yahoo知恵ノートから移設
yahoo知恵ノートの終了に伴い知恵ノートより移設。
自分の行動を指摘する声や実況する声、悪口や誹謗中傷する声が聞えても、その声が実在するとは限りません。
実在しない声はどれ程高性能な録音装置を用いても録音など出来ません。
そうした声が聞えても録音出来ないのなら、嫌がらせとか犯行を疑う前に幻聴を疑いましょう。
幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い
この知恵袋で幻聴系や被害妄想的な質問をする人に対して、直ぐに統合失調症を持ち出す人を見かける。
しかし、幻聴や被害妄想は統合失調症特有の症状では無い。
質問者に「それは統合失調症」と返信すれば、質問者を追い込む事になり兼ねないので、著書として出してはいるが、私が調べてきた事を「知恵ノート」にも記して置こうと思う。
幻聴と言っても様々
まず幻聴系だが、幻聴と一言で言っても色々なケースが存在する。
大分類として、「音系」と「声系」に分類される。
「音系」は声ではなく「音」が聞えるタイプだ。
その音を不快に思っていたり、嫌がらせのように感じている人も多い。
また、自分の室内の行動に合わせて音が移動して聞えるので、「盗聴器などで居場所を知られて嫌がらせをしている」と思い込んでいる人も少なくない。
聞える音を不快に思っている人は「生活騒音」と言い、嫌がらせと感じている人は「仄めかし」と言ったりする。
「声系」は声が聞こえるタイプで、主に自分の行動を指摘する声や、自分の噂や悪口など、自分を否定するような声が聞こえる人が多い。
幻聴の実体
「音系」と「声系」、この両者とも共通した特徴がある。
まず音系だが、第三者立会いで計測しようとすると、その音は聞えない場合が殆どである。
また、音が聞こえた場合でも、第三者には騒音と言える程の音には聞えない。
そこで、本人に機材を渡して測定すると「40db」もありましたと言う報告が来る事がある。
その数値は、騒音など存在して無い事を示す数値である。
「40db」と言えば、深夜の市内、図書館、昼の住宅の音レベルで、かなり静かな状態を示す数値だ。
では何故40dbが騒音に聞えるのか?
実は、彼等に聞えているのは騒音ではない。
最も多いのが「感覚過敏(聴覚過敏)」で、小さな音が大きな音に聞えている。
聴覚過敏は症状と言うより、防衛反応として出ていると考えた方が分かりやすい。
そもそもストレスとは敵に襲われた時の防衛システムであり、ストレス状態にあれば脳は警戒モードに入り、接近者を逸早く発見出来るように音に敏感になる。
そこには他者に対する不信が有る場合が多く、脳(本能)が他者を敵認定していればストレス状態となり、そのストレスが警戒モードを引き起こし、音に敏感になる事で些細な音が気になり、ストレスが増して行く悪循環に陥る。
脳にはノイズキャンセラの様な機能が備わっているのだが、聴覚過敏はその機能が作動しない事が原因と考えられる。
極端な例だが、双極性障害を発症した友人は、普通に話す私の声が鼓膜が破れるほどの大声に聞えていた程で、ヒソヒソ声で話しても耳が痛いほど大きく聞えると言っていた。
また、感音性難聴やメニエール病などのストレス性の難聴の人は、換気扇等のモーターの様な耳障りな低音が聞えているのだが、それは低音性の耳鳴りであり、その耳鳴りを騒音だと思いこんでいる人が多い。
その他にも、寝ようとすると、ドアを強く閉めたり、ドンドンと足音を鳴らしたりする嫌がらせをされると言う人もいるが、それは「脳内爆発音症候群」によって聞えている場合が多い。
脳内爆発音症候群は寝入り端に起きる。
それら全てに共通する原因が「ストレス」である。
ストレスとは本来、敵から身を守る為の防衛反応である為、ストレス反応が出ると神経が興奮状態となり、交換神経も優位な状態となる。
ストレスが続くと交感神経優位な状態が続き、その結果、聴覚器官や脳の神経への血液供給が悪化する事で機能不全を起す。
それが耳に症状が出れば感音性難聴などの難聴になり、脳に出れば精神疾患となる。
また、これは実際にそのお宅へ出向かなければ分からないが、こうした事が原因で騒音を訴える人(トラブル化している人)は例外無く何らかの形で孤立化している。
社会的孤立、家庭内孤立、精神的孤立、対人的孤立などなど。
そして、コミュニケーションに苦手意識を持っている。
孤立化は感覚過敏を引き起こす原因となるのだが、これは一概に病気とは言えない。
感覚過敏(聴覚過敏)を理解するには、人間が集団で生きる動物である事から理解する必要がある。
集団を形成する動物のメリットは、集団を形成する事で種の生存率を上げる事だ。
天敵に狙われた時、集団を形成していれば多くの目があるので逸早く天敵の接近を発見する事が出来る。
そうした多くの目がある集団にいれば、自分が警戒していなくても誰かが警戒しているので気を抜ける時間が作れる。
また、一匹で生活していれば天敵に襲われた時の生存確率は低いが、集団でいれば生存確率は高くなり、種の繁栄に繋がる。
しかし、集団のメリットを享受する為には絶対条件がある。
それは仲間への信頼。
もし、集団の仲間を信じられなければ敵中に孤立しているのと変わらない。
つまり、孤立とは集団から逸れた状態であり、脳が警戒を解けない状態となる為に神経が過敏になる。
その警戒こそがストレス状態であり、脳が警戒モードに入っている為、些細な音でも気になってしまい、自分に向けられた音のように感じてしまう。
声系の人はその進化版と考えれば分かり易いだろう。
声系は、聞こえている音に「補完機能」が働いて音が声に聞こえたり、聞き取れない音量の音や会話の内容を脳が補完して聞こえている。
この補完機能は誰もが備えている能力で、病気の症状では無い。
それは「録音の解析」をする事で明らかにしている。
例えば「あ、また食べてる」と言う声が録音されているとして送られたファイルには、ボリュームを最大にしても聞き取れない程の音が録音されていた。
その音が入っている部分だけをカットし、音量を増幅するソフトで何倍にも増幅して聞くと「あ」の部分は電子音の「ピ」と言う音が録音されており、「また食べている」と言う部分は、工事現場の音に混じって「何で壊すの」と言う声が確認された。
別の代表的な例では「犯人が語りかけてくる声が録音されています」と言う録音ファイルを相談者が持ち込んで来た。
その録音ファイルを音声スペクトラムアナライザーで音を視覚化して分析すると、相談者の声以外には雨音と時計の音しか録音されておらず、私には本人が一人で話しているようにしか聞こえない。
しかし、一緒に聞いていた相談者には相手の声が聞こえると言う。
これらのケースの面白い所は、それが録音ファイルであると言う事だ。
録音ファイルなので、脳内通信だとか電波送信だとかの戯言は通用しない。
録音ファイルからは電波だとかテレパシーなどは間違っても出ない。
しかし、相談者には何度ファイルを再生しても、同じ所で同じ内容が聞こえているので間違いなく音が原因で聞こえている。
そう、このファイルには確かに声の原因が録音されていた。
その原因が、雨音と時計の音であり、それらの音を声に補完して聞こえていたのだ。
「あ、また食べてる」の音声ファイルも同じ様に、電子音の「ピ」を「あ」に「何で壊すの」を「また食べてる」に、聞き取れない程の雑音を声に補完して聞えていたのだ。
この手の幻聴には、共通した特徴がある。
声が聞こえる時には必ず雑多な音(ノイズ)が存在し、「無音」では幻聴が聞こえない。
そして無音の時は、耳が「ボーン」とした感じになる人も多い。
こうした録音データの解析から分かる事は、通常聞き逃すほどの小さな音が、本人にはハッキリと聞こえていると言う事である。
つまり、通常では聞き取れない音が聴覚過敏で聞こえ、良く聞えなかった音を脳が補完して聞こえた物が幻聴である事が分かって来る。
また、雨音などの一定のノイズが連続して聞こえるような状態では、そのノイズの中に重要な情報が無いかと脳が詮索する事によって幻聴が起きる。
そして、聞こえる声の内容は、次項の「幻聴と心理状態」で書いている心的要因によって左右されている。
こうした補完系の幻聴は難聴系でも起こる。
例えば、感音性難聴などの有毛細胞系の難聴では、部分的に聞えていなかったりしているのだが、通常は補完機能が働いて、聞えない部分を前後の文脈や状況から正しく補完されて聞えるので難聴の自覚がない。
しかし、部分的に聞えていない所が心的要因に左右されて補完されてしまうと、自分に対する悪口などに聞えてしまう。
例えば「おかあさん」の「か」が聞えず「ば」に補完すれば「おばあさん」に聞えてしまったり「空き巣とかに狙われる」の「あき」を聞き逃して補完されれば「ストーカーに狙われる」と聞えてしまったりする。
こうした聞き逃しタイプの補完とは違う補完もある。
例えばこの音声ファイル。
この音声ファイルを聞くと、しゃがれた声で「せいや」とか「そいや」とか、神輿を担いでいる時の掛け声のように聞える。
しかし実態はこれだ。
最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを切り取った物なので、全く同じ音源なのだが、映像が付いている物と付いていない物では、同じ音源でも聞こえ方まで違う。
最初の音声ファイルが何故声の様に聞えたのか?
それが「音階」である。
言葉を含む全ての音には音階がある為、単語の音階と同じ音階の雑音があると声のように聞こえてしまう。
そして、雑音は様々な音の集合体であり、様々な音階の集合体でもある。
その音階の集合体の中から、気になる単語の音階だけを聞き取り補完する事でも幻聴は起きる。
また、言葉に変換されないノイズでも、言葉として聞き取れない人がざわつくような声に聞えたりもする。
その代表的な物が「雨音と拍手」で、雨音に聞こえていた音が拍手に聞えたりもする。
これは音のルビンの壷とも言えるような現象である。
通常は、音源の視覚情報があったり、人の目を気にしていなければ音階による補完は薄いのだが、次項の「幻聴と心理状態」で書いている状態の人はこの補完が強く出る傾向が見受けられる。
補完は聴覚に限った事ではなく、視覚でも起きる。
その片鱗を体験出来るのがこの画像だ。
リンク先の上にある12個の点は見えるのだが、その点に格子の図形が加わると視点の中心付近の4つの点しか見えなくなってしまう。
何故、そうした現象が起きるのか?
人間がハッキリと物を見る事が出来るのは黄斑の周辺であり「錐体細胞」が密集している所に映った映像だけで、それが視点だ。
その視点以外の所は、12個の点だけの画像の様に、ハッキリと見えている様に感じているが、実は然程ハッキリとは見えていない。
ハッキリと見えていると感じているのは、脳が周囲の状況から推測して補完しているからである。
それ故12個の点に格子が掛かると、錐体細胞の領域では点を認識できるが、桿体細胞の領域では認識出来ないので、周囲の情報から格子を補完してしまう為、錐体細胞の領域以外の点は見えなくなってしまう。
これが視覚に於ける補完だ。
そして、視覚の補完も聴覚と同様に心的要因に左右されて見え方が変わってしまう。
それ故、錯視の多くは周辺視野の領域で起きている場合と距離がある場合が殆どである。
また、こんな事例もある。
例えば、坂田利夫と松山千春の顔が同じ顔に見えている様な人だ。
これは、一つの目立つ特徴から顔を補完している為に起きると考えられる。
こうした人の言動は実に興味深い物がある。
坂田利夫と松山千春で例えるなら、二人の写真を並べて見比べた時に「雰囲気は違うが同じ人です」と言ったりする。
第三者が見れば全くの別人の顔が、雰囲気の違い程度にしか判別出来ていないのだ。
また、他人の何気ない行動が自分に対する加害の様に思えたりもする。
例えば、歩きスマホをしている人を見ると、自分の顔が配信されていて、自分の顔を確認されていると思えたりする。
歩きスマホをしている人は、スマホを見ている時にぶつからない様に、進行方向をチラ見したりするのだが、そのチラ見が画像と照合されているかの様に見えていたりする。
本来、誰かの行動に対する理由は本人以外誰にも分からない。
相手には相手の事情が有って行っている行動を、自分に関連させた妄想で補完された認知がなされているので、前方確認のチラ見が自分の顔の照合に見えてしまうのである。
そうした補完が被害妄想を確信に変えてしまう。
そして、持っている被害妄想(コンプレックス)の影響を受けた補完がなされる。
と言うより、被害妄想自体が「思考の補完」なのだ。
視覚や聴覚の補完は、見えない部分や聞えない部分を、周囲の状況から推測して補完が行われる。
妄想も原理は同じで、本来分からない部分を推測(妄想)で補っている。
つまり、幻聴、幻覚、被害妄想と言った統合失調症の症状と言われている物の全てが「補完」であり、視覚と聴覚と思考が相互に影響し合いながら補完は行われている。
視覚が聴覚の補完に関係しているのは、こちらで体験出来る。
幻聴のもう一つの原因が幻覚物質のアドレノクロムである。
ホッファー博士の提唱する分子整合療法によると、総合失調症の幻聴はアドレノクロムが原因物質であるとされている。
統合失調症はドーパミン過多が原因と言われており、そのドーパミンを基にしてノルアドレナリンが生成される。
そのノルアドレナリンがメチル化してアドレナリンとなり、アドレナリンが酸化する事でアドレノクロムが生成される。
このアドレノクロムは幻覚作用を持つメスカリンと同じ成分で構成されている為、同じ作用を持つとされている。
分子整合療法ではアドレノクロムがアドレナリンの酸化物質であるなら、アドレナリンを酸化させなければ良いと言う考えから、抗酸化作用のあるビタミンCやEの大量摂取や、アドレナリンの前段階であるノルアドレナリンのメチル化を阻害するビタミンB3(ナイアシン)の投与が有効とされている。
文献によると、実験で投与された量は、1時間当たりビタミンCを1000mgと書かれている。
ビタミンは大量摂取しても大丈夫な物と体調不良を起す物もあるので、医師の監修が必要である。
但し、日本では分子整合療法は認知されていない。
また、幻聴や幻覚に対する効果は記されているが、統合失調症が治ったとは記載されていない。
幻聴と心理状態
被害妄想を抱く人の共通した特徴は「人間不信」「社会性の低さ」があり、社会性の低さは、そのままコミュニケーションの低さでもある。
被害妄想を端的に表す言葉が「疑心暗鬼」である。
その語源は「疑心、暗鬼を生ず」であり、「暗闇と言うだけで疑い、鬼がいるかのように見える」から来ている。
被害妄想は、他人を信じずコミュニケーションが取れない為に、他人が分らない。
その分らない他人が暗鬼となり、疑心を生じている状態である。
他人が考えている事など、誰にも分かるはずも無い。
しかし、コミュニケーションを重ねる事で他人を理解する事は出来る。
逆に、コミュニケーションを重ねなければ他人を理解する事は出来ない。
そして、相手を信じて自分が心を開かなければ、相手も心を開いて本心を話さず、上辺だけの付き合いしか出来ない。
コミュニケーションが苦手で他人を信じられない人は、他人の心を想像するしかない。
人間は無から何かを生み出す事は出来ない。
必ず、ベースとなる物が必要となる。
それが、自分だ。
「自分はこう思うから、相手もこう思うだろう」と言った考えである。
しかし、それは他人の思いではなく、自分の思いでしかない。
つまり、他人と言う鏡に自分を反映させているに過ぎず、心を開いたコミュニケーションを積み重ねてこなかった人の考える他人の自分に対する評価は、自分自身の自己評価でしかない。
それが投影である。
ここにもう一つの問題が生じる。
自己評価を他人の評価と信じ込む事は、自分の考えなのか他人の考えなのかの区別が付かない状態であり、それが自他境界の曖昧性となる。
自他境界の曖昧性 は自分と他人の区別が付かなくなっている状態と言えば分かり易いだろう。
厳密に言えば、自分と自分の中で作られている他人との境界の喪失であり、自分の中で作られている他人を現実の他人だと思い込む事で自他境界が崩れて行く。
すると、自分も、自分の中で作られている他人も自分でしかないので、自分の言動や行動から思考に至るまで、自分が知っている事は自分の中の他人も知っている事になる。
それが、声として感じれば「幻聴」となり、頭に直接届くようなら「音声送信」の様に感じられ、自分の考えがダダ漏れのように誰かに伝わっている様に感じれば「思考盗聴(思考伝播)」や「サトラレ」と言う言葉になり、それが別人格となれば多重人格になる。
そして行動を知られている、聞かれていると思えてしまうと、盗聴とか盗撮とか監視と言った言葉が出て来る。
こうした心理が、聴覚の補完に影響を与えれば幻聴は起こり、視覚の補完に影響を与えれば被害妄想となる。
それは、心理状態が感覚の補完が影響を受け、その結果、世界を正確に認知する事が困難になる事を意味している。
こうなると、まるで統合失調症の症状のように思われるが、初期の時点ではまだ心の問題なので病気とは言えない。
しかし、自他境界が曖昧な状態はストレスを生み、ストレスが継続すれば脳細胞がダメージを受ける事となり、脳細胞がダメージを受ければ機能障害を起して病気となる。
幻聴や被害妄想を個別に分析検証して行くと、それらが統合失調症の症状ではなく、統合失調症を含む精神疾患を引起す「要因」である事が分かって来る。
問題は、幻聴や被害妄想の原因が「投影」ならば、投薬治療では自他境界や世界観の曖昧性まで治療する事は出来ないと言う事だ。
それ故、治療の効果は期待出来ず、それが焦りとなってストレスとなってしまう。
それは疾患の原因が供給され続け、悪循環に陥る事を意味する。
自分の心を投影した他人を現実の他人と思い込む事は、妄想と現実の区別が付かない事と同じである。
こうした観点からすると、統合失調症の症状の一つとされる「現実と妄想の区別が付かない」と言う症状も、症状ではなく原因であると言える。
盗聴調査の仕事をしていると、その事を実感する。
盗聴を疑う人の世界観は、テレビで見たとかネットで調べたとかの知識だけだ。
そして、盗聴発見器は買っても盗聴器を買う人はまずいない。
盗聴を疑う人の盗聴器とは、想像上の盗聴器でしかなく、妄想で作り上げた盗聴器で聞かれていると本気で思い込んでいるのだ。
つまり、経験の伴わない知識は妄想と何ら変わりは無いのだ。
故に、経験で学ぶ自然界の動物が統合失調症を発症する事は無く、発症するのは人間だけである。
統合失調症の人に限らず精神を病む人は、やたらと情報を求める傾向が強い。
それは情報に左右されて振り回される事を意味する。
経験の伴わない情報や教えと言った物は妄想と変わりは無い。
自分が経験していなければ、頭の中だけの事なので妄想と変わらないのだ。
そうした物が現実だと信じてしまえば、現実と世界観が解離する事となり、解離が大きくなれば受けるストレスも多大になる。
こうした状況になった人は、打開策を求める。
それは相談であったり、治療であったり、スピリチュアルであったりする。
しかし、目前の問題を解決しようとしても、おいそれとは上手く行かない。
何故なら、それらの要因は親が作っている場合が多く、治療以前に親の反省と改善が求められる場合が多いからである。
余談だが、盗聴を気にする人と気にしない人がいるのだが、両者の違いは「ありのままの自分」を認めて愛せるか、認められず愛せないかの違いである。
ありのままの自分とは、自分の長所も短所も認めた上で、その全てを受け入れて愛するという事。
短所も含めた自分を愛しているなら、短所は恥とは感じないので気にならない。
逆に、自分の短所を認められず、自分の短所を愛せなければ、自分の短所を恥だと思い知られたく無いと思う。
ありのままの自分を愛せない一番の原因は、親がありのままの子供を認めずに理想を押し付ける所にある。となる
親にありのままの自分を認められずに育てられれば、往々にして子供は親の望む良い子を演じてしまう。
親の望む良い子を演じる背景には、ありのままの自分は愛されないと言った「見捨てられ不安」がある。
子供にとって、親から見捨てられる事は生存の危機となる。
故に、ありのままの自分を受け入れる事が出来なくなる。
ありのままの自分を受け入れられず、理想の自分を演じていれば、ありのままの自分と理想の自分の間に乖離が起きる事となる。
すると、ありのままの自分と理想の自分が否定し合う事となり、それが幻聴に反映されれば幻聴は自分に否定的な傾向を持つ事になる。
理想の自分とは、妄想で作り上げた自分でもあり、それが本当の自分だと思い込む事も、妄想を現実と思い込む事と同じである。
厄介な事に、理想の自分を演じて生きていると、それが本当の自分だと思い込んでしまったり、本当の自分が何なのかも分からなくなったりもする。
そうなると、本当の自分に自信を持つ事が出来ない。
自分を信じられない者は、信じられない自分を他者に投影する為、他人を信じられない。
行過ぎた教育も幻聴の要因となりうる。
子供の頃に必要なのは勉強ではなく、昔ながらの遊びで友達と遊ぶ事である。
昔ながらの遊びには社会性に必要な要素が多分に含まれており、昔ながらの遊びをして来なければ社会性が低くコミュニケーションに問題を抱える事になる。
コミュニケーション力が低ければ他人に対して疑心暗鬼が生じ易くなってしまう。
一日は誰にも等しく24時間しかない。
その24時間を何かに特化して費やせば、別の何かを習得する時間は削られる。
こうした事を「被害妄想解体新書」で詳しく書いている。
またこの記事を読まれた方は「被害妄想は曖昧性」「騒音の無い生活騒音トラブル」もあわせて読まれる事をお奨めする。
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