うつ病カテに見るうつ病資質

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うつ病資質

うつ病カテを見ていると、面白い傾向が目に付く。

 

症状や不安に思う事の相談に対して、心療内科や精神科の受診を奨める。
また、被害妄想などの相談では、直ぐに統合失調症と決め付けて、カテ違いを指摘する。

 

それは間違いでは無いが、正しくも無い。
そして、そこにこそうつ病の資質が有ると思う。

 

受診して早期に治療を行う事は間違いでは無い。
しかし、医師の所見が全ての様な回答を寄せる人には疑問符が付く。

 

それは、裏を返せば自分の判断を放棄し、判断を他人に委ねると言う事でもあり、自分自身の判断力の欠如とも言えるのだ。

 

また、被害妄想=統合失調症と言う考え方も、画一的思考の表れと言える。

 

そして、カテ違いの指摘は、杓子定規で融通性に欠けている。

 

それらは、うつ病を発症する資質である。

 

そもそも、被害妄想と思えば病気と直結させる思考は被害妄想に向き合っていない。
被害妄想に向き合えば、それが必ずしも病気の症状では無い事が分かるはずだである。

 

被害妄想とは疑心暗鬼になっているだけであって、病気ではない。
その被害妄想を直ぐに病気の症状と思えてしまうのは、文献などに病気の症状として書かれている事を話す代弁者でしかない。

 

つまり、そこに自分の意見は無く、それは自分が無いと言う事でもあり、そこに自我の薄さが垣間見える。

 

 判断力とうつ病

人の判断基準は何から来るのか?
本来なら自分の経験から判断するのだが、自らの経験の無い者は判断出来ない。
経験の無い者が何かを判断する時には、人の意見に耳を傾ける。

 

しかし、人の意見も十人十色で、誰の意見が正しいのかが分からず迷ってしまう。
様々な意見の中から何を選ぶのかを決めるのも、自分で判断しなければならない。

 

ここで大切な事は、何故迷ってしまうのか?と言う所にある。
迷う理由は、失敗や責任の回避である。
失敗したくない、損をしたくないと言う気持ちが迷いを生む。
失敗や損を恐れなければ迷う事は無い。

 

数ある他人の意見の中から、何を選んだら良いかが分からない時の判断材料は、権威性である。
権威のある人の意見だから信用出来る、有名な会社だから信頼出来ると言った具合に、判断の基準を権威に求めようとする。
また、権威性に次ぐ判断材料は数であり、同じ意見の多さを判断材料にする。

 

誰かの意見を聞き入れたのなら、失敗しても意見を言った人の責任にすれば良い。

 

判断材料を、権威性や数に頼ると言う事は自分の判断に自信が無い事の表れであり、自分に対する自信の無さと同義である。

 

それは自己評価の低さであり、それはうつ病の特徴でもある。

 

 経験の必要性

自らの経験による知識の無い者は、判断基準を権威性に求める。
つまり、判断基準を権威性に求める事は、経験不足を意味する。

 

自ら経験して得た知識は、経験の無い者が100人違うと言っても自分を信じられる。
その違いは天と地ほどの開きがあり、それが自信となる。

 

また、多くの失敗をする事で、失敗した時の対処やリカバリなどを身に付けられる。
失敗した時の対処やリカバリを身に付けていれば、失敗する事に然程不安は感じなくなるが、失敗の経験を持たなければ失敗する事に多大な不安を感じる。

 

その不安がストレスとなるので、経験の量とストレスの量は反比例の関係になる。
また、経験の量と自信は比例の関係にある。

 

インターネットが普及した現代では、知らない事でもネットで簡単に調べる事が出来る。
しかしそれは経験の伴わない知識でしかない。
そして、経験が無ければその真偽の判断が出来ないので、鵜呑みに信じてしまう。
それは、経験の無い知識を使う事で、何らかの責任や損益が生じる場合に多大なストレスに襲われる事となる。
しかし、経験の伴わない知識を集めている時には、その事に気付く事は無い。

 

 画一的思考とうつ病

画一的思考は多面的視野の欠如である。
これも、うつ病に多い傾向だ。
一つの視点でしか物事を見られないので、精神的に追い込まれてしまう。
例えば、残り時間が5分しかないと思えば焦りが出るが、5分もあると思えば焦りは出ない。
その焦りがストレスとなる。

 

また、画一的思考は「こうでなければならない」と、何事も枠に嵌った思考になる。
しかし世の中は常に変化している。
画一的思考では、その変化について行けない。
つまり、多様性に欠けるのだ。

 

多様性を持たずに変化に付いて行けなければ取り残される。
それは、孤立感や劣等感を生む。

 

関連知恵ノート

何度鍵を変えても入られる、記憶障害と言う犯人

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不思議な事件

調査などと言う仕事をしていると、奇妙な被害に遭っていると言う人からの依頼が多い。
その内容は、留守中に侵入され「お米」を少し持っていかれるとか、醤油が使われていたとか、物の位置が変わっているとか、盗まれた物が戻されていたとか、閉めたはずの鍵が開いていたとか・・・
中には数百万円が入った通帳と印鑑が盗まれ、お金を引き出された通帳と印鑑が戻されていたなんて話も、珍しい事では無い。
そうした被害に対して、防犯カメラの設置を奨めている。
防犯カメラは、屋外ではなく屋内に設置し、自分がいる部屋を24時間常時録画するようにする。
出来れば複数設置して、死角を少なくする事が望ましい。

 不思議な事件の実態

そうした人達が部屋の中に防犯カメラを設置すると、面白い犯人が映る。
被害と言っている事を自分でやっているのだ。
しかも、その映像を見ても「記憶に無い」と言い、口を揃えた様に出てくる言葉が「狐につままれたようだ」である。
その原因は記憶障害である。
この記憶障害を犯行と思っている人は高齢者が多いのだが、若年層にもかなりいる。
記憶がスッポリ無くなっているのだ。
自分がやった事の記憶が無くなっていれば他人がやったとしか思えないので、犯行と言う考えになる。
また、犯行だと思っている人は防犯カメラを屋外に設置するので、カメラに映らずに侵入されると思い込む為、犯人像を膨らましてしまう。
また、記憶障害との認識が無く、第三者の犯行との思い込みがある為、犯人の写っている所だけ探そうとする。
その為、自らの行動はスルーしてしまうので、永遠に犯人にたどり着く事は出来ない。

 犯人の正体

こうした不思議な事件の犯人は記憶障害である。
高齢者の場合、最も多いのが認知症だ。
自室に防犯カメラを設置する事で、アルツハイマーが発覚して治療に至ったケースも少なくない。
この記憶障害は、高齢者の認知症だけに限ったことでは無い。
次に多いのが中年の女性だ。
その主な原因は更年期障害で、更年期うつ病である。
問題は若年層だ。
若年層の記憶障害は、記憶の欠落だけではなく記憶の書き換えと言うか上書きと言うか、自分がやった事を他人にやられたとすり替わっていたりする。
こんな事例があった。
最初、カップルで相談を受けた。
最初の相談の時は、物が盗まれると言う話だったので、防犯カメラを設置させた。
その防犯カメラに映っていたのはその女性。
記憶が消えていたのだ。
その防犯カメラには、女性の方が彼氏にDVを行なっている姿も頻繁に映っていた。
その時の映像も確認しているし、相談に来た時には女性も彼氏の態度が気に入らなかったと自分のDVを認めていた。
そのカップルが別れてから、女性の主張は変わる。
「DVを受け続けていたので、別れた」
その女性は自分がDVを行なっていたのでは無く「されていた」と主張し始めた。
そして、その証人になって欲しいと言って来た。
見事に記憶がすり替わっていた。
その女性は心療内科に通院しており、その病名は「双極性障害」。
若年層の記憶障害の原因は、主にストレスによって起る。
ストレスホルモンであるコルチゾールが分泌され続けると、記憶領域である海馬にダメージを与え、記憶障害が発生する。
同じ要因で起きるのが、ストレスが原因とされる精神疾患であり、鬱病や双極性障害や統合失調症などがある。
更年期うつ病も、更年期うつ病から生じる不安が被害妄想を生み、その被害妄想がストレスとなって記憶障害が起きる。
これが更年期うつ病を含めたストレス起因の精神疾患の不安と被害妄想とストレスの基本的な関係なのだが、元々社会性が低いが為に被害妄想や不安感を持ち、その被害妄想がストレスとなっている場合もある。
この不安と被害妄想の順序の違いは治療の効果の違いとなって現れる。
不安から被害妄想が生じていれば、投薬治療で不安感を抑えれば自ずと被害妄想も消えるのだが、元々社会性の低さから被害妄想を持ち、不安を感じていた人は、投薬治療で被害妄想は消えない。
そして、ストレスによる記憶障害を引き起こしている人は、孤立している場合が多い。
と言うより、孤立化がストレスになっているのだ。

 記憶障害以外の犯人

記憶障害以外にも犯行の無い犯行が山ほどある。
それらの犯人は無知、妄想、勘違いであり、その実体が分かれば実に馬鹿馬鹿しいのだが、本人は真剣に脅え不安を感じている。
特に多いのが無知や勘違いである。
例えば「モズのはやにえ」を知らない人が、呪いの儀式と思い込んでいたり、エアコンの室外機を自分の映像を世界に配信する機械だと思い込んでいたり、テレビの電波を影絵のように考えて、自分の映像が隣の家で見られると思っていたりする。
本人達は真剣に悩み、不安や恐怖に脅えて暮らしているのだが、冷静に見ると漫才の世界である。
そんな人達の事例集として「電波な人々」シリーズを書いている。

関連知恵ノート

統合失調症と集団ストーカー妄想は別物

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被害妄想は統合失調症の症状では無い

集団ストーカーやガスライティングについての質問に対し、直ぐに統合失調症と決め付ける人が多いのだが、集団ストーカーやガスライティングと統合失調症は別物である。

別物ではあるが、そうした物が実在している訳でも無い。

集団ストーカーやガスライティング妄想とは、人間不信や被害妄想を持つ者がインターネットで陥るマインドコントロールであり、集団ストーカーやガスライティング妄想と被害妄想は分けて考える必要がある。

うつ病や統合失調症から来る症状は「不安感」であり、その不安感から被害妄想が生まれるのだが、病気でなくても被害妄想は生まれるので、被害妄想は病気の症状とは言えない。

被害妄想の原点に有るのは人間不信である。

その人間不信の原因が、病気から来る不安感であれば投薬治療で不安が治まれば勝手に消えるのだが、愛着形成に問題が有れば投薬治療で不安が治まっても、愛着形成を正さなければ被害妄想は消えない。

これが集団ストーカーやガスライティングと言うマインドコントロールに陥っていれば、マインドコントロールを解かなければ、愛着形成を正す事も出来ない。

まるで竹の子の皮の様だ。

 

 集団ストーカーやガスライティング妄想に陥る資質

幻聴が自他境界の曖昧性で起きるのと同じ様に、ネットによるマインドコントロールは現実と非現実の曖昧性によって陥り易い。

例えば「調べる」と「確認」の違いだ。

インターネットのマインドコントロールに落ちやすい人は、ネットで調べただけで「確認」したという人が多い。

しかしそれは確認では無く、他人の言動や文章を鵜呑みに信じているに過ぎない。

自分自身の検証作業が伴っていないのだ。

そこに「虚実の曖昧性」が生じる。

乱暴な言い方をすると、実験の伴わない科学は妄想と変わらないのである。

また、「調べる」と言う事は、知らないから調べるのであって、最初から知っていれば調べない。

そして、知らない事を調べても、知らない人はその虚偽を見抜く事が出来ないので、フェイクニュースを見抜けない。

そしてフェイクニュースの内容を半信半疑ながらも読み、読んでしまえばそれが先入観となる。

一旦先入観を植え付けられてしまえば、それまでスルーしていた物を意識して探してしまい、見付けてしまう。

そのスルーしていた物とは、気にも留めなかった何所にでもある日常である。

人間不信や被害妄想を持つ人に、「それが犯行の手口」と先入観を与えられて、自分で見付けてしまえば信じ込んでしまう。

それが、ガスライティングと言うマインドコントロールである。

なので、彼等には他人の日常が自分に対する嫌がらせの手口に見えている。

集団ストーカーは、ストレスから来る自律神経症状(不安感も含む)を持つ人に対し、それは嫌がらせだとか電磁波攻撃とか超音波攻撃とかテクノロジー犯罪との先入観を植え付けて、マインドコントロールに陥る。

だからこそ、皆が同じ言動になる。

 

さて、電磁波攻撃とか超音波攻撃とかテクノロジー犯罪などの似非科学も、スルーとサーチで構成されている。

本来、科学的実験の現象には前提条件が有ったりするのだが、似非科学では前提条件はスルーして、自分に都合の良い所だけ抜き出し、繋ぎ合わされて作られている。

つまり、良い所取りのつまみ食い。

例えば、人工衛星を使って盗聴される等と言う人がいた。

その人は、最新技術とか特殊な方法を使えば可能だとか言っていたが、根本的な原理をすっ飛ばしている。

音は空気の振動であり、空気の存在しない宇宙には音は存在しない。

音の存在しない宇宙では、どれ程最新技術を使おうと特殊な方法を使おうと、無理な物は無理である。

 

このスルーとサーチは色々な所で顔を出す。

例えば、「ネットで悪口を書かれている」と言う人も同様である。

10000件スルーして10件符合する書き込みを見つけた時、10000件はスルーして記憶に残っていないので10件が全てになる。

その10件も、自分と一部が符合していると言うだけで、自分の事ではない。

 

これは日本語の特殊性も関係している。

日本語とは共通認識で通じる言葉であり、共通認識を持たない人には通じない言葉なのだ。

例えば、私と友人が会話していたとしよう。

そこで、「さっき、あそこに、あいつがいた」と話したとしよう。

実はこの会話には明確な物は何一つ無い。

ここで語られる「あそこ」や「あいつ」とは、私と友人との共通認識での「あそこ」であり「あいつ」である。

その話を第三者が聞いても、共通認識を持っていなければ何の事か分からない。

しかし、集団ストーカー系でネットで悪口を言われたと言う人の多くは、共通認識を持たない他人の会話に、自分の認識を当てはめて理解しているに過ぎない。

 

現実世界で悪口を言われると言った場合も、単語だけに反応している場合が多い。

つまり、前後の文脈はスルーして、悪口の単語だけサーチしている状態である。

その単語さえも、区切り1つで待った区別の言葉である。

文章には句読点などで区切りがあるが、言葉には句読点は無いので、聞き手次第で区切りが変わる。

例えば「ぱんつくったことがある」

「パン、作った事がある」「パンツ、食った事がある」

対面での会話では、共通認識によって正しく区切られるが、共通認識の無い他人の会話では、自分の認識によって区切りも変わる。

 

また「汚職事件」「お食事券」等の様な同音異語も、共通認識が無ければ自分の認識で漢字変換されてしまう。

こうした日本語特性も幻聴の1つの要因でもある。

 

 

 集団ストーカー=統合失調症と言う人も同じ資質

幻聴や被害妄想的な質問をすると、直ぐに統合失調症と決め付け病院へ行けという人は、統合失調症の症状に、幻聴幻覚、被害妄想と書いてあるのを読んだり聞いたりして、鵜呑みに信じて決め付けているに過ぎない。

もし、何人もの集団ストーカーやガスライティングの被害に遭っていると主張する人達に会い実態を調査すれば、幻聴や幻覚、被害妄想と言う物は、病気を起こす原因であって特有の症状では無い事を理解するだろう。

実際問題として、そうした人達に治療を薦めて、統合失調症と診断されたケースは極めて少なく、精神疾患や神経症を発症していなかったケースすらもある。

しかし、精神疾患や神経症を発症していなくても、集団ストーカーを信じ続けていればいずれは発症する。

 

 決め付けは追い込む事になる

知恵袋で、集団ストーカー=統合失調症と返信する事は、悪戯に不安をあおりストレス状態に落とし込む事になりかねない。

また、「病気に仕立る手口」との確信を与え、マインドコントロールの深みに追い込む事になる。

マインドコントロールは症状では無いので、マインドコントロールに陥っていれば治療の効果は現れ難くなり、本人のみならずその家族の方を、何時終わるとも知れない不幸に落とし込む事になる。

 

大切な事は、如何に不安を軽減させてストレスから開放させるかである。

 

この事は新たな治療法を示す

通常、治療は投薬が中心で、主に投薬で不安を軽減させる。

インターネットが普及する前であれば、不安が軽減すれば被害妄想も薄らいだのだが、ネットが普及し、マインドコントロール状態になっていれば、日常が犯行と思い込まされているので、不安が消えても被害妄想は消え難い。

しかし、マインドコントロールと言う視点を持ては、治療とは別に「マインドコントロールを外す」と言う視点が生まれてくる。

実際、治療を受けても被害妄想が消えなかった人のマインドコントロールを外すと、被害妄想はなりを潜めて治療の効果が出ている。

また、発病の疑われる人のマインドコントロールを外しても、特定の被害妄想は消えるが不安は消えない。

発病に至っていないと思われる人のマインドコントロールを外すと立ち直る。

そうした事から、治療とマインドコントロールは別に対応すべき問題である事が分かる。

 

 集団ストーカーの本当の恐ろしさ

集団ストーカーやらガスライティングやらテクノロジー犯罪を信じる事は個人の自由だ。

なので、そうした物を信じている人に、「そんな物は妄想だ」とは言わない。

 

しかしこれだけは覚えておいた方が良い。

そんな物を信じ続けていると、脳細胞が徐々に破壊されて行き、やがては廃人となるか事件を起こして逮捕されるか、自死を選ぶかしかなくなる。

通常ストレスが一ヶ月継続すれば、大半の人が鬱病になる。

それはストレスにより脳血流が悪化し、脳細胞がダメージを受けて萎縮していくからだ。

また、ストレスが続くと神経過敏や記憶障害を引き起こす。

集団ストーカーやテクノロジー犯罪と言うマインドコントロールは、日常を犯行と思わせてしまう。

その為、ストレスを受け続ける事になる。

ストレスを受け続ければ、脳は萎縮を続け機能を失って行く。

萎縮とは、脳細胞が死滅して行く事を意味する。

つまり、信じ続けている期間が長くなるほど、脳の機能は失われ、脳の回復は望めなくなると言う事だ。

また、ストレスは自律神経と密接に関係しており、心臓を動かしているのも、免疫システムも自律神経の領分だ。

なので、集団ストーカーを信じ続けていれば心不全を起して突然死する可能性が高まり、NK細胞の減少から発ガン率も高まる。

実際に、相談者の関係者で2名ほど心不全で他界されている。

(相談者は家族、他界されたのは本人)

 

何を信じるかは個人の自由だ。

しかし、信じた結果は自分に返って来る事を忘れてはならない。

 

因みに脳には可塑性があり、ストレスから開放されれば回復する。

問題は、回復には時間を要する為、年を重ねてしまえば、回復時間と老化と寿命との相関関係が生じてしまう事を忘れてはならない。

騒音の無い生活騒音トラブル

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 騒音トラブルの実態

最近、生活騒音によるトラブルにまつわる刃傷沙汰の事件のニュースが絶えない。
生活騒音と聞けば、誰もが自分に思い当たる事を思い浮かべる事だろう。
もし、階下の人などから騒音がうるさいと文句を言われれば、思い当たる事があればとりあえず謝ってしまう事だろう。

 

逆に、隣室や隣家の生活音が気になったり、嫌がらせとも思えるような音や声が聞こえれば寝室や隣家にクレームを付けたくもなるだろう。

 

しかし、現実の問題は少し様相が異なる。

騒音の調査をしても、騒音と呼べる程の騒音が計測されない事が多く、声の録音をしても聞こえている声が録音されない事が多いのだ。

 

生活騒音の問題で騒音が測定されない場合、騒音の苦情を言う人には特徴がある。
それが「孤立化」「社会とのつながりの薄さ」「コミュニケーション力の低さ」である。
その為、一人暮らしの年配者、一人暮らしのフリーターやニート、一人暮らしの女性、一人暮らしの身体障害者などに多く見られる。
また、家族がいても家庭内で孤立感を抱いている人にも起きる。
その孤立化こそが生活騒音の原因なのだが、こんな事を書いても何の事だか分らないと思う。

 

詳しくは「幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い」で書いているので、そちらを参照して欲しい。
若しくは「隣人クライシス」で詳しく書いているのでそちらも参照してほしい。

 

 「とりあえず謝る」は問題をこじらせる

「生活騒音が煩い」と苦情を言われると、殆どの人が思い当たる事を思い浮かべ、「響いていたのかな?」と想い、事を丸く収めようとして、とりあえず謝ってしまう。
そして音を出さない様に注意するのだが、何度も苦情を言われ、その苦情がエスカレートする事も珍しくない。
その問題は「とりあえず謝る」と言う対応にある。
「とりあえず謝る」と言う対応は、相手からすると騒音を出している事を認めた事になる。
しかし、相手に聞こえているのは幻聴の類であって、実際の音では無い。
「とりあえず謝る」と言った対応をすれば、相手に音を出している事を確信させる事になり、どれ程音に気を使って生活しても、クレームが無くなる事は無く、逆にエスカレートさせる事となり、刃傷沙汰にまで発展する事さえある。
理由は簡単、何度注意しても音が聞こえ続ければ、嫌がらせの様に思えてしまうからだ。

 

 聞こえている騒音の正体とは?

主な原因はストレスである。
最も多いのが神経過敏、取り分け聴覚過敏の人が多く、ストレス性の難聴から脳内爆発音症候群など、全てストレスを起因とした病気である。
神経過敏は些細な音が気になる神経症、それが聴覚過敏になると小さな音が大きな音に聞こえてしまうのだが、本人にはその自覚が無い。
こんな事例もある。

上の階の人が自分に合わせて移動して来ると言った物だ。

トイレに行けば自分に合わせるかの様にトイレに行き、台所に行けば台所で音を出され、風呂に行けば風呂に行く足音が聞えるなど、まるで自分の行動を把握されているかの様に、自分の部屋の行く先々で音が聞こえると言い、行動を把握されているので盗聴や盗撮で監視されていると言うのだ。

こうした事を訴えている人は意外と多い。

しかし、実際に調べてみるとそうした事実関係があった例が無い。

例えば、本人は音が聞こえるので上階の人がいると思っていても、実際には留守だったりする。

そんな時でも聞こえていたり、空室なのに聞えている人もいた。

では何故、そんな音が聞こえているのか?

最も多かったのが、通常は聞えない自分の足音の反響が聴覚過敏で別人の足音の様に聞えていたり、全く別の音が補完されて聞こえていたり、人によって色々なケースがある。

聴覚過敏は特定の音にだけ過敏な人もいれば、全体的に過敏な人もいる。

ストレス性の難聴では、低音の耳鳴りが聞こえ、それがモーターの音の様に聞こえるのだが、これも本人には難聴の自覚が無い。

その為、その耳鳴りを換気扇、掃除機、洗濯機などの生活騒音だと思っている場合が多い。

 

脳内爆発音症候群は、寝入り端に爆発音、破裂音、衝撃音などが聞こえる病気で、ドンドン、ドタドタと言う足音、ベッドや椅子から飛び降りる音、ドアや窓を強く閉める音、壁を叩く音、そうした生活騒音に聞こえていたりする。
脳内爆発音症候群の場合、寝入り端に聞こえるのでその音で目覚めてしまいイライラを募らせてしまう。
また、寝入り端に聞こえるという事は、聞こえている人からすれば「深夜の騒音」となる為、取り分け騒音と感じ易い。
これらの症状は、全てストレスが原因で発症するのだが、それは同時に継続的なストレスを受け続けていると言う事でもある。
その継続的ストレスが原因で発症するのが、うつ病を始めとする精神疾患である。
また、比較的女性に多いのだが、女性はクレーマー化し難く一人で悩む傾向を持ち、男性は女性よりも数的には少ないのだが、クレーマー化し易いので表面化し易い傾向がある。
その女性で最も多い原因が「更年期うつ病」で、40代~50代の女性に多発している。
更年期うつ病の場合、一人暮らしでなくても発症する。
この場合、他の更年期症状に目を向けて見る事が早期発見の鍵だ。
この女性の更年期うつ病拗らせると、統合失調症と区別が付かない言動となり誤診の元となってしまう。
更年期うつ病なら通常のホルモン治療だけで治るケースも少なくないが、悪化すると精神病薬が必要となり誤診されれば薬の副作用なのか、病気の症状なのかも分からなくなってしまうので、40~50代の女性で音や声が気になりだしたら、精神疾患ではなく先に更年期うつ病を疑った方がよい。
こうした原因で聞こえる音は、第三者がいると聞こえない事も珍しくは無い。
その理由は、原因がストレスだからである。
このストレスだが、環境の変化で受けやすい。
注意すべきが引越しである。
引越しは周りの環境が変わり、自覚の無いストレスに晒される事になる。
心の病気を抱えている人が、リフレッシュしようと引越しすれば、多大なストレスに晒される事になり悪化する事になりかねない。
また、注意すべきは「連鎖」である。
階下の人からの執拗なクレームはストレスとなり、クレームを受けた人に同様の症状が連鎖する事である。

 

 ストレス故の怪現象

そもそもストレスとは、天敵から身を守るための防衛システムであり、一人でいるより誰かといる方が心強い。
その心強さがストレスを軽減させるので、一人でいる時に聞こえていても、誰かがいると聞こえなくなると言う現象を引き起こす。
その現象が、厄介な問題を引起す。
「他の人がいると音を出すのをやめる」と言う感覚を持ち、監視されている様な感覚を芽生えさせてしまうのだ。
そうなると、相手は「正義は我にあり」と言う感覚を持ち、クレーマー化すれば容赦が無くなる。
クレーマー化しなくても、恨みを抱くようになる。
また、自覚の無い幻聴として聞えているので、自分が移動するのに合わせて音も移動して来るように聞える。
その為、追跡妄想を抱き易くなる。
問題はまだまだ続く。
その人が音に耐えかねて引越ししたとする。
しかし、原因がストレスであれば引越しをしても音が聞こえ無くなる事は無い。
すると、「引っ越し先を調べ、引っ越し先の住人を使って嫌がらせをされる」と被害妄想を拡大させてしまい、恨み続ける事になってしまう。
またこんな問題も存在する。
音の存在を証言する証人がいるケースだ。
これが結構厄介、と言うより結構証人は困っていたりするのだ。
こんなケースがある。
神経過敏な人が、同席する人に「ほら、今音が聞こえたでしょう」と同意を求め、同席者が「何か聞こえたね」と答えると、それを根拠に証人にされる。
これは、聞こえている音のレベルの相違で起きる。
神経過敏な人が騒音に聞こえて同席者に同意を求めた時、同席者は小さな音でも「聞こえた」と言う事実で同意してしまう。
すると、何かある毎に証人として付き合わされる事になる。
これが夫婦で、奥さんが音声過敏で旦那が証人の場合、奥さんは旦那にクレームを言わせる傾向がある。
実際に有ったケースでは、奥さんと旦那の聞こえている音のレベルの違いを認識させた時点で、それまで奥さんの話に合わせていた旦那が掌を返したように、聞こえてもいないのに文句を言わされていた不満を奥さんにぶつけ始めた事もある。
また、こんな厄介なケースもある。
自分で騒音を録音したり騒音レベルを測定し、それを持て証拠とする人だ。
証拠を取る事は悪い事ではないのだが、測定方法を知らなければ自滅する。
色々な人から騒音の証拠としての録音を聞かせて貰ったのだが、正しい録音方法で録音された物は一つも無かった。
全ての録音は床やテーブル、家具などの上に直接録音機を置いた状態で録音され、大きな音として録音されていたのだが、それでは何の証拠にもならない。
例えば、テーブルや床に直接耳を当てて聞くと色々な振動が大きな音として聞える。
つまり、何所かに置いて録音すれば建物の振動が録音されてしまい、その振動が高音圧として録音されてしまうのだ。
それで騒音に確信を持ち、正義は割れにありで隣家にクレームを付けていたのだ。
しかし、そこに録音されている音の正体は、自分の足音だったり自分の部屋の冷蔵庫だったり、エアコンの振動だったりする。
更に厄介なのは、高音圧で録音されるのは単なる振動なので耳ではほとんど聞えない物も少なくない。
すると、音圧だけが高く、音として聞えないと「超音波」と言いだしたりもする。
そこに耳鳴りでも聞えていたら、耳鳴りを高音圧の超音波との確信を深めたりする。
こうなると、何を言っても聞く耳持たぬ状態になってしまう。
録音する場合、少なくとも天井からボイスレコーダーをゴム紐で吊るして録音するなど、振動の影響を排除する必要がある。
聞こえているのが「音」だけならまだ良い。
壁や天井から「悪口」や行動の実況、自分の声が復唱される様に聞こえている人も珍しくは無い。
その原因は脳の補完機能で、些細な音を声に認識していたり、自室から出る音の中に脳が勝手に自分の悪口を作り出してしまうのだ。
集団ストーカーと言う被害妄想・・・・」ではそれを体験できる形で書いている。
この補完機能は、聴覚だけではなく視覚にも現れる。
元々ストレスとは外敵に襲われたときの防衛反応である。
その為、怪しいと思う物を探し始め、普段は気にならない事でも、少しでも怪しいと感じれば自分に関係しているかの様に感じてしまう。
つまり、疑心暗鬼の状態になってしまう。
この疑心暗鬼と言う言葉の語源が、ストレス状態にある人をそのまま表している。
その疑心暗鬼が、見える世界や感じる世界を補完させてしまう。
酷い場合は人の顔の区別が付かない人さえいる。
例えば、坂田利夫と松山千春の顔が同じに見えていたりする。
目立つ特徴から顔のイメージを補完してしまうのだ。
その為、街に出て自分に嫌がらせをしていると思っている人物と同じ特徴の人を見かけると、同じ顔に補完されてしまい、行く先々で待ち伏せされると思ってしまう事さえある。
そうした人達は、地域住民の嫌がらせ、組織的な嫌がらせを口にする。
そして、その人が自分に起きている事をネットで検索すると「集団ストーカー」や「ガスライティング」と言う言葉を使い始める。
また、ストレスは自律神経の乱れを招き体調不良を起す。
いわゆる自律神経失調症である。
ネットで集団ストーカーと言う言葉に出会ってしまうと、自律神経失調症が「加害行為」に思えてしまう。
最初に苦情を言われた時に「とりあえず謝る」と言う対応をしただけで、自分の知らない所で凶悪犯罪の親玉と思われ続け、自分の知らない所でネットに個人情報を晒されて、誹謗中傷されている事もある。
そうならない為には、最初から謝らず、第三者立会いの下で音の存在を明白にする事だ。

 

 背景にあるのは無縁社会と学歴社会

人間は集団を形成する動物であり、集団を形成する動物の最大のメリットは気を抜く時間が作れることである。
一人で行動していれば、常に周囲を警戒せねばならず、気を抜いている時に天敵に襲われたら食べられてしまう。
集団でいれば、自分が気を抜いても他の誰かが警戒しているので、気を抜いても天敵に食べられる危険が少なくなる。
大切なのは「気を抜ける時間」だ。
警戒している時は神経を尖らせて周囲を警戒する。
それは自律神経の領分なので、意識とは無関係に働く。
孤立化した状態が正にそれ。
ご近所付き合いや友人関係、家族がいれば集団の中での気を抜ける時間が有るが、そうした繋がりが無ければ気を抜ける時間が無くなる。
それが継続したストレスであり、孤立化と神経過敏の関係である。
また、集団の仲間が信じられなければ、敵中に孤立しているのと変わらない。
故に、社会性は仲間を信じる事で成り立っている。
しかし仲間を「信じる」と言う事は、生半可な事で出来る訳では無い。
その原点は自分の生存であるので、動物にとって命がけの事なのだ。
それは人間も例外では無い。
信じようと思っても、信じるに至る過程を経ていなければ、意識とは無関係に警戒してしまう。
その過程は学ぶべき時期に学んで成長してこそ備わるのだが、学力ばかりを重視すれば学ぶべき時期に学べない。
一日は誰にも等しく24時間であり、その時間を勉強ばかりに費やせばコミュニケーション力を養う時間が削られる事になる。
幼年期は親子関係から学び、幼稚園や学校へ行く様になると友人関係との遊びの中から学ぶ。
しかし、塾や習い事で友人との遊ぶ時間が少なくなれば、他者への信頼や社会性を学ぶ機会が失われて行く。
教育の過熱は、人間としての成長を阻害する結果を招いてしまう。
その教育も、「人に迷惑を掛けないように」と教え、それがさも常識のように思っている人も多いだろう。
しかし、それでは社会性に欠かせない「お互い様」や「相互扶助」の感覚が育たない。
迷惑を掛けない事を心掛ければ、自分が迷惑と思う事が許せなくなてしまう。
それが無縁社会を生み、無縁社会は孤立感を生む、その孤立感が様々な社会問題の温床となっている。
そうした事を「被害妄想解体新書」で詳しく書いている。
問題は孤立感を感じているのが自律神経系である所にある。
自律神経は意思に関係なく働く。
意識としてはストレスを感じていなくても、本能はストレスを感じている事が多い。
その代表的なケースが引越しや旅行である。
旅行は意識的には楽しい事だが、本能的には知らない土地へ行くので警戒モードに入っている。
その警戒モードこそがストレス反応である。
家に帰ると「ホッ」とするのは、警戒が解けるからである。
引越しはその警戒モードが継続した状態になり、引っ越し先でのコミュニケーションが無ければ、意識に関係なく警戒モードが継続する事になる。
つまり継続的ストレスである。
継続的ストレスの先には、自律神経の乱れや神経過敏があり、その先には鬱病に代表される精神疾患が待ち受けている。
魚を使った実験では、継続したストレスが一ヶ月続くと魚でも鬱病になる事が分かっている。

 

 騒音問題の一番の解決策

生活騒音の一番の解決策は、お互いにコミュニケーションを取り合い、仲良くなる事である。
人間はコミュニケーションを取っている相手には寛容になり、コミュニケーションを取っていない相手は警戒し容赦が無くなる。
本能的にコミュニケーションを取らない相手を警戒しているからこそ、無意識に神経を尖らせてしまう。
コミュニケーションを取る事で、警戒を解けば自ずと神経を尖らせる事は無くなり、気にならなくなる。
それが、昔は当たり前だった。

 関連知恵ノート

幻聴の研究 幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い

yahoo知恵ノートから移設

yahoo知恵ノートの終了に伴い知恵ノートより移設。

自分の行動を指摘する声や実況する声、悪口や誹謗中傷する声が聞えても、その声が実在するとは限りません。

実在しない声は、どれ程高性能な録音装置を用いても録音など出来ません。

そうした声が聞えても録音出来ないのなら、嫌がらせとか犯行を疑う前に幻聴を疑いましょう。

 幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い

この知恵袋で幻聴系や被害妄想的な質問をする人に対して、直ぐに統合失調症を持ち出す人を見かける。

しかし、幻聴や被害妄想は統合失調の症状として書かれていても、症状では無い。

もし症状と言われている幻聴や被害妄想が、症状ではなく人間が本来持っている機能の暴走だとしたら治療で幻聴や被害妄想が消える事は無い。

そもそもの話、幻聴とは何か?を調べても、病気の症状としての記述はあっても幻聴のメカニズムを具体的に説明した物には出会えなかった。

なので自分で研究して来たのだが、研究で見えて来たのは、幻聴は症状ではなく誰もが持っている脳の機能であり、その機能は心理状態に左右される性質を持っていると言う事だ。

もし幻聴が聞こえると言った質問者に「それは統合失調症」と返信すれば、質問者を追い込む事になり兼ねないので、著書「被害妄想解体新書」や「なぜ人は精神を病むのか」で書いてはいるが、私が研究して来た事や調べてきた事を「知恵ノート」にも記して置こうと思う。

幻聴と言っても様々

まず幻聴だが、幻聴と一言で言っても色々なケースが存在する。

大分類として、「音系」と「声系」に分類される。

「音系」は声ではなく「音」が聞えるタイプだ。

その音を不快に思っていたり、嫌がらせのように感じている人も多い。

また、自分の室内の行動に合わせて音が移動して聞えていたりするので、「盗聴器などで居場所を知られて嫌がらせをしている」と思い込んでいる人も少なくない。

聞える音を不快に思っている人は「生活騒音」と言い、嫌がらせと感じている人は「仄めかし」と言ったりする。

「声系」は声が聞こえるタイプで、主に自分の行動を指摘する声や、自分の噂や悪口など、自分を否定するような声が聞こえる人が多い。

 幻聴の実体

「音系」と「声系」、この両者とも共通した特徴がある。

それは「聴覚過敏」である。

まず音系だが、第三者立会いで計測しようとすると、その音は聞えない場合が殆どである。

また、音が聞こえた場合でも、第三者には騒音と言える程の音には聞えない。

そこで、本人に機材を渡して測定すると「40dbもありました」と言う報告が来る事がある。

その数値は、騒音など存在して無い事を示す数値である。

「40db」と言えば、深夜の市内、図書館、昼の住宅の音レベルで、かなり静かな状態を示す数値だ。

では何故40dbが騒音に聞えるのか?

実は、彼等に聞えているのは騒音ではない。

最も多いのが「神経過敏(聴覚過敏)」で、小さな音が大きな音に聞えている。

聴覚過敏は防衛反応として出ていると考えた方が分かりやすい。

そもそもストレスとは敵に襲われた時の防衛システムであり、ストレス状態にあれば脳は警戒モードに入り、接近者を逸早く発見出来るように音に敏感になる。

そこには他者に対する不信が有る場合が多く、脳(本能)が他者を敵認定していればストレス状態となり、そのストレスが警戒モードを引き起こし、音に敏感になる事で些細な音が気になり、ストレスが増して行く悪循環に陥る。

脳にはノイズキャンセラの様な機能が備わっているのだが、聴覚過敏はその機能が作動しない事が原因と考えられる。

極端な例だが、双極性障害を発症した友人は、普通に話す私の声が鼓膜が破れるほどの大声に聞えていた程で、ヒソヒソ声で話しても耳が痛いほど大きく聞えると言っていた。

こうした聴覚過敏の厄介な所は、常に聴覚過敏が出ている訳ではない所にある。

常に聴覚過敏が出ているのなら自覚し易いが、脳が緊張を感じた時だけに出たりするので自覚し難い。

例えば、自分が何か行動を起こした時や、何かをし終えた時などに聴覚過敏が出たりする。

また、無意識に音を探し、探している時に聴覚過敏が出る事もある。

その様な状態になると、自分の行動に合わせて音を出されると思えたりするのだが、そうした人に常時録音して貰い音圧を測定すると音圧に変化は殆ど見られない。

音系の幻聴は聴覚過敏だけではない。

感音性難聴やメニエール病などのストレス性の難聴の人は、換気扇等のモーターの様な耳障りな低音が聞えているのだが、それは低音性の耳鳴りであり、その耳鳴りを騒音だと思いこんでいる人も多い。

その他にも、寝ようとすると、ドアを強く閉めたり、ドンドンと足音を鳴らしたりする嫌がらせをされると言う人もいるが、それは「脳内爆発音症候群」によって聞えている場合が多い。

脳内爆発音症候群は寝入り端に起きる。

それら全てに共通する原因が「ストレス」である。

ストレスとは本来、敵から身を守る為の防衛反応である為、偏桃体が危険を感じるとストレスホルモンが分泌される。

ストレスホルモンは交感神経に直接作用し、神経を過敏にする事で素早い動きが可能となり敵から逃げる事が可能となる。

この神経を過敏にする事で神経過敏(聴覚過敏)が起きる訳で、神経過敏(聴覚過敏)はストレスのバロメーターでもある。

自然界では天敵に襲われたとしても短時間で脅威は去るので問題はないが、ストレス状態が継続すると支障を来たす事となる。

ストレスで交感神経優位な状態が続くと、自律神経のバランスが崩れ始めて自律神経失調症の症状が出始める。

またストレスホルモンのコルチゾールやカテコールアミンの分泌は血糖値を上昇させる働きを持ち、ストレスが継続すると高血糖の状態が続く事となる。

では何故ストレスは血糖値を上昇させるのか?

それは神経を過敏にするだけでは敵から逃げられないからである。

神経だけ過敏に反応しても体が動かなければ逃げられない。

敵から逃げるには筋力や持久力も必要になり、その筋肉のエネルギーとなるのが糖であるからだ。

そして何より脳のエネルギー源は糖(ブドウ糖)である。

自然界では敵に襲われても逃げ切った時点でストレスからは解放される。

しかし人間は社会生活の中でストレスを継続させてしまう。

その結果、慢性的な血流の悪化を招く事になる。

そして聴覚器官や脳の神経への血液供給が悪化する事で機能不全を起す。

それが耳に症状が出れば感音性難聴などの難聴になり、脳に出れば心身症や精神疾患となり末梢神経に出れば末梢神経障害となる。

また、これは実際にそのお宅へ出向かなければ分からない事だが、こうした事が原因で騒音を訴える人(トラブル化している人)は例外無く何らかの形で孤立化している。

社会的孤立、家庭内孤立、精神的孤立、対人的孤立などなど。

そして、コミュニケーションに苦手意識を持っている。

孤立化は神経過敏を引き起こす原因となるのだが、これは一概に病気とは言えない。

神経過敏(聴覚過敏)を理解するには、人間が集団で生きる動物である事から理解する必要がある。

集団を形成する動物のメリットは、集団を形成する事で種の生存率を上げる事だ。

天敵に狙われた時、集団を形成していれば多くの目があるので逸早く天敵の接近を発見する事が出来る。

そうした多くの目がある集団にいれば、自分が警戒していなくても誰かが警戒しているので気を抜ける時間が作れる。

また、一匹で生活していれば天敵に襲われた時の生存確率は低いが、集団でいれば生存確率は高くなり、種の繁栄に繋がる。

しかし、集団のメリットを享受する為には絶対条件がある。

それは仲間への信頼。

もし、集団の仲間を信じられなければ敵中に孤立しているのと変わらない。

つまり、孤立とは集団から逸れた状態であり、脳が警戒を解けない状態となる為に神経が過敏になる。

その警戒こそがストレス状態であり、脳が警戒モードに入っている為、些細な音でも気になってしまい、ストレスが自己防衛システムであるが故に、聞こえた音が自分に向けられた音のように感じ、そこに敵意を感じてしまう。

この聴覚過敏が幻聴の始まりであり、環境の変化で起き易くなる。

なので、進学、クラス替え、就職、転居、配置換え、転勤、災害等で起こり易い。

ここで重要になるのがコミュニケーション力である。

コミュ力が高ければ新天地でも仲間を作り易いので孤立は避けられるが、コミュ力が低ければ孤立が続く事となり、本人も気付かない所でストレスを継続させる事になる。

声系の人はその進化版(悪化)と考えれば分かり易いだろう。

声系は、聴覚過敏で聞こえている音に「補完機能」が働いて音が声に聞こえたり、聞き取れない程の小さな音量の音や、他人の会話の内容を脳が補完して聞こえている。

補完とは、欠けている情報を周囲の情報から推測して補う脳の機能である。

この補完機能は誰もが備えている能力であり、病気の症状では無い。

それは「録音の解析」をする事で明らかにしている。

例えば「あ、また食べてる」と言う声が録音されているとして送られたファイルには、ボリュームを最大にしても聞き取れない程の音が録音されていた。

その音が入っている部分だけをカットし、音量を増幅するソフトで何倍にも増幅して聞くと「あ」の部分は電子音の「ピ」と言う音が録音されており、「また食べている」と言う部分は、工事現場の音に混じって「何で壊すの」と言う声が確認された。

別の代表的な例では「犯人が語りかけてくる声が録音されています」と言う録音ファイルを相談者が持ち込んで来た。

その録音ファイルを音声スペクトラムアナライザーで音を視覚化して分析すると、相談者の声以外には雨音と時計の音しか録音されておらず、私には本人が一人で話しているようにしか聞こえない。

しかし、一緒に聞いていた相談者には相手の声が聞こえると言う。

これらのケースの面白い所は、それが録音ファイルであると言う事だ。

録音ファイルなので、脳内通信だとか電波送信だとかの戯言は通用しない。

録音ファイルからは電波だとかテレパシーなどは間違っても出ない。

しかし、その相談者には何度ファイルを再生しても、同じ所で同じ内容が聞こえているので間違いなく音が原因で聞こえていると言う事である。

そう、このファイルには確かに声の原因が録音されていたのだ。

恐らく誰が聞いても、それが聞こえた声(幻聴)の原因とは気付かないだろう。

分からないから「幻聴」と言う言葉で「存在しない音」として片付けようとする。

故に、幻聴のメカニズムを明確に説明する事が出来なかったのだろうと推測する。

さて、その幻聴の原因とは何か?

それは、雨音と時計の音でありる。

つまり、それらの音を脳が声に補完して聞こえていたのだ。

「あ、また食べてる」の音声ファイルも同じ様に、電子音の「ピ」を「あ」に「何で壊すの」を「また食べてる」に、聞き取れない程の雑音を聴覚過敏で拾い、その聴覚過敏で拾った雑音を声に補完して聞えていたのだ。

この手の幻聴には、共通した特徴がある。

「悪口の証拠録音」とか「嫌がらせの声」等として送られて来た音声ファイルの全てで、声が聞こえる時には必ず雑多な音(ノイズ)が存在し、「無音」では幻聴は発生していなかった。

こうした録音データの解析から分かる事は、通常聞き逃すほどの小さな音が、本人にはハッキリと聞こえている(感じているだけ)と言う事である。

つまり、通常では聞き取れない音が聴覚過敏で聞こえ、良く聞えなかった音を脳が補完して聞こえた物が、幻聴である事が分かって来る。

また、雨音などの一定のノイズが連続して聞こえるような状態では、そのノイズの中に重要な情報が無いかと脳が詮索する事によって幻聴が起きる。

そして、聞こえる声の内容は、次項の「幻聴と心理状態」で書いている心的要因によって左右されている。

こうした補完系の幻聴は難聴系でも起こる。

例えば、感音性難聴などの有毛細胞系の難聴では、部分的に聞えていなかったりしているのだが、通常は補完機能が働いて、聞えない部分を前後の文脈や状況から正しく補完されて聞えるので難聴の自覚がない。

しかし、部分的に聞えていない所が心的要因に左右されて補完されてしまうと、自分に対する悪口などに聞えてしまう。

例えば「おかあさん」の「か」が聞えず「ば」に補完すれば「おばあさん」に聞えてしまったり「空き巣とかに狙われる」の「あき」を聞き逃して補完されれば「ストーカーに狙われる」と聞えてしまったり、「下さい」の「くだ」を聞き逃して理解すれば「ダサい」になる。

これは難聴だからと言う訳では無く、聞き逃しが起こり易い疾患として難聴があると言った方が正確である。

また文章には句読点と言う区切りがあるが言葉には句読点が無い。

その句読点次第で全く異なる意味となる。

例えば「ぱんつくった」は「「パン、作った」にもなれば「パンツ、食った」にもなる。

そして同音異語もある。

「かてい」も「家庭」「過程」「課程」「仮定」などがあり、聞こえた平仮名をどの漢字に変換するかで意味は全く異なる。

こうした文の区切りや、どの漢字に変換して意味を理解するかは会話の流れの中で理解する。

これも周囲の状況(前後の文脈)から推測して補う「補完」であり、前後の文脈が聞こえず単語だけ聞こえた場合、補完はその時の心理状態の影響を受ける。

被害妄想を抱いた人に聞こえる悪口とは、主に第三者の会話の切り取りであり誤変換である。

これらは空耳系の幻聴と言えるのだが、空耳も幻聴も基本的には同じである。

空耳と幻聴を区別するとすれば、聴覚過敏の有無であると定義する。

こうした言語タイプの補完とは違う補完もある。

例えばこの音声ファイル。

MP3音声ファイル

この音声ファイルを聞くと、しゃがれた声で「せいや」とか「そいや」とか、神輿を担いでいる時の掛け声のように聞える。

しかし実態はこれだ。

MP4動画ファイル

最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを切り取った物なので、全く同じ音源なのだが、映像が付いている物と付いていない物では、同じ音源でも聞こえ方まで違う。

最初の音声ファイルが何故声の様に聞えたのか?

それが「音階」である。

言葉を含む全ての音には音階がある為、単語の音階と同じ音階の雑音があると声のように聞こえてしまう。

そして、雑音は様々な音の集合体であり、様々な音階の集合体でもある。

その音階の集合体の中から、気になる単語の音階だけを聞き取り補完する事でも幻聴は起きる。

また、言葉に変換されないノイズでも、言葉として聞き取れない人がざわつくような声に聞えたりもする。

その代表的な物が「雨音と拍手」であり、雨音に聞こえていた音が拍手に聞えたりもする。

これは音のルビンの壷とも言えるような現象である。

雨音とも拍手とも区別の付かない音を「雨音」と意識誘導すれば雨音に聞こえ「喝采」と意識誘導すれば拍手に聞こえる。

これと同じ原理で起きる幻聴が、人のざわめきが聞こえる様な幻聴である。

その原理は聴覚過敏で聞こえたノイズを人の声と認識してしまい、ノイズが人のざわめきの様に聞こえる訳だ。

通常は、音源の視覚情報があったり、人の目を気にしていなければ音階による補完は薄いのだが、次項の「幻聴と心理状態」で書いている状態の人はこの補完が強く出る傾向が見受けられる。

補完は聴覚に限った事ではなく、視覚でも起きる。

その片鱗を体験出来るのがこの画像だ。

リンク先の上にある12個の点は見えるのだが、その点に格子の図形が加わると視点の中心付近の4つの点しか見えなくなってしまう。

何故、そうした現象が起きるのか?

人間がハッキリと物を見る事が出来るのは黄斑の周辺であり「錐体細胞」が密集している所に映った映像だけで、それが視点だ。

その視点以外の所は、12個の点だけの画像の様に、ハッキリと見えている様に感じているが、実は然程ハッキリとは見えていない。

ハッキリと見えていると感じているのは、脳が周囲の状況から推測して補完しているからである。

それ故12個の点に格子が掛かると、錐体細胞の領域では点を認識できるが、桿体細胞の領域では認識出来ないので、周囲の情報から格子を補完してしまう為、錐体細胞の領域以外の点は見えなくなってしまう。

これが視覚に於ける補完だ。

そして、視覚の補完も聴覚と同様に心的要因に左右されて見え方が変わってしまう。

それ故、錯視の多くは周辺視野の領域で起きている場合と距離がある場合が殆どである。

また、こんな事例もある。

例えば、坂田利夫松山千春の顔が同じ顔に見えている様な人だ。

これは、一つの目立つ特徴から顔を補完している為に起きると考えられる。

こうした人の言動は実に興味深い物がある。

坂田利夫と松山千春で例えるなら、二人の写真を並べて見比べた時に「雰囲気は違うが同じ人です」と言ったりする。

第三者が見れば全くの別人の顔が、雰囲気の違い程度にしか認識出来ていないのだ。

こうした人は「特定の誰かに先回りされたり待ち伏せされている」「必ず自分の行く先々に特定の相手が現れる」などと主張する事が多い。

また、他人の何気ない行動が自分に対する加害の様に思えたりもする。

例えば、歩きスマホをしている人を見ると、自分の顔がネットで配信されていて、自分の顔を確認されていて通報していると思えたりする。

歩きスマホをしている人は、スマホを見ている時にぶつからない様に、進行方向をチラ見したりするのだが、そのチラ見が画像と照合されているかの様に見えていたりするのだ。

本来、誰かの行動に対する理由は本人以外誰にも分からない。

相手には相手の事情が有って行っている行動を、自分に関連させた妄想で補完された認知がなされているので、前方確認のチラ見が自分の顔の照合に見えてしまうのである。

つまり、「見える」と言う事は、脳が何をどの様に認識したかで様相が変わる性格の物なのである。

そして、そうした補完が被害妄想を確信に変えてしまう。

そして、持っている被害妄想(コンプレックス)の影響を受けた補完がなされる。

と言うより、被害妄想自体が「思考の補完」なのだ。

視覚や聴覚の補完は、見えない部分や聞えない部分を、周囲の状況から推測して補完が行われる。

妄想も原理は同じで、歩きスマホの例の様に、本来分からない部分を推測(妄想)で補っている。

つまり、幻聴、幻覚、被害妄想と言った統合失調症の症状と言われている物の全てがたった一つの「補完」と言う機能で発生しており、視覚と聴覚と思考が相互に影響し合いながら補完は行われている。

また、幻臭や幻味などの感覚異常も補完で説明が付く。

視覚が聴覚の補完に関係しているのは、こちらで体験出来る

幻聴のもう一つの原因が幻覚物質のアドレノクロムである。

ホッファー博士の提唱する分子整合療法によると、総合失調症の幻聴はアドレノクロムが原因物質であるとされている。

統合失調症はドーパミン過多が原因と言われており、そのドーパミンを基にしてノルアドレナリンが生成される。

そのノルアドレナリンがメチル化してアドレナリンとなり、アドレナリンが酸化する事でアドレノクロムが生成される。

このアドレノクロムは幻覚作用を持つメスカリンと同じ成分で構成されている為、同じ作用を持つとされている。

分子整合療法ではアドレノクロムがアドレナリンの酸化物質であるなら、アドレナリンを酸化させなければ良いと言う考えから、抗酸化作用のあるビタミンCやEの大量摂取や、アドレナリンの前段階であるノルアドレナリンのメチル化を阻害するビタミンB3(ナイアシン)の投与が有効とされている。

文献によると、実験で投与された量は、1時間当たりビタミンCを1000mgと書かれている。
ビタミンは大量摂取しても大丈夫な物と体調不良を起す物もあるので、医師の監修が必要である。

但し、日本では分子整合療法は認知されていない。

また、幻聴や幻覚に対する効果は記されているが、統合失調症が治ったとは記載されていない。

 幻聴と心理状態

被害妄想を抱く人の共通した特徴は「人間不信」「社会性の低さ」があり、社会性の低さは、そのままコミュニケーションの低さでもある。

被害妄想を端的に表す言葉が「疑心暗鬼」である。

その語源は「疑心、暗鬼を生ず」であり、「暗闇と言うだけで疑い、鬼がいるかのように見える」から来ている。

被害妄想は、他人を信じず上手くコミュニケーションが取れない為に、他人が分らない。

その分らない他人が暗鬼となり、疑心を生じている状態である。

他人が考えている事など、誰にも分かるはずも無い。

しかし、コミュニケーションを重ねる事で他人を理解する事は出来る。

逆に、コミュニケーションを重ねなければ他人を理解する事は出来ない。

そして、相手を信じて自分が心を開かなければ、相手も心を開いて本心を話さず、上辺だけの付き合いしか出来ない。

コミュニケーションが苦手で他人を信じられない人は、他人の心を想像するしかない。

人間は無から何かを生み出す事は出来ない。

必ず、ベースとなる物が必要となる。

他人を理解する為のベースとなる物。

それが、自分だ。

「自分はこう思うから、相手もこう思うだろう」と言った思いや考えである。

しかし、それは他人の思いではなく、自分の思いでしかないのだが、それをさも相手の思いや考えの様に受け止めていたりする。

それは、他人と言う鏡に自分を反映させているに過ぎない。

別の言い方をすると、他人には二種類の他人が存在する。

一つは現実の他人であり、もう一つは心の中で作られている他人である。

そして人は心の中で作られている他人を現実の他人に重ね合わせて見ているのだ。

映画に例えるなら、視覚情報で見えている他人は無声映画で、無声映画だけでは実際何を話しているのか分からない。

無声映画では、そこに字幕を入れたり弁士が声を入れるのだが、それが心の中で作られている他人であり、現実の他人に心の中の他人を重ねて見る事を投影と言う。

参考 https://yotsuyagakuin-tsushin.com/b_psychology-blog/touei-kirainigate/

https://psychoterm.jp/clinical/theory/projection

そこに一つの問題が生じる。

現実の他人に投影された「心の中で作られている他人」を、現実の他人だと認知してしまう事だ。

自分の中で作られている他人は自分自身でしかない。

心の中で作られている他人を現実の他人だと認知してしまうと、自分と他人を隔てている境界が曖昧な状態になってしまう。

それを私は自他の未分化(共感覚)と呼んでいる。

自他の未分化 とは、自分の中で自分と他人が分化されていない状態の事で、自分の中で作られている他人と自分の区別が付かなくなっている状態と言えば分かり易いだろう。

別の言い方をすると、自分と自分の中で作られている他人との境界の喪失(未分化)であり、自分の中で作られている他人を現実の他人だと思い込む事で自他境界が崩れて行く。

すると、自分も、自分の中で作られている他人も、自分でしかないので、自分の言動や行動から思考に至るまで、自分が知っている事は全て自分の中の他人も知っている事になる。

その自分の全てを知っている「自分の中の他人」を現実の他人に投影し、それを現実の他人だと認知しているのだ。

そうした認知に大きな影響を及ぼす物が自己肯定感である。

自己肯定感が高ければ自分を肯定する投影が行われるが、自己肯定感が低ければ自分を否定する投影が行われる。

自分を否定する投影が行われると、先ずは理想の自分を演じ本当の自分を隠すようになる。

その根底にある物は「見捨てられ不安」があるのだが、これは下の方で書いているのでここでは触れない。

こうなると、本当の自分を知られたくない気持ちが強まり、その気持ちの強さに比例して、投影された他人の自分に対する否定が強まって行く。

故に、自他境界が曖昧な状態になると、監視、盗聴、盗撮されている感覚に陥り、自分の中で作られている他人の考えや思い、そして言葉など(自分自身の自己評価が他人に投影された物)が声として感じれば「幻聴」となり、頭に直接届くようなら「音声送信」の様に感じられ、自分の考えがダダ漏れのように誰かに伝わっている様に感じれば「思考盗聴(思考伝播)」や「サトラレ」と言う言葉になり、自分の中で作られている他人が人格を持つに至れば多重人格になる。

こうした心理が、聴覚の補完に影響を与えれば幻聴は起こり、視覚の補完に影響を与えれば幻視や被害妄想となる。

それは、心理状態が感覚の補完に影響を及ぼし、その結果、世界を正確に認知する事が困難になる事を意味している。

故に言動にも未分化の特徴が出る。

例えば、盗聴されていると思える要因が、盗聴する側の感覚だったり、聞く物で聞かれると思えたり、「される」感覚を「する」感覚で話したり、一人称と二人称と三人称の交錯など、立場的感覚が交錯した言動がしばしば見受けられる。

これらは、まるで統合失調症の「了解不能」と呼ばれる症状のように思われるが、初期の時点ではまだ心の問題なので病気とは言えない。

しかし、自他境界が曖昧な状態はストレスを生み、ストレスが継続すれば脳細胞がダメージを受ける事となり、脳細胞がダメージを受ければ機能障害を起して病気となる。

それが精神疾患である。

そして、こうした自他境界の曖昧性を助長させる有害な物が、スマホでありSNSでもある。

何故なら、スマホやSNSによるコミュニケーションは、目の前に相手いない為に、必然的に心の中に作られている他人を思い浮かべてのコミュニケーションとなる為、スマホ上で「投影」が行われている状態である。

それは自他境界が曖昧な状況をスマホ上で作り出している状態であり、殆どの人はその自他が曖昧な状態に気付かずに現実と認識している。

故に、スマホやSNS依存の人の自他境界が崩れ始めると、スマホ乗っ取りやハッキング、データ流出などで自分が監視されているかのような感覚に陥る。

「投影」の対象が現実の他人からスマホに変ったと考えれば分かり易いだろう。

(詳しく知りたい方は「なぜ人は精神を病むのか: 心を蝕む二次元脳」で詳しく書いています)

こうして幻聴や被害妄想を個別に分析検証して行くと、それらが統合失調症の症状ではなく、統合失調症を含む精神疾患を引起す「要因」である事が分かって来る。

問題は、幻聴や被害妄想の原因が「投影」ならば、投薬治療では自他境界や世界観の曖昧性まで治療する事は出来ないと言う事だ。

それ故、治療の効果は期待出来ず、それが焦りとなってストレスとなってしまう。

そして治療に疑念を抱き始めると、オカルトや似非科学に興味を持ち始める。

オカルトや似非科学を信じ始めると言う事は、根拠も実態も無い在りもしない物を信じ、在りもしない物に怯えて暮らす羽目になる事を意味する。

その状態はストレスが永遠に続く状態であり、精神疾患の原因が供給され続け、悪循環に陥る事を意味する。

自分の心を投影した他人を現実の他人と思い込む事は、妄想と現実の区別が付かない事と同じである。

こうした観点からすると、統合失調症の症状の一つとされる「現実と妄想の区別が付かない」と言う症状も、症状ではなく原因であると言える。

盗聴調査の仕事をしていると、その事を実感する。

盗聴を疑う人の世界観は、テレビで見たとかネットで調べたとかの知識だけだ。

そして、盗聴発見器は買っても盗聴器を買う人はまずいない。

盗聴を疑う人の盗聴器とは、想像上の盗聴器でしかなく、妄想で作り上げた盗聴器で聞かれていると本気で思い込んでいるのだ。

それは知恵袋で盗聴などの質問に回答を寄せる人も同じだ。

実際の盗聴器など見た事も触った事も無い人が、聞きかじっただけの知識で回答を寄せ、デマを拡散し被害妄想者を追い詰めている。

つまり、経験の伴わない知識は妄想と何ら変わりは無く害でしかない。

故に、経験で学ぶ自然界の動物が統合失調症を発症する事は無く、発症するのは人間だけである。

統合失調症の人に限らず精神を病む人は、やたらと情報を求める傾向が強い。

しかし、情報を求める人は知らないから求めるのだが、元々知らない人に情報の真偽が分かるはずも無いので、鵜呑みに信じやすい傾向を持つ。

それは情報に左右されて振り回される事を意味する。

物事の真偽と言う物は自ら経験して学んだ「経験知から導き出される経験則」が必要不可欠である。

経験の伴わない情報や教えと言った「形式知」は、妄想と大差は無い。

自分が経験した事でなければ、頭の中だけの事なので妄想と変わらないのだ。

そうした形式知を全て現実だと信じてしまえば、現実と世界観が解離する事となり、解離が大きくなれば受けるストレスも多大になる。

こうした状況になった人は、打開策を求める。

それは相談であったり、治療であったり、スピリチュアルであったりする。

しかし、目前の問題を解決しようとしても、おいそれとは上手く行かない。

何故なら、それらの要因は親や生活環境が作っている場合が多く、治療以前に親の反省や生活環境の改善が求められる場合が多いからである。

余談だが、盗聴を気にする人と気にしない人がいるのだが、両者の違いは「ありのままの自分」を認めて愛せるか、認められず嫌悪するかの違いである。

ありのままの自分とは、自分の長所も短所も認めた上で、その全てを受け入れて愛するという事。

それが自己肯定感である。

短所も含めた自分を愛しているなら、短所は恥とは感じないので気にならない。

逆に、自分の短所を認められず、自分の短所を嫌悪していれば、自分の短所を恥だと思い知られたく無いと思う。

ありのままの自分を愛せない一番の原因は、親がありのままの子供を認めずに理想を押し付ける事から始まる。

親にありのままの自分を認められずに育てられれば、往々にして子供は親の望む良い子を演じてしまう。

そして大人になってからでも理想の自分を演じ続ける傾向を持つ。

親の望む良い子を演じる背景には、ありのままの自分は愛されないと言った「見捨てられ不安」がある。

子供にとって、親から見捨てられる事は生存の危機となる。

故に、ありのままの自分を受け入れる事が出来なくなる。

ありのままの自分を受け入れられず、理想の自分を演じていれば、ありのままの自分と理想の自分の間に乖離が起きる事となる。

すると、ありのままの自分と理想の自分が否定し合う事となり、それが幻聴や妄想に反映されれば幻聴や妄想は自分に否定的な傾向を持つ事になる。

理想の自分とは、妄想で作り上げた自分でもあり、それが本当の自分だと思い込む事も、妄想を現実と思い込む事と同じである。

また親の望む理想の子供を演じてきた子供が成長すると、往々にして周囲の人の求める自分のキャラクターを演じようとする傾向を持つ。

厄介な事に、理想の自分を演じて生きていると、それが本当の自分だと思い込んでしまったり、本当の自分が何なのかも分からなくなったりもする。

つまり、自分が見えなくなってしまうのだ。

言い換えると、自他境界とは自分と他人を明確に分ける境界なのだが、そこに「自分」と言う物が無くなってしまい、「自分は何者?」と言う感覚に陥ってしまう。

こうなると、演じている理想の自分も、心の中で作られている自分も大差は無くなる。

演じている自分は本当の自分ではなく、本当の自分が何かも分からなくなってしまえば、自分を信じる事が出来ず、自分に自信を持つ事も出来ず、心は抑圧され続ける。

自分を信じられない者は、信じられない自分を他者に投影する為、他人も信じられず、他人は常に疑心暗鬼の対象となってしまう。

因みに、疑心暗鬼に捕らわれた人に通常の感覚で接すると痛い目に合う事がある。

例えばボランティア的にな無償行為。

健常者の感覚からすると、ハンディを背負った人を無償で援助するのは美徳好意で感謝される事は有っても恨まれる筋合いではないと考えるだろう。

しかし、ハンディを背負った人からすれば、下手なボランティア精神は自分ハンディを突き付けられ、自尊心を傷付けらたと思えたり、絶対裏があると勘ぐる人もいて、その結果犯人扱いされる事となり、その理不尽さに苛まれる事となる。

これは老人介護などの「取られ妄想」と原理は同じで、面倒見の良い人程泥棒などの犯人扱いされる。

行過ぎた教育も幻聴の要因となりうる。

子供の頃に必要なのは勉強ではなく、昔ながらの遊びで友達と遊ぶ事である。

昔ながらの遊びには社会性に必要な要素が多分に含まれており、昔ながらの遊びをして来なければ社会性が低くコミュニケーションに問題を抱える事になる。

コミュニケーション力が低ければ他人に対して疑心暗鬼が生じ易くなってしまう。

一日は誰にも等しく24時間しかない。

その24時間を何かに特化して費やせば、別の何かを習得する時間は削られる。

こうした事を「被害妄想解体新書」で詳しく書いている。

またこの記事を読まれた方は「被害妄想は曖昧性」「騒音の無い生活騒音トラブル」もあわせて読まれる事をお奨めする。

また、最新研究も含めて集大成として書いたのが「なぜ人は精神を病むのか: 心を蝕む二次元脳」である。

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