被害妄想に陥っていると、客観的な判断力や思考力が失われ、全てに於いて主観的になってしまう。
一旦客観視を失い主観的になってしまうと、客観視を取り戻す事は容易ではなくなってしまう。
主観的になってしまった人に、客観視を取り戻させる為の有効な手段が「他人の振り見て我が振り直せ」である。
被害妄想に陥っている人は、自分がサスペンスドラマの主人公にでもなったような感覚を抱いている。
しかし、同じ様な被害妄想を抱いている人を見た時には、意外と客観的に見られる人も多い。
同じ様な被害妄想を抱いている人の行動を愚かしく滑稽に感じれば、自分も他人から見れば同じ様に見えていると理解させれば客観視が戻り易くなる。
つまり、サスペンスドラマの主人公になりきっている人に羞恥心を芽生えさせるのだ。
それを意図して書いたのが「電波な人々」と「電波な人々Ⅱ」だ。
しかし、この2冊は文章だけで伝えている為、文章を読んだイメージはそれぞれ異なってしまう。
イメージの相違は共通認識の相違であり、共通認識が違えば意思の疎通は図れない。
この、話し手と聞き手のイメージの相違は、被害妄想の解消に於いて大きな障害となる。
そこで、新たに書いたのが「電波な人々Ⅲ」だ。
この著書は、youtubeに投稿されている動画にリンクして、何をどの様に勘違いしているのかを解説する形にしている。
言葉による伝達はイメージの相違を生じ易いが、映像での解説はイメージの相違を解消して共通認識を得られ易く、客観視を復活させる為には有効な手段である。
例えば「電波な人々Ⅲ」でリンクを貼っている動画に、電磁波過敏症のテレビニュースをUPした動画がある。
その中に、帽子の中にアルミ箔を貼り電磁波対策をしている人の映像がある。
何の説明も無ければ、アルミ箔は電磁波を遮断すると思って納得して見てしまうだろう。
しかし、アルミ箔を貼った帽子で電磁波の影響が少なくなったと言っている時点で、電磁波過敏症では無い事を証明しているのだ。
何故なら、アルミ箔は電波を遮断する事は確かだが、電波を受信もしてしまう。
電波の受信は金属で出来ているアンテナで受信する。
「帽子の中にアルミ箔を貼ってかぶる」と言う事は、帽子の中にアンテナを設置していると同じ事だ。
アルミ箔なので受信面積が広く、より多くの電磁波を受信してしまう形状になっている。
しかも、そのアルミ箔は頭に密着しているので、受信した電波を体に直接流している状態になっている。
電磁波を集める帽子をかぶって症状が和らぐのであれば、電磁波過敏症では無いと言う事だ。
その映像を、こうした理屈を知っている人が見たら、実に馬鹿げた主張にしか聞えない。
番組自体は大真面目な番組だけに、馬鹿げた行為を大真面目にやっている姿が滑稽に見える。
その感覚を体験させれば、初期段階なら客観視を取り戻せる。