかない。

 

つまり、そこに自分の意見は無く、それは自分が無いと言う事でもあり、そこに自我の薄さが垣間見える。

 

 判断力とうつ病

人の判断基準は何から来るのか?
本来なら自分の経験から判断するのだが、自らの経験の無い者は判断出来ない。
経験の無い者が何かを判断する時には、人の意見に耳を傾ける。

 

しかし、人の意見も十人十色で、誰の意見が正しいのかが分からず迷ってしまう。
様々な意見の中から何を選ぶのかを決めるのも、自分で判断しなければならない。

 

ここで大切な事は、何故迷ってしまうのか?と言う所にある。
迷う理由は、失敗や責任の回避である。
失敗したくない、損をしたくないと言う気持ちが迷いを生む。
失敗や損を恐れなければ迷う事は無い。

 

数ある他人の意見の中から、何を選んだら良いかが分からない時の判断材料は、権威性である。
権威のある人の意見だから信用出来る、有名な会社だから信頼出来ると言った具合に、判断の基準を権威に求めようとする。
また、権威性に次ぐ判断材料は数であり、同じ意見の多さを判断材料にする。

 

誰かの意見を聞き入れたのなら、失敗しても意見を言った人の責任にすれば良い。

 

判断材料を、権威性や数に頼ると言う事は自分の判断に自信が無い事の表れであり、自分に対する自信の無さと同義である。

 

それは自己評価の低さであり、それはうつ病の特徴でもある。

 

 経験の必要性

自らの経験による知識の無い者は、判断基準を権威性に求める。
つまり、判断基準を権威性に求める事は、経験不足を意味する。

 

自ら経験して得た知識は、経験の無い者が100人違うと言っても自分を信じられる。
その違いは天と地ほどの開きがあり、それが自信となる。

 

また、多くの失敗をする事で、失敗した時の対処やリカバリなどを身に付けられる。
失敗した時の対処やリカバリを身に付けていれば、失敗する事に然程不安は感じなくなるが、失敗の経験を持たなければ失敗する事に多大な不安を感じる。

 

その不安がストレスとなるので、経験の量とストレスの量は反比例の関係になる。
また、経験の量と自信は比例の関係にある。

 

インターネットが普及した現代では、知らない事でもネットで簡単に調べる事が出来る。
しかしそれは経験の伴わない知識でしかない。
そして、経験が無ければその真偽の判断が出来ないので、鵜呑みに信じてしまう。
それは、経験の無い知識を使う事で、何らかの責任や損益が生じる場合に多大なストレスに襲われる事となる。
しかし、経験の伴わない知識を集めている時には、その事に気付く事は無い。

 

 画一的思考とうつ病

画一的思考は多面的視野の欠如である。
これも、うつ病に多い傾向だ。
一つの視点でしか物事を見られないので、精神的に追い込まれてしまう。
例えば、残り時間が5分しかないと思えば焦りが出るが、5分もあると思えば焦りは出ない。
その焦りがストレスとなる。

 

また、画一的思考は「こうでなければならない」と、何事も枠に嵌った思考になる。
しかし世の中は常に変化している。
画一的思考では、その変化について行けない。
つまり、多様性に欠けるのだ。

 

多様性を持たずに変化に付いて行けなければ取り残される。
それは、孤立感や劣等感を生む。

 

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