「洲本で発生した事件」で、「妄想性障害との診断を受けて治療してもマインドコントロールを外さない限り良くなる事はない。」と書いた事に対する質問メールがあったので、ここで書こうと思います。
ご質問内容は「集団ストーカー妄想は病院で治療を受けても治らないのでしょうか」と言った趣旨の内容でした。
それが単なる被害妄想であれば、投薬治療で不安を抑えれば被害妄想も薄れて来ます。
しかし、集団ストーカーと言うマインドコントロールに陥っていれば、投薬治療だけでは被害妄想を消す事は困難です。
そもそも、集団ストーカーなる物は、妄想とは少し様相が異なります。
「集団ストーカー(ガスライティング)13年間の研究レポート」に掲載しているマジックドラゴンの映像を一度見てください。
この映像のマジックドラゴンは単なるペーパークラフトなので動くはずもありませんが、誰が見ても首を振って自分を見続けるように見えます。
これは妄想でしょうか?
妄想ではなく、確かに首を振っているように見えるので、それは妄想ではなく現実です。
実はこれ、妄想ではなく「錯視」が起きているのです。
つまり、集団ストーカーとは妄想ではなく、このマジックドラゴンの映像と同じ「錯視」なのです。
ですので、実際には「集団ストーカー妄想」ではなく、「集団ストーカー錯視」と言った方が現実に即しているのです。
例えば、洲本事件の平野容疑者が海で溺れていたとします。
溺れている平野容疑者を助けようと、洲本事件の被害者が手を差し伸べたとします。
集団ストーカーで電波攻撃を仕掛けて来ると思い込んでいる平野容疑者が、集団ストーカーの犯人と思い込んでいる人から差し伸べられた手を見てどう思うでしょう?
助けようとする手に見えるでしょうか? それとも突き放そうとする手に見えるでしょうか?
恐らく自分を突き放して殺そうとする手に見えて(感じて)しまいます。
では何故、自分を突き放して殺そうとする手に見えてしまうのでしょうか?
それがマジックドラゴンと同じ原理なのです。
マジックドラゴンの映像が首を振り自分を見続けているように見える原理は、凹凸の逆転です。
通常凸ている所が凹んで入る為に、脳が凹んでいる所を凸と認識してしまう為にこの様な錯視が起きるのです。
溺れている例も、これと同じ「反転の原理」なのです。
では集団ストーカー妄想に陥っている人は、何が反転しているのでしょう?
それが「信頼と不信」です。
他者を信頼していれば、差し伸べられた手は自分を助け様とする手に見えますが、他者に不信を抱いていれば自分を突き放そうとする手に見えて(感じて)しまうのです。
その為、集団ストーカーの被害を主張している人は、例外なく感覚が反転しているのです。
例えば「防犯パトロール」などの見守り活動が「監視活動」に見え(感じ)、気遣いや思いやりが「ハラスメント」になり、善意を悪意に感じ、人間にとって敵意の無い事を表す笑顔を敵意と捉え、自分との関連性の無い物に関連性を持って感じてしまうのです。
錯視により実際にその様に見えたり感じたりしているのですから、それは考想による「妄想」とは異なります。
また、見えている物の認識にも問題を感じる事が多々有ります。
例えば何処にでも先回りして監視している人の証拠写真と言って見せられた写真が、私が見るとまったくの別人なのですが、その人には同じ顔に見えていたりします。
それは坂田利夫の顔が松山千春に見えている状態で、特徴的な類似点「音韻修復」と同じ原理で顔を補完して見せていると考えられるのです。
錯視に対して妄想の治療やカウンセリングを行っても、根底が違っているのですから効果は期待出来ませんよね。
その錯視を引き起こしているのが、集団ストーカーと言うマインドコントロールなのです。
集団ストーカーと言う概念は、他者に対する不信を植え込み錯視を起させる概念なのです。
とは言う物の、普通の人は集団ストーカーなどと言う概念を知っても、どこぞの異常者が妄想で書いた物としか思えない内容です。
※参項リンク(集団ストーカー、ガスライティング、ギャングストーキング、電磁波犯罪、テクノロジー犯罪は全て同意語です)
リンク先の注意:これは数ある集団ストーカー妄想の一系統にしか過ぎませんし、書いてある事は何処にでもある日常です)
その異常者としか思えないと思っていた人ですら、条件さえ揃ってしまえば陥ってしまうのが集団ストーカーと言うマインドコントロールなのです。
その要因やメカニズムはかなり複雑ですので、それは著書をご覧ください。
錯視を引き起こさない様にするには、マインドコントロールを外すしかありません。
これは容易な事ではありません。
集団ストーカーの被害を主張する人の脳は不安に支配されており、その不安は扁桃体より発しています。
どれほど言葉を尽しても、扁桃体から生じる不安には勝てません。
扁桃体に言葉は通じないのです。
集団ストーカーと言うマインドコントロールが無ければ、投薬治療で不安を抑えれば必然的に被害妄想は薄れますが、投薬で不安を抑えても見えている世界が自分に危害を及ぼすように見えていれば不安は消えません。
不安とは漠然とした物なので明確な物は何も無く、単に不安に感じているだけですので、不安が薄まれば必然的に感じ方も薄まります。
それが投薬治療の効果です。
しかし、集団ストーカーと言う概念を植え付けられてしまうと、漠然とした物が明確になり、不安が恐怖へと変わります。
分かり易く説明すると、不安とは暗闇の中に何かが潜んでいると感じて怖がっている状態で、不安が消えるという事は暗闇に照明を付けて見えるようにする事です。
怖がっていた暗闇が明るく照らし出され、そこに何も潜んでいない事が分かれば怖さは薄れます。
そうした不安に対し、恐怖は暗闇が明るく照らされて見えるようになった時、そこに猛獣が潜んでいたような状態です。
これでは投薬治療で不安が和らいでも、恐怖が消える事はありませんよね。
つまり不安とは「暗闇の中の手探り状態」であり、恐怖とは「明確な脅威に対する恐れ」と言う違いになります。
集団ストーカーと言う概念は、暗闇の中に猛獣を見付けさせる概念なのです。
暗闇の中に猛獣を見付けさせられていたら、投薬治療で暗闇が明るく照らされても恐怖が消える事はないのです。
問題はどの程度集団ストーカーのマインドコントロールの影響を受けているかです。
これは、その人に元々備わって行った他者への信頼度(社会性)により個人差があり、その個人差は乳幼児期から青年期までの家庭環境によって変わります。
この不安と恐怖の違いがマインドコントロールに陥る原因の一つでもあるのです。
不安とは漠然としており「お化け」のような物で掴み処がありません。
すると不安を抱えている人は不安を払拭しようと、糸口を探そうとします。
集団ストーカーと言う概念はその糸口なのです。
集団ストーカーと言う概念で糸口を掴み相手が明確になる事で、不安が恐怖に変り「不安が解消される」のです。
違う表現をするなら、目標や仕事も持たずに将来に不安を感じていた人に、目標や仕事が出来て将来に希望を持ったような物です。
集団ストーカーと言う概念は、集団ストーカーの被害を主張する人にとっては希望ですので、集団ストーカーと言うマインドコントロールを外そうとする事は、その人の希望を奪う事でもあるのです。
希望を奪われる事は誰でも嫌ですよね。
その為、集団ストーカーと言う物にに捕らわれている人は、治療の先の自分が分からない為に治療に不安を抱き、集団ストーカーと言う希望にしがみ付こうとするのです。
これも感覚の反転ですね。
そうした集団ストーカーによる感覚の反転を是正する方法は、投薬治療ではなく「他者に対する信頼」を芽生えさせる事なのです。