「集団ストーカー」と「集団でストーカー行為」は別物

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昨日、茨城県・取手市で起きたボウガン事件。
警察は、別の傷害事件で逮捕された男性が関与していると見て捜査を進めていると言う。

その男が友人に集団ストーカーがどうのと話していたらしい。

洲本の事件から然程日が立っていないのに、またかよ!

検索ついでに数箇所クリックしてみると、二番目に表示されていたのが「集団ストーカーの被害を主張する人」だった。

なるほど、集団ストーカー被害者を主張する人はこのニュースをそう解釈する訳だ。
まあ想定通りの解釈である。
テレビのインタビューを受けていた人を「社会性が無いような話し方」とか「生活保護者?」とか。
まあ、お自称さんは感覚が逆転しているから、それは自分の状況なのだろう。

私としては、こうしたお自称さんより、一般人の印象の方が気にかかる。

この人も「集団ストーカー」を「集団で行うストーカー」と解釈しているようだ。

集団ストーカーと言う言葉を聞くと、知らない人なら「集団で行うストーカー行為」と理解するだろう。

しかし、彼等の主張する「集団ストーカー」と、通常の人の考える「ストーカー行為」は全く別物である。

ストーカー行為には実害があるが、集団ストーカーには何の実害も無い。
集団ストーカーには、ストーカーされている行為も証拠も犯人すらいない。

まあ、お自称さん達は実害も証拠も有ると主張するだろうが、youtubeに証拠映像としてUPされている動画は、カメラを持って道行く人を映しているだけ。

道行く人を犯人だと思い込んでいるから、こうした事件に発展する。

ボウガンで打たれた人は、この容疑者と何の接点も無いのだが、容疑者は犯人だと思い込み集団ストーカーの犯人だと思いこんでいるから加害行為に及ぶ。
それが「集団ストーカー」と言う物だ。

つまり、道を歩いている人や隣人を、勝手に犯人だと思い込んでいるから「集団」なのだ。

そして彼らの言う「ストーカー行為」とは、笑っていたり、咳をしたり、マスクを付けていたり、忘れ物を思い出して引き返したり、子供が笑いながら走っていたり、遊んでいたり、数字が揃ったナンバーの車に乗っていたり、同じ色の服を着ているのがストーカー行為と思っている。

故に、証拠などあるはずも無く、証拠映像としてUPしているのは単なる通行人でしかない。

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