豊洲報道に見る情報の非対称性に於ける心理

築地市場の豊洲移転問題が連日報道され、都民に不安が広がっている。

毎日のように新事実が見つかったと報道され、ついには白紙案まで浮上してきている。

この状況は集団ストーカー妄想に陥る原理と全く同じである。

なので、豊洲移転問題は集団ストーカー妄想に陥る様子を客観的に見る事が出来るので取り上げる事にした。

 

まず、豊洲移転問題に対する報道のあり方にそもそもの原因がある。

東京系の全ての放送が、同じ方向を向いてしまっているのだ。

コメンテーターとして登場する専門家の顔ぶれは、どのチャンネルも同じ、当然言っている事も同じ。

相反する意見が全く取り上げられていないのだ。

これが「情報の非対称性」と言う状況である。

情報の非対称下では「逆選択(逆選抜)」が起きる。

そして不安に火を付けられた人々は、冷静な判断力や思考力を失い感情に支配されてしまう。

そして疑心暗鬼に陥り、全てを疑いの目で見てしまう。

疑いの目を持って見れば全てが怪しく見えてしまう。

これが「信頼」を失った状態である。

信頼が失われれば、真実を話しても誰も信じようとはしなくなり、真実は疑惑の対象となってしまう。

そして、豊洲移転の問題の根底には無知と無理解があり、専門バカが拍車を掛けている。

 

それをこれから解説して行こう。

 

まず無知の問題だが、豊洲市場の地下に謎の空間があると報道された時、知っている人と知らない人では反応が異なる。

建築に造詣が有る人なら建物の下の空間と聞けば、直ぐに「地下ピット」を思い浮かべるだろう。

それは何所のマンションにも普通に存在している空間である。

なので不思議とは思わず「そんなの当たり前だろう」と思う。

しかし、地下ピットはマンションの住人と言えど立ち入る事は出来ない空間なので、その存在を知る者は少ない。

地下ピットの存在を知らなければ、建物の下に謎の空間がると聞けば、そこに疑念が生まれる。

その疑念は想像を掻き立て、隠蔽や陰謀の可能性を思い描く。

そこに地下ピットの写真が公開され、そこに水が溜まっているのを目にする。

建築中の地下ピットに入った事が有ればそれは普通の光景だが、地下ピットの存在すら知らない人からすると、水が溜まっている事が特別の事のように思えてしまい、そこに欠陥を疑い始める。

それらの疑惑が土壌汚染の問題とリンクして不安が掻き立てられる。

しかし、リンク先の画像でも分かるように、施工途中ではそれが普通なのである。

そして、現場で働く人は雨の日に水が地下ピットに流れ込む光景も目にしている。

 

問題は地下ピットに対する無知が、都民だけでなく歴代の知事や専門家会議も同じであった事だ。

建築に地下ピットがセットになっている事を知らないからこそ、地下を作るとか作らないとか言う話しが出て来る。

それは、建築物に必要不可欠な物を、そこだけ作るか作らないかの議論でしかない。

それは、スマートホンを販売するのに、液晶はガラスだから危ないので液晶を付けるか付けないかの議論をするのと同じだ。

既にそこからボタンの掛け違いが発生しているのだ。

専門家会議は土壌汚染の専門家の会議であって建築の専門家の会議ではない。

もしそこに、設計担当者が入ってるか専門家会議のメンバーに地下ピットの存在を知る者がいれば盛り土案は変わっていただろう。

設計不在の会議だからこそ、地下ピットが考慮されていない盛り土案が提案される事になる。

 

地下ピットを考慮されていない盛り土案が決まってしまうと、設計や施工は頭を抱える事になる。

少し頭を働かせて考えてみよう。

水を然程使わない施設なら配管もシンプルなので建物の中に数本通せば良いが、水を多く使う施設では多くの配管が必要になる。

もし、配管を埋設してしまえば、地震などで破損すれば復旧は困難になる。

予め空間を作りそこに配管を通せば素早く復旧できる。

地下ピットは本来そうした目的で作られる設備だ。

また。建物には必ず基礎が必要である。

その基礎は地中に作ら無ければならないので、盛り土をしても結局掘り返す事になる。

盛り土を掘らずに基礎を作ろうとすれば、当然高床式にせざるを得ない。

高床式にすると、耐震強度が低くなる。

例えば、マッチ箱を土の上に置けば風が吹いただけで倒れてしまうが、マッチ箱を少し土に埋めるだけで倒れ難くなる。

耐震はそれと基本的に同じで、地中に埋没させた方が強度は増す。

しかも盛り土は重量物が乗るのには適さない。

何故なら、土が締まっていないので重量物が乗ると沈下を起こす。

建物自体は杭で支えられているので沈下はしないが、周りの土は次第に沈下して行く。

例えば、穴を掘ってそこに砂を埋める。

その砂に水を掛けると直ぐに沈下を起こす。

これは水締めと言って、埋めた時に出来た空間に水で砂が運ばれて、砂が締まった状態になるのでこれを「水締め」と言うのだが、盛り土にもそれと同じ事が起きる。

但し、砂の様に直ぐに起きるのではなく、時間を掛けてゆっくりと進行して行く。

するとどうなるかと言えば、建物の周りの土が沈下して建物が浮いた状態になり、建物の床下と地面との間にも自然に空間が出来てしまう。

勝手に出来てしまう空間は、予測も制御も出来ない。

つまり盛り土にしても、知らない間に空間が出現し、もし地中にベンゼンが残っていたら、ベンゼンは揮発性なのでその空間に溜まる事になる。

揮発性のベンゼンは濃度が濃ければ引火もする。

土壌汚染しか知らなければ、別の危険性に気付かない。

これが専門バカによるボタンの掛け違いである。

 

一旦議会で決まった事は、現場で覆す事は出来ない。

すると、限られた状況の中で最善の方法を模索する事になる。

自然に空間が出来てしまって予測も制御も出来ないなら、予め空間を作り制御した方が合理的だ。

本来有るべき地下ピットを作れば問題は無くなる。

土壌汚染には土壌汚染対策法と言う物があり、汚染土壌との接触を遮断するため、厚さ10cm以上のコンクリート舗装または厚さ3cm以上のアスファルト舗装などを施すとなっている。

地下ピットを作ればその規定はクリアー出来る。

そして建物以外の場所は、盛り土がそのまま生かされる。

地中に染み込んだ揮発性物質のコントロールは三つだ。

大気中に自然拡散させるか、コンクリートで押さえ込むか、揮発し易い状態にしてのフィルター換気するかだ。

限られた条件下で、最善を求めればあの形式に辿り着く。

なので、建築に造詣がある人からするとあの形状はとても合理的なのだが、それを知らない人からすると「違うじゃないか」と言う事になる。

 

地下水の問題は、共産党の議員団が視察して写真を公開した事に端を発する。

ここにも無知が発生している。

建築に携わった事が無い人は、工程と言う物を理解していない。

地下ピットに雨水が溜まるのは現場では常識である。

地下ピットに溜まった水を吸い出しても直ぐに溜まってしまう。

なので、地下ピットで作業する時だけ水中ポンプを入れ、水をくみ出してから作業する。

地下ピットは主に配管を設置するスペースである。

その配管工事が終わらない限り、ポンプも排気も動かす事が出来ない。

また、配管だけでなく配線も繋がなくては動かない。

当たり前のように水が入っていれば、配線する事も出来ない。

なので、地下ピットの作業は水の流入が少なくなってから行なわれる。

また、建築中に稼動させれば電気代などの費用が発生する。

その為、地下ピットの水抜きや清掃は最終工程になる。

そうした工程も知らない議員団が疑いの目を持って、排水設備が稼動する前の地下ピットに入れば、「何だこの水は!」と言う事になる。

作業員でさえ送風機で空気を送り込みながら作業する所に、入れろと言われれば当然拒否される。

拒否されれば「何かあるに違いない」と疑いを深めてしまい「酸欠の危険がある」と言う説明も、誤魔化しにしか聞こえなくなってしまう。

そして、建築に造詣がある人が酸欠の危険があるから当然だと言えば、それを知らない人には「擁護」に聞こえてしまう。

さらに、その水のphを計って強アルカリ性を示すと、自慢げに発表する。

しかし、工事現場に溜まった水の全てが強アルカリ性なのだが、議員団はその事を知らないから騒ぎ立てる。

その姿はまるで電磁波があるべき所で、電波探知機が反応したと騒ぎ立てている集スト投稿動画と同じだ。

マスコミが地下ピットへ入り、その水に手を入れて、底に溜まった白い泥のような物をすくい上げて、何でしょう?とリポートする。

それこそが工事現場の水を一瞬で強アルカリにする原因物質なのだが、誰一人として気付かずただの泥だと思って見過ごしてしまう。

その白い泥はコンクリートの粉塵が堆積した物で、乾いていれば粉塵だが水と混じれば泥になる。

粉塵の上に水が落ちれば、その時点で水と混ざり強アルカリになる。

現場の水が強アルカリである事を知らない人達は、更に疑念を深めてその水を調べ出す。

すると、アンモニアや亜硝酸やヒ素が出て来たと大騒ぎになる。

強アルカリの水にアンモニアや亜硝酸があるのは別に不思議な事ではない。

そこにもう一つ有るべき物質が検出されていない所に、アンモニアや亜硝酸の原因がある。

その物質とは硝酸である。

植物や動物が死ぬとアンモニアが発生する。

そのアンモニアを亜硝酸菌が分解して亜硝酸塩が出来る。

その亜硝酸塩を硝酸菌が硝酸塩に分解する。

亜硝酸菌はアルカリに強く硝酸菌はアルカリに弱いので、アルカリ下ではアンモニアの分解は亜硝酸までしか進まない。

もし地下水が上がってきた水で、その水に含まれていた成分だとしたら、硝酸塩まで分解されているので、硝酸塩が検出されなければおかしい。

これはアクアリウムの常識だ。

 

水の中に何かあるかもしれないと疑い、ある物だけを調べようとすれば、無ければおかしい物に気付けない。

このアンモニア分解の原理を知っていれば、アンモニアと亜硝酸しか検出されない事が、地下ピットに溜まった水が雨水の可能性の高さを示している事に気付けるのだが、知らなければそこに疑念が生じてしまう。

 

そもそもの話だが、ベンゼンと言う物質は無極性の為に水に溶けず、比重は水よりも軽いので水に浮く。

例えば同じ水より軽いアルコールは水に溶けて混ざり合う。

その理由はアルコールが極性を持っているから水と電気的結合を起こして水に溶ける。

しかし、無極性のベンゼンは水と電気的結合を起こさないから水に溶けない。

水に溶けず、水より比重の軽いベンゼンで地下水は汚染されない。

理由は簡単だ。

ベンゼンは水より比重が軽いので地下水面より下へは行けず、水と分離する物質だからだ。

その地下水面より上の土を除去していると言う事は、理論上そこより下にベンゼンは無いと言う事である。

ベンゼンの性質を知れば、4万倍のベンゼンの意味も分かってくる。

水位より下に行けないからそこに溜まるしかない。

人はその数値の大きさだけに目が行き、ベンゼンと言う物質の性質を知ろうとはしない。

だからこそ、人の心の中でベンゼンはモンスターと化し、過剰な恐れを抱く事になる。

しかし、ベンゼンが溜まっていた土はすでに除去され、もうそこにベンゼンは居ないのだ。

残っているのはベンゼンの破片と、人の心に作られたモンスターだけだ。

集団ストーカー妄想の犯人はそのモンスターと同じなのだ。

 

こうなってしまっては、怪しい物探しが止まらなくなってしまう。

何が何でも探し出そうとする。

すると基準値以下の、地中や海水に普通に存在するレベルでのヒ素でさえ、ヒ素があると言うだけで問題になる。

検出されたヒ素の0.003mg/Lと言う数字が一人歩きしてしまう。

例えば、主食の米に含まれるヒ素は0.14mg/L、ミネラルウォーターには0.05mg/Lも入っている。

それは福島原発の事故後に、自然放射能を測定して危険だと騒いでいた集ストさんと変わらない。

専門家は雨水に含まれるヒ素ではこの数値は有り得ず、海水と同じレベルなので地下水の可能性を疑う。

更に臭素が見つかったと言い、臭素は雨水に含まれず、海水に含まれるから地下水説を有力視する。

しかし、その比較に大きな間違いがある。

雨水と言っても、雨水をそのまま容器で受けた水ではない。

地表を流れて来た水である事を忘れている。

そこは湾岸エリアで隣は海だ。

地表には海水の細かな水滴が降り注ぎ、それは壁にも付着している。

そこを流れて色々な物質を取り込んで来た水である。

それを雨水と同じと考える所がそもそも間違っている。

 

こうなってしまっては、東京都民を納得させるのは、集ストさんを説得するより難しい。

一旦植え付けられた不安は簡単には消えない。

どれほど検査数値が安全性を示していても、データ偽装を疑われ信用されない。

ここまで風評被害が大きくなっては、豊洲のイメージは地に落ちている。

これが、偏った情報で生じる「情報の非対称性」による「逆選択」の状態である。

 

もし、東京でもこの様な放送がなされていたら、結果は違う物になっていただろう。

それは集団ストーカー妄想を持つ者達も同じだ。

自分の求める情報だけを探し続ける為に、自ら情報の非対称かを招く結果を生み、逆選択を引き起こす。

 

被害妄想の系統と傾向と集団ストーカー妄想

被害妄想には病気の違いによる系統がある。

そして、被害妄想には一次妄想と二次妄想がある。

統合失調症に見られる妄想は一次妄想で、真性妄想とも呼ばれ、その特徴は「何故」が無い所にあり、了解不能な妄想の事を言う。

例えばCIAに狙われていると思っていても、何故狙われるのかが抜けている。

集団ストーカー妄想に多い「咳払いをして合図を送ってくる」と言った妄想も、咳払いを合図と思っているだけでそこに根拠は無い。

統合失調症の妄想の特徴は、ただ思えると言う理由だけで、確信している所に特徴がある。

 

二次妄想には何故がある妄想で、了解可能な妄想の事を言う。

双極性タイプは、同じ様にCIAに狙われていると思っていても、一応理由を持っている。

例えば、国家に不都合だからとか、人体実験に選ばれたとか、自分の才能や特殊技能、能力を妬まれてなどの理由が多い。

そうした理由はともかく、双極性タイプの妄想の特長は、狙われていると思う理由が選民意識を起点にしている所に特徴がある。

また、誇大妄想的特徴も持ち、妄想の中に天皇家やらフリーメイソンなどが登場したりする。

 

うつ病系はマイナス思考で、人間関係や社会的立場に起因した妄想が多い。

例えば、リストラストーカーを使って会社を辞めさせようとしているとか、悪評を立てて辞めさせ様としている等の妄想を抱く所に特徴があり、自律神経症状などの体の不調に対して過度な不安を持ち、そこから電波攻撃などの発想が生まれているケースが多い。

また、コンプレックス系の被害妄想もうつ病に多く見られる。

コンプレックス系被害妄想とは、例えば肥満にコンプレックスを持っている女性の隣に、スレンダーな人が立ったと言うだけで嫌がらせと感じたり、友人の無い人が友達と遊ぶ子供を見て嫌がらせと感じたりする。

言わば、当て付け系の妄想である。

自律神経症状を電磁波攻撃されていると思い込むのも、鬱病系の心気妄想の変化版と考えると分かりやすいだろう。

 

自己愛性人格障害系の妄想は、妄想に著名人の名前が出て来る所に特徴がある。

また、妄想の中に凡人には自分は理解出来ないと言う様な気風がある。

例えば、盗聴妄想一つ取っても「お前レベルで見つかる盗聴ではない」など、何事にも「自分は特別」と言う意識が根底にある。

 

境界性人格障害系は、手のひらを返す所に特徴がある。

例えば、集団ストーカー妄想団体を称賛していたかと思えば、その団体を成りすまし団体だと批判したり、ネットで共闘していたと思えば攻撃していたり、直ぐに手のひらを返す所に特徴がある。

また、ネット上であえて攻撃的言動や、挑発的言動を繰り返し相手を怒らせたり、あえて論議を平行線化させる事で、自分に係わりを持たせ続けようとする者もいる。

早い話が「かまってチャン」タイプだ。

 

こうした病気的な妄想の系統は、病気を併せ持っていれば双方の妄想も併せ持つ事になる。

また病気による妄想の系統とは別に、右脳系妄想と左脳系妄想の違いもある。

左脳系妄想は科学的な傾向を持ち、右脳系妄想はオカルト系の傾向を持ち易い。

 

集団ストーカー妄想は、これらの妄想の集大成的妄想で、多くの人が同じ妄想を抱く集団妄想である。

集団ストーカー妄想はネットで生まれた概念的な妄想であり、これらの妄想の集合体である。

病気毎の妄想系統とは別に、被害妄想には妄想のジャンルがある。

国家やCIAなどの秘密組織系、UFO系、リストラ工作等の工作系、近隣住民系、心霊系、宗教系、フリーメーソン・ユダヤ系など様々なジャンルがある。

インターネットが普及する前は、系統やジャンルはそれぞれが独立し、各々が独自の妄想を展開していた。

その妄想の生みの親と言うべき存在が、少年マガジン連載のMMRと雑誌ムーであり、1999年当時は全てこの雑誌に掲載されていた内容ばかりで作られていた。

熊本の地震の際に書かれた落書きの「HAARP」も出典はムーである。

それが集団ストーカー妄想の根底に今なお脈々と受け継がれている。

 

最初は個別の妄想を展開していたのだが、インターネットの普及と共に自分の妄想を主張出来るようになると、最初は同じジャンル同士が集まり出して集団化して行った。

次にジャンル毎の集団で親和性を持つ物同士の融合が始まった。

秘密組織系と、UFO系はUFOの墜落をアメリカが隠蔽して宇宙人を捕獲しているとか、すでに条約が結ばれているなどの記事がムーに掲載されていたので両者の親和性は高く、秘密組織系は工作系とも親和性が高く、それらが融合して行った。

宗教系と心霊系も親和性が高く融合し、秘密組織系と宗教系の二大妄想が形作られて行った。

因みに、雑誌ムーにはオウム真理教の空中浮遊も掲載されており、その後のオウムの一連の事件が重なり、そこから宗教団体が秘密兵器を開発していると言う発想が生まれている。

フリーメイソン系はフリーメイソンを主体に二大妄想の主張の使える部分だけ取り入れて独自進化して行ったので少し毛色が異なっている。

その二大妄想がある人物の主張によって融合される事になった。

それが、池田大作朝鮮人説である。

丁度その頃北朝鮮の同行が怪しくなっていた時期で、北朝鮮のスパイや潜水艇や拉致のニュースが大きく報道されていたので、北朝鮮と言う国家や秘密組織と、池田大作の宗教に親和性が生まれて合体して行った敬意があり、集団ストーカー妄想はそれらの妄想の集合体となっているのだ。

なので、どの系統の妄想であっても強い親和性を持っているので、集団ストーカー妄想を受け入れ易くなっている。

そこに一つ新たな問題が生じる事になる。

例えば、小説を読むと読んだ者は、それぞれのシーンを自分のイメージで思い浮かべるのだが、その小説が映画化されてその映画を見てしまうと映画のシーンしか浮かばなくなってしまう。

また、映画を見てから小説を読んでも映画のシーンしか浮かばず、誰もが同じイメージしか思い描けなくなってしまう。

これと同じ現象が、集団ストーカー妄想に起こる。

各系統の妄想者が、集団ストーカー妄想を読んでしまうと集団ストーカーにイメージが固定されてしまうのだ。

集団ストーカー妄想は各系統の妄想の集合体なので、言動も同じになってしまうので誤診を生んでしまう。

 

ASKAのブログ

ASKAのブログがネット上で騒がれている。

私がそれを知ったのは先月の初めだった。

 

それが本人の物か、それとも成りすましか、とある団体の偽装工作かは不明だ。

 

ASKAのブログに書かれている内容に、集団ストーカーだの盗聴盗撮だの書かれていると言う。

 

それが本物か偽者かに関係なく、覚せい剤には付き物の症状なので想定の範囲内だ。

なのでさほど興味は無い。

 

まあ一つ言えるとすると、集団ストーカーという言葉を使ったり、精神科の医師たちは、現代のテクノロジーについて行っていないだけと言っているらしいのだが、そっちの世界へ行ったら復帰は望めないの一言だ。

 

私の興味はASKAのブログではなく、ネットで話題にしている人達の反応だ。

その多くは「統合失調症」を疑っている。

また、集団ストーカーやテクノロジー犯罪の存在に言及している者もいる。

そしてあの団体は早速担ごうとしている。

 

私には、ASKAのブログが及ぼすそうした波及効果の方が断然興味深い。

 

因みにASKAは統合失調症ではなく、覚せい剤使用による精神刺激薬精神病だろう。

基本的に、覚醒剤は人工的に統合失調症を作り出す薬なので、症状は統合失調症と同じである。

その症状からネットで調べて集団ストーカーやテクノロジー犯罪と言う言葉を知ってしまった。

その言葉を使い始めた段階で、マインドコントロール状態となり、言動は集団ストーカー教やテクノロジー教の経典を読み上げるだけになる。

 

その経典は統合失調症を始めとする様々な精神疾患者の妄想で作られているので、統合失調症の言動と見分けが付かなくなる。

 

それは著書でも書いている事だ。

 

そんな事より、集団ストーカー教やテクノロジー教の輩が行う行動パターンだ。

今の所、いつもの様に担ぎ上げようとしているだけだ。

テク教は迎え入れる姿勢も見せているが、まだコンタクトはなさそうだ。

コンタクトがあれば、ここぞとばかりに騒ぎ出すだろう。

集スト教やテク教は、自分達の主張を信じてもらうために、ASKAと言う権威性を利用しようとしている。

奴らが騒げば騒ぐほど、それがネットで広がりASKAは偏見の目で見られる事になる。

それはブログ主の虚実に係わらず、どれほどASKAの立ち直りの障害になる事だろう。

 

 

もし本物だった場合、清水由紀子さんの二の舞にならない事を願うばかりだ。