なぜ人は精神を病むのか: 心を蝕む二次元脳 Kindle版 発売開始
人は何故精神疾患になるのか? なぜ幻聴が起きるのか? なぜ被害妄想が起きるのか? そのメカニズムに迫ると見えて来る物がある。
それが「補完」であり2次元化した脳、2次元脳だ。
2次元脳から見えて来るZ軸不足とは?
2次元脳と言う新たな視点から統合失調症などの精神疾患を読み解く。
なぜ人は精神を病むのか: 心を蝕む二次元脳 Kindle版 発売開始
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それが「補完」であり2次元化した脳、2次元脳だ。
2次元脳から見えて来るZ軸不足とは?
2次元脳と言う新たな視点から統合失調症などの精神疾患を読み解く。
yahoo知恵ノートの終了に伴い知恵ノートより移設。
集団ストーカーやガスライティングについての質問に対し、直ぐに統合失調症と決め付ける人が多いのだが、集団ストーカーやガスライティングと統合失調症は別物である。
別物ではあるが、そうした物が実在している訳でも無い。
集団ストーカーやガスライティング妄想とは、人間不信や被害妄想を持つ者がインターネットで陥るマインドコントロールであり、集団ストーカーやガスライティング妄想と被害妄想は分けて考える必要がある。
うつ病や統合失調症から来る症状は「不安感」であり、その不安感から被害妄想が生まれるのだが、病気でなくても被害妄想は生まれるので、被害妄想は病気の症状とは言えない。
被害妄想の原点に有るのは人間不信である。
その人間不信の原因が、病気から来る不安感であれば投薬治療で不安が治まれば勝手に消えるのだが、愛着形成に問題が有れば投薬治療で不安が治まっても、愛着形成を正さなければ被害妄想は消えない。
これが集団ストーカーやガスライティングと言うマインドコントロールに陥っていれば、マインドコントロールを解かなければ、愛着形成を正す事も出来ない。
まるで竹の子の皮の様だ。
幻聴が自他境界の曖昧性で起きるのと同じ様に、ネットによるマインドコントロールは現実と非現実の曖昧性によって陥り易い。
例えば「調べる」と「確認」の違いだ。
インターネットのマインドコントロールに落ちやすい人は、ネットで調べただけで「確認」したという人が多い。
しかしそれは確認では無く、他人の言動や文章を鵜呑みに信じているに過ぎない。
自分自身の検証作業が伴っていないのだ。
そこに「虚実の曖昧性」が生じる。
乱暴な言い方をすると、実験の伴わない科学は妄想と変わらないのである。
また、「調べる」と言う事は、知らないから調べるのであって、最初から知っていれば調べない。
そして、知らない事を調べても、知らない人はその虚偽を見抜く事が出来ないので、フェイクニュースを見抜けない。
そしてフェイクニュースの内容を半信半疑ながらも読み、読んでしまえばそれが先入観となる。
一旦先入観を植え付けられてしまえば、それまでスルーしていた物を意識して探してしまい、見付けてしまう。
そのスルーしていた物とは、気にも留めなかった何所にでもある日常である。
人間不信や被害妄想を持つ人に、「それが犯行の手口」と先入観を与えられて、自分で見付けてしまえば信じ込んでしまう。
それが、ガスライティングと言うマインドコントロールである。
なので、彼等には他人の日常が自分に対する嫌がらせの手口に見えている。
集団ストーカーは、ストレスから来る自律神経症状(不安感も含む)を持つ人に対し、それは嫌がらせだとか電磁波攻撃とか超音波攻撃とかテクノロジー犯罪との先入観を植え付けて、マインドコントロールに陥る。
だからこそ、皆が同じ言動になる。
さて、電磁波攻撃とか超音波攻撃とかテクノロジー犯罪などの似非科学も、スルーとサーチで構成されている。
本来、科学的実験の現象には前提条件が有ったりするのだが、似非科学では前提条件はスルーして、自分に都合の良い所だけ抜き出し、繋ぎ合わされて作られている。
つまり、良い所取りのつまみ食い。
例えば、人工衛星を使って盗聴される等と言う人がいた。
その人は、最新技術とか特殊な方法を使えば可能だとか言っていたが、根本的な原理をすっ飛ばしている。
音は空気の振動であり、空気の存在しない宇宙には音は存在しない。
音の存在しない宇宙では、どれ程最新技術を使おうと特殊な方法を使おうと、無理な物は無理である。
このスルーとサーチは色々な所で顔を出す。
例えば、「ネットで悪口を書かれている」と言う人も同様である。
10000件スルーして10件符合する書き込みを見つけた時、10000件はスルーして記憶に残っていないので10件が全てになる。
その10件も、自分と一部が符合していると言うだけで、自分の事ではない。
これは日本語の特殊性も関係している。
日本語とは共通認識で通じる言葉であり、共通認識を持たない人には通じない言葉なのだ。
例えば、私と友人が会話していたとしよう。
そこで、「さっき、あそこに、あいつがいた」と話したとしよう。
実はこの会話には明確な物は何一つ無い。
ここで語られる「あそこ」や「あいつ」とは、私と友人との共通認識での「あそこ」であり「あいつ」である。
その話を第三者が聞いても、共通認識を持っていなければ何の事か分からない。
しかし、集団ストーカー系でネットで悪口を言われたと言う人の多くは、共通認識を持たない他人の会話に、自分の認識を当てはめて理解しているに過ぎない。
現実世界で悪口を言われると言った場合も、単語だけに反応している場合が多い。
つまり、前後の文脈はスルーして、悪口の単語だけサーチしている状態である。
その単語さえも、区切り1つで待った区別の言葉である。
文章には句読点などで区切りがあるが、言葉には句読点は無いので、聞き手次第で区切りが変わる。
例えば「ぱんつくったことがある」
「パン、作った事がある」「パンツ、食った事がある」
対面での会話では、共通認識によって正しく区切られるが、共通認識の無い他人の会話では、自分の認識によって区切りも変わる。
また「汚職事件」「お食事券」等の様な同音異語も、共通認識が無ければ自分の認識で漢字変換されてしまう。
こうした日本語特性も幻聴の1つの要因でもある。
幻聴や被害妄想的な質問をすると、直ぐに統合失調症と決め付け病院へ行けという人は、統合失調症の症状に、幻聴幻覚、被害妄想と書いてあるのを読んだり聞いたりして、鵜呑みに信じて決め付けているに過ぎない。
もし、何人もの集団ストーカーやガスライティングの被害に遭っていると主張する人達に会い実態を調査すれば、幻聴や幻覚、被害妄想と言う物は、病気を起こす原因であって特有の症状では無い事を理解するだろう。
実際問題として、そうした人達に治療を薦めて、統合失調症と診断されたケースは極めて少なく、精神疾患や神経症を発症していなかったケースすらもある。
しかし、精神疾患や神経症を発症していなくても、集団ストーカーを信じ続けていればいずれは発症する。
知恵袋で、集団ストーカー=統合失調症と返信する事は、悪戯に不安をあおりストレス状態に落とし込む事になりかねない。
また、「病気に仕立る手口」との確信を与え、マインドコントロールの深みに追い込む事になる。
マインドコントロールは症状では無いので、マインドコントロールに陥っていれば治療の効果は現れ難くなり、本人のみならずその家族の方を、何時終わるとも知れない不幸に落とし込む事になる。
大切な事は、如何に不安を軽減させてストレスから開放させるかである。
通常、治療は投薬が中心で、主に投薬で不安を軽減させる。
インターネットが普及する前であれば、不安が軽減すれば被害妄想も薄らいだのだが、ネットが普及し、マインドコントロール状態になっていれば、日常が犯行と思い込まされているので、不安が消えても被害妄想は消え難い。
しかし、マインドコントロールと言う視点を持ては、治療とは別に「マインドコントロールを外す」と言う視点が生まれてくる。
実際、治療を受けても被害妄想が消えなかった人のマインドコントロールを外すと、被害妄想はなりを潜めて治療の効果が出ている。
また、発病の疑われる人のマインドコントロールを外しても、特定の被害妄想は消えるが不安は消えない。
発病に至っていないと思われる人のマインドコントロールを外すと立ち直る。
そうした事から、治療とマインドコントロールは別に対応すべき問題である事が分かる。
集団ストーカーやらガスライティングやらテクノロジー犯罪を信じる事は個人の自由だ。
なので、そうした物を信じている人に、「そんな物は妄想だ」とは言わない。
しかしこれだけは覚えておいた方が良い。
そんな物を信じ続けていると、脳細胞が徐々に破壊されて行き、やがては廃人となるか事件を起こして逮捕されるか、自死を選ぶかしかなくなる。
通常ストレスが一ヶ月継続すれば、大半の人が鬱病になる。
それはストレスにより脳血流が悪化し、脳細胞がダメージを受けて萎縮していくからだ。
また、ストレスが続くと神経過敏や記憶障害を引き起こす。
集団ストーカーやテクノロジー犯罪と言うマインドコントロールは、日常を犯行と思わせてしまう。
その為、ストレスを受け続ける事になる。
ストレスを受け続ければ、脳は萎縮を続け機能を失って行く。
萎縮とは、脳細胞が死滅して行く事を意味する。
つまり、信じ続けている期間が長くなるほど、脳の機能は失われ、脳の回復は望めなくなると言う事だ。
また、ストレスは自律神経と密接に関係しており、心臓を動かしているのも、免疫システムも自律神経の領分だ。
なので、集団ストーカーを信じ続けていれば心不全を起して突然死する可能性が高まり、NK細胞の減少から発ガン率も高まる。
実際に、相談者の関係者で2名ほど心不全で他界されている。
(相談者は家族、他界されたのは本人)
何を信じるかは個人の自由だ。
しかし、信じた結果は自分に返って来る事を忘れてはならない。
因みに脳には可塑性があり、ストレスから開放されれば回復する。
問題は、回復には時間を要する為、年を重ねてしまえば、回復時間と老化と寿命との相関関係が生じてしまう事を忘れてはならない。
yahoo知恵ノートの終了に伴い知恵ノートより移設。
騒音の調査をしても、騒音と呼べる程の騒音が計測されない事が多く、声の録音をしても聞こえている声が録音されない事が多いのだ。
上の階の人が自分に合わせて移動して来ると言った物だ。
トイレに行けば自分に合わせるかの様にトイレに行き、台所に行けば台所で音を出され、風呂に行けば風呂に行く足音が聞えるなど、まるで自分の行動を把握されているかの様に、自分の部屋の行く先々で音が聞こえると言い、行動を把握されているので盗聴や盗撮で監視されていると言うのだ。
こうした事を訴えている人は意外と多い。
しかし、実際に調べてみるとそうした事実関係があった例が無い。
例えば、本人は音が聞こえるので上階の人がいると思っていても、実際には留守だったりする。
そんな時でも聞こえていたり、空室なのに聞えている人もいた。
では何故、そんな音が聞こえているのか?
最も多かったのが、通常は聞えない自分の足音の反響が聴覚過敏で別人の足音の様に聞えていたり、全く別の音が補完されて聞こえていたり、人によって色々なケースがある。
聴覚過敏は特定の音にだけ過敏な人もいれば、全体的に過敏な人もいる。
ストレス性の難聴では、低音の耳鳴りが聞こえ、それがモーターの音の様に聞こえるのだが、これも本人には難聴の自覚が無い。
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自分の行動を指摘する声や実況する声、悪口や誹謗中傷する声が聞えても、その声が実在するとは限りません。
実在しない声は、どれ程高性能な録音装置を用いても録音など出来ません。
そうした声が聞えても録音出来ないのなら、嫌がらせとか犯行を疑う前に幻聴を疑いましょう。
この知恵袋で幻聴系や被害妄想的な質問をする人に対して、直ぐに統合失調症を持ち出す人を見かける。
しかし、幻聴や被害妄想は統合失調の症状として書かれていても、症状では無い。
もし症状と言われている幻聴や被害妄想が、症状ではなく人間が本来持っている機能の暴走だとしたら治療で幻聴や被害妄想が消える事は無い。
そもそもの話、幻聴とは何か?を調べても、病気の症状としての記述はあっても幻聴のメカニズムを具体的に説明した物には出会えなかった。
なので自分で研究して来たのだが、研究で見えて来たのは、幻聴は症状ではなく誰もが持っている脳の機能であり、その機能は心理状態に左右される性質を持っていると言う事だ。
もし幻聴が聞こえると言った質問者に「それは統合失調症」と返信すれば、質問者を追い込む事になり兼ねないので、著書「被害妄想解体新書」や「なぜ人は精神を病むのか」で書いてはいるが、私が研究して来た事や調べてきた事を「知恵ノート」にも記して置こうと思う。
まず幻聴だが、幻聴と一言で言っても色々なケースが存在する。
大分類として、「音系」と「声系」に分類される。
「音系」は声ではなく「音」が聞えるタイプだ。
その音を不快に思っていたり、嫌がらせのように感じている人も多い。
また、自分の室内の行動に合わせて音が移動して聞えていたりするので、「盗聴器などで居場所を知られて嫌がらせをしている」と思い込んでいる人も少なくない。
聞える音を不快に思っている人は「生活騒音」と言い、嫌がらせと感じている人は「仄めかし」と言ったりする。
「声系」は声が聞こえるタイプで、主に自分の行動を指摘する声や、自分の噂や悪口など、自分を否定するような声が聞こえる人が多い。
「音系」と「声系」、この両者とも共通した特徴がある。
それは「聴覚過敏」である。
まず音系だが、第三者立会いで計測しようとすると、その音は聞えない場合が殆どである。
また、音が聞こえた場合でも、第三者には騒音と言える程の音には聞えない。
そこで、本人に機材を渡して測定すると「40dbもありました」と言う報告が来る事がある。
その数値は、騒音など存在して無い事を示す数値である。
「40db」と言えば、深夜の市内、図書館、昼の住宅の音レベルで、かなり静かな状態を示す数値だ。
では何故40dbが騒音に聞えるのか?
実は、彼等に聞えているのは騒音ではない。
最も多いのが「神経過敏(聴覚過敏)」で、小さな音が大きな音に聞えている。
聴覚過敏は防衛反応として出ていると考えた方が分かりやすい。
そもそもストレスとは敵に襲われた時の防衛システムであり、ストレス状態にあれば脳は警戒モードに入り、接近者を逸早く発見出来るように音に敏感になる。
そこには他者に対する不信が有る場合が多く、脳(本能)が他者を敵認定していればストレス状態となり、そのストレスが警戒モードを引き起こし、音に敏感になる事で些細な音が気になり、ストレスが増して行く悪循環に陥る。
脳にはノイズキャンセラの様な機能が備わっているのだが、聴覚過敏はその機能が作動しない事が原因と考えられる。
極端な例だが、双極性障害を発症した友人は、普通に話す私の声が鼓膜が破れるほどの大声に聞えていた程で、ヒソヒソ声で話しても耳が痛いほど大きく聞えると言っていた。
こうした聴覚過敏の厄介な所は、常に聴覚過敏が出ている訳ではない所にある。
常に聴覚過敏が出ているのなら自覚し易いが、脳が緊張を感じた時だけに出たりするので自覚し難い。
例えば、自分が何か行動を起こした時や、何かをし終えた時などに聴覚過敏が出たりする。
また、無意識に音を探し、探している時に聴覚過敏が出る事もある。
その様な状態になると、自分の行動に合わせて音を出されると思えたりするのだが、そうした人に常時録音して貰い音圧を測定すると音圧に変化は殆ど見られない。
音系の幻聴は聴覚過敏だけではない。
感音性難聴やメニエール病などのストレス性の難聴の人は、換気扇等のモーターの様な耳障りな低音が聞えているのだが、それは低音性の耳鳴りであり、その耳鳴りを騒音だと思いこんでいる人も多い。
その他にも、寝ようとすると、ドアを強く閉めたり、ドンドンと足音を鳴らしたりする嫌がらせをされると言う人もいるが、それは「脳内爆発音症候群」によって聞えている場合が多い。
脳内爆発音症候群は寝入り端に起きる。
それら全てに共通する原因が「ストレス」である。
ストレスとは本来、敵から身を守る為の防衛反応である為、偏桃体が危険を感じるとストレスホルモンが分泌される。
ストレスホルモンは交感神経に直接作用し、神経を過敏にする事で素早い動きが可能となり敵から逃げる事が可能となる。
この神経を過敏にする事で神経過敏(聴覚過敏)が起きる訳で、神経過敏(聴覚過敏)はストレスのバロメーターでもある。
自然界では天敵に襲われたとしても短時間で脅威は去るので問題はないが、ストレス状態が継続すると支障を来たす事となる。
ストレスで交感神経優位な状態が続くと、自律神経のバランスが崩れ始めて自律神経失調症の症状が出始める。
またストレスホルモンのコルチゾールやカテコールアミンの分泌は血糖値を上昇させる働きを持ち、ストレスが継続すると高血糖の状態が続く事となる。
では何故ストレスは血糖値を上昇させるのか?
それは神経を過敏にするだけでは敵から逃げられないからである。
神経だけ過敏に反応しても体が動かなければ逃げられない。
敵から逃げるには筋力や持久力も必要になり、その筋肉のエネルギーとなるのが糖であるからだ。
そして何より脳のエネルギー源は糖(ブドウ糖)である。
自然界では敵に襲われても逃げ切った時点でストレスからは解放される。
しかし人間は社会生活の中でストレスを継続させてしまう。
その結果、慢性的な血流の悪化を招く事になる。
そして聴覚器官や脳の神経への血液供給が悪化する事で機能不全を起す。
それが耳に症状が出れば感音性難聴などの難聴になり、脳に出れば心身症や精神疾患となり末梢神経に出れば末梢神経障害となる。
また、これは実際にそのお宅へ出向かなければ分からない事だが、こうした事が原因で騒音を訴える人(トラブル化している人)は例外無く何らかの形で孤立化している。
社会的孤立、家庭内孤立、精神的孤立、対人的孤立などなど。
そして、コミュニケーションに苦手意識を持っている。
孤立化は神経過敏を引き起こす原因となるのだが、これは一概に病気とは言えない。
神経過敏(聴覚過敏)を理解するには、人間が集団で生きる動物である事から理解する必要がある。
集団を形成する動物のメリットは、集団を形成する事で種の生存率を上げる事だ。
天敵に狙われた時、集団を形成していれば多くの目があるので逸早く天敵の接近を発見する事が出来る。
そうした多くの目がある集団にいれば、自分が警戒していなくても誰かが警戒しているので気を抜ける時間が作れる。
また、一匹で生活していれば天敵に襲われた時の生存確率は低いが、集団でいれば生存確率は高くなり、種の繁栄に繋がる。
しかし、集団のメリットを享受する為には絶対条件がある。
それは仲間への信頼。
もし、集団の仲間を信じられなければ敵中に孤立しているのと変わらない。
つまり、孤立とは集団から逸れた状態であり、脳が警戒を解けない状態となる為に神経が過敏になる。
その警戒こそがストレス状態であり、脳が警戒モードに入っている為、些細な音でも気になってしまい、ストレスが自己防衛システムであるが故に、聞こえた音が自分に向けられた音のように感じ、そこに敵意を感じてしまう。
この聴覚過敏が幻聴の始まりであり、環境の変化で起き易くなる。
なので、進学、クラス替え、就職、転居、配置換え、転勤、災害等で起こり易い。
ここで重要になるのがコミュニケーション力である。
コミュ力が高ければ新天地でも仲間を作り易いので孤立は避けられるが、コミュ力が低ければ孤立が続く事となり、本人も気付かない所でストレスを継続させる事になる。
声系の人はその進化版(悪化)と考えれば分かり易いだろう。
声系は、聴覚過敏で聞こえている音に「補完機能」が働いて音が声に聞こえたり、聞き取れない程の小さな音量の音や、他人の会話の内容を脳が補完して聞こえている。
補完とは、欠けている情報を周囲の情報から推測して補う脳の機能である。
この補完機能は誰もが備えている能力であり、病気の症状では無い。
それは「録音の解析」をする事で明らかにしている。
例えば「あ、また食べてる」と言う声が録音されているとして送られたファイルには、ボリュームを最大にしても聞き取れない程の音が録音されていた。
その音が入っている部分だけをカットし、音量を増幅するソフトで何倍にも増幅して聞くと「あ」の部分は電子音の「ピ」と言う音が録音されており、「また食べている」と言う部分は、工事現場の音に混じって「何で壊すの」と言う声が確認された。
別の代表的な例では「犯人が語りかけてくる声が録音されています」と言う録音ファイルを相談者が持ち込んで来た。
その録音ファイルを音声スペクトラムアナライザーで音を視覚化して分析すると、相談者の声以外には雨音と時計の音しか録音されておらず、私には本人が一人で話しているようにしか聞こえない。
しかし、一緒に聞いていた相談者には相手の声が聞こえると言う。
これらのケースの面白い所は、それが録音ファイルであると言う事だ。
録音ファイルなので、脳内通信だとか電波送信だとかの戯言は通用しない。
録音ファイルからは電波だとかテレパシーなどは間違っても出ない。
しかし、その相談者には何度ファイルを再生しても、同じ所で同じ内容が聞こえているので間違いなく音が原因で聞こえていると言う事である。
そう、このファイルには確かに声の原因が録音されていたのだ。
恐らく誰が聞いても、それが聞こえた声(幻聴)の原因とは気付かないだろう。
分からないから「幻聴」と言う言葉で「存在しない音」として片付けようとする。
故に、幻聴のメカニズムを明確に説明する事が出来なかったのだろうと推測する。
さて、その幻聴の原因とは何か?
それは、雨音と時計の音でありる。
つまり、それらの音を脳が声に補完して聞こえていたのだ。
「あ、また食べてる」の音声ファイルも同じ様に、電子音の「ピ」を「あ」に「何で壊すの」を「また食べてる」に、聞き取れない程の雑音を聴覚過敏で拾い、その聴覚過敏で拾った雑音を声に補完して聞えていたのだ。
この手の幻聴には、共通した特徴がある。
「悪口の証拠録音」とか「嫌がらせの声」等として送られて来た音声ファイルの全てで、声が聞こえる時には必ず雑多な音(ノイズ)が存在し、「無音」では幻聴は発生していなかった。
こうした録音データの解析から分かる事は、通常聞き逃すほどの小さな音が、本人にはハッキリと聞こえている(感じているだけ)と言う事である。
つまり、通常では聞き取れない音が聴覚過敏で聞こえ、良く聞えなかった音を脳が補完して聞こえた物が、幻聴である事が分かって来る。
また、雨音などの一定のノイズが連続して聞こえるような状態では、そのノイズの中に重要な情報が無いかと脳が詮索する事によって幻聴が起きる。
そして、聞こえる声の内容は、次項の「幻聴と心理状態」で書いている心的要因によって左右されている。
こうした補完系の幻聴は難聴系でも起こる。
例えば、感音性難聴などの有毛細胞系の難聴では、部分的に聞えていなかったりしているのだが、通常は補完機能が働いて、聞えない部分を前後の文脈や状況から正しく補完されて聞えるので難聴の自覚がない。
しかし、部分的に聞えていない所が心的要因に左右されて補完されてしまうと、自分に対する悪口などに聞えてしまう。
例えば「おかあさん」の「か」が聞えず「ば」に補完すれば「おばあさん」に聞えてしまったり「空き巣とかに狙われる」の「あき」を聞き逃して補完されれば「ストーカーに狙われる」と聞えてしまったり、「下さい」の「くだ」を聞き逃して理解すれば「ダサい」になる。
これは難聴だからと言う訳では無く、聞き逃しが起こり易い疾患として難聴があると言った方が正確である。
また文章には句読点と言う区切りがあるが言葉には句読点が無い。
その句読点次第で全く異なる意味となる。
例えば「ぱんつくった」は「「パン、作った」にもなれば「パンツ、食った」にもなる。
そして同音異語もある。
「かてい」も「家庭」「過程」「課程」「仮定」などがあり、聞こえた平仮名をどの漢字に変換するかで意味は全く異なる。
こうした文の区切りや、どの漢字に変換して意味を理解するかは会話の流れの中で理解する。
これも周囲の状況(前後の文脈)から推測して補う「補完」であり、前後の文脈が聞こえず単語だけ聞こえた場合、補完はその時の心理状態の影響を受ける。
被害妄想を抱いた人に聞こえる悪口とは、主に第三者の会話の切り取りであり誤変換である。
これらは空耳系の幻聴と言えるのだが、空耳も幻聴も基本的には同じである。
空耳と幻聴を区別するとすれば、聴覚過敏の有無であると定義する。
こうした言語タイプの補完とは違う補完もある。
例えばこの音声ファイル。
この音声ファイルを聞くと、しゃがれた声で「せいや」とか「そいや」とか、神輿を担いでいる時の掛け声のように聞える。
しかし実態はこれだ。
最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを切り取った物なので、全く同じ音源なのだが、映像が付いている物と付いていない物では、同じ音源でも聞こえ方まで違う。
最初の音声ファイルが何故声の様に聞えたのか?
それが「音階」である。
言葉を含む全ての音には音階がある為、単語の音階と同じ音階の雑音があると声のように聞こえてしまう。
そして、雑音は様々な音の集合体であり、様々な音階の集合体でもある。
その音階の集合体の中から、気になる単語の音階だけを聞き取り補完する事でも幻聴は起きる。
また、言葉に変換されないノイズでも、言葉として聞き取れない人がざわつくような声に聞えたりもする。
その代表的な物が「雨音と拍手」であり、雨音に聞こえていた音が拍手に聞えたりもする。
これは音のルビンの壷とも言えるような現象である。
雨音とも拍手とも区別の付かない音を「雨音」と意識誘導すれば雨音に聞こえ「喝采」と意識誘導すれば拍手に聞こえる。
これと同じ原理で起きる幻聴が、人のざわめきが聞こえる様な幻聴である。
その原理は聴覚過敏で聞こえたノイズを人の声と認識してしまい、ノイズが人のざわめきの様に聞こえる訳だ。
通常は、音源の視覚情報があったり、人の目を気にしていなければ音階による補完は薄いのだが、次項の「幻聴と心理状態」で書いている状態の人はこの補完が強く出る傾向が見受けられる。
補完は聴覚に限った事ではなく、視覚でも起きる。
その片鱗を体験出来るのがこの画像だ。
リンク先の上にある12個の点は見えるのだが、その点に格子の図形が加わると視点の中心付近の4つの点しか見えなくなってしまう。
何故、そうした現象が起きるのか?
人間がハッキリと物を見る事が出来るのは黄斑の周辺であり「錐体細胞」が密集している所に映った映像だけで、それが視点だ。
その視点以外の所は、12個の点だけの画像の様に、ハッキリと見えている様に感じているが、実は然程ハッキリとは見えていない。
ハッキリと見えていると感じているのは、脳が周囲の状況から推測して補完しているからである。
それ故12個の点に格子が掛かると、錐体細胞の領域では点を認識できるが、桿体細胞の領域では認識出来ないので、周囲の情報から格子を補完してしまう為、錐体細胞の領域以外の点は見えなくなってしまう。
これが視覚に於ける補完だ。
そして、視覚の補完も聴覚と同様に心的要因に左右されて見え方が変わってしまう。
それ故、錯視の多くは周辺視野の領域で起きている場合と距離がある場合が殆どである。
また、こんな事例もある。
例えば、坂田利夫と松山千春の顔が同じ顔に見えている様な人だ。
これは、一つの目立つ特徴から顔を補完している為に起きると考えられる。
こうした人の言動は実に興味深い物がある。
坂田利夫と松山千春で例えるなら、二人の写真を並べて見比べた時に「雰囲気は違うが同じ人です」と言ったりする。
第三者が見れば全くの別人の顔が、雰囲気の違い程度にしか認識出来ていないのだ。
こうした人は「特定の誰かに先回りされたり待ち伏せされている」「必ず自分の行く先々に特定の相手が現れる」などと主張する事が多い。
また、他人の何気ない行動が自分に対する加害の様に思えたりもする。
例えば、歩きスマホをしている人を見ると、自分の顔がネットで配信されていて、自分の顔を確認されていて通報していると思えたりする。
歩きスマホをしている人は、スマホを見ている時にぶつからない様に、進行方向をチラ見したりするのだが、そのチラ見が画像と照合されているかの様に見えていたりするのだ。
本来、誰かの行動に対する理由は本人以外誰にも分からない。
相手には相手の事情が有って行っている行動を、自分に関連させた妄想で補完された認知がなされているので、前方確認のチラ見が自分の顔の照合に見えてしまうのである。
つまり、「見える」と言う事は、脳が何をどの様に認識したかで様相が変わる性格の物なのである。
そして、そうした補完が被害妄想を確信に変えてしまう。
そして、持っている被害妄想(コンプレックス)の影響を受けた補完がなされる。
と言うより、被害妄想自体が「思考の補完」なのだ。
視覚や聴覚の補完は、見えない部分や聞えない部分を、周囲の状況から推測して補完が行われる。
妄想も原理は同じで、歩きスマホの例の様に、本来分からない部分を推測(妄想)で補っている。
つまり、幻聴、幻覚、被害妄想と言った統合失調症の症状と言われている物の全てがたった一つの「補完」と言う機能で発生しており、視覚と聴覚と思考が相互に影響し合いながら補完は行われている。
また、幻臭や幻味などの感覚異常も補完で説明が付く。
視覚が聴覚の補完に関係しているのは、こちらで体験出来る。
幻聴のもう一つの原因が幻覚物質のアドレノクロムである。
ホッファー博士の提唱する分子整合療法によると、総合失調症の幻聴はアドレノクロムが原因物質であるとされている。
統合失調症はドーパミン過多が原因と言われており、そのドーパミンを基にしてノルアドレナリンが生成される。
そのノルアドレナリンがメチル化してアドレナリンとなり、アドレナリンが酸化する事でアドレノクロムが生成される。
このアドレノクロムは幻覚作用を持つメスカリンと同じ成分で構成されている為、同じ作用を持つとされている。
分子整合療法ではアドレノクロムがアドレナリンの酸化物質であるなら、アドレナリンを酸化させなければ良いと言う考えから、抗酸化作用のあるビタミンCやEの大量摂取や、アドレナリンの前段階であるノルアドレナリンのメチル化を阻害するビタミンB3(ナイアシン)の投与が有効とされている。
文献によると、実験で投与された量は、1時間当たりビタミンCを1000mgと書かれている。
ビタミンは大量摂取しても大丈夫な物と体調不良を起す物もあるので、医師の監修が必要である。
但し、日本では分子整合療法は認知されていない。
また、幻聴や幻覚に対する効果は記されているが、統合失調症が治ったとは記載されていない。
被害妄想を抱く人の共通した特徴は「人間不信」「社会性の低さ」があり、社会性の低さは、そのままコミュニケーションの低さでもある。
被害妄想を端的に表す言葉が「疑心暗鬼」である。
その語源は「疑心、暗鬼を生ず」であり、「暗闇と言うだけで疑い、鬼がいるかのように見える」から来ている。
被害妄想は、他人を信じず上手くコミュニケーションが取れない為に、他人が分らない。
その分らない他人が暗鬼となり、疑心を生じている状態である。
他人が考えている事など、誰にも分かるはずも無い。
しかし、コミュニケーションを重ねる事で他人を理解する事は出来る。
逆に、コミュニケーションを重ねなければ他人を理解する事は出来ない。
そして、相手を信じて自分が心を開かなければ、相手も心を開いて本心を話さず、上辺だけの付き合いしか出来ない。
コミュニケーションが苦手で他人を信じられない人は、他人の心を想像するしかない。
人間は無から何かを生み出す事は出来ない。
必ず、ベースとなる物が必要となる。
他人を理解する為のベースとなる物。
それが、自分だ。
「自分はこう思うから、相手もこう思うだろう」と言った思いや考えである。
しかし、それは他人の思いではなく、自分の思いでしかないのだが、それをさも相手の思いや考えの様に受け止めていたりする。
それは、他人と言う鏡に自分を反映させているに過ぎない。
別の言い方をすると、他人には二種類の他人が存在する。
一つは現実の他人であり、もう一つは心の中で作られている他人である。
そして人は心の中で作られている他人を現実の他人に重ね合わせて見ているのだ。
映画に例えるなら、視覚情報で見えている他人は無声映画で、無声映画だけでは実際何を話しているのか分からない。
無声映画では、そこに字幕を入れたり弁士が声を入れるのだが、それが心の中で作られている他人であり、現実の他人に心の中の他人を重ねて見る事を投影と言う。
参考 https://yotsuyagakuin-tsushin.com/b_psychology-blog/touei-kirainigate/
https://psychoterm.jp/clinical/theory/projection
そこに一つの問題が生じる。
現実の他人に投影された「心の中で作られている他人」を、現実の他人だと認知してしまう事だ。
自分の中で作られている他人は自分自身でしかない。
心の中で作られている他人を現実の他人だと認知してしまうと、自分と他人を隔てている境界が曖昧な状態になってしまう。
それを私は自他の未分化(共感覚)と呼んでいる。
自他の未分化 とは、自分の中で自分と他人が分化されていない状態の事で、自分の中で作られている他人と自分の区別が付かなくなっている状態と言えば分かり易いだろう。
別の言い方をすると、自分と自分の中で作られている他人との境界の喪失(未分化)であり、自分の中で作られている他人を現実の他人だと思い込む事で自他境界が崩れて行く。
すると、自分も、自分の中で作られている他人も、自分でしかないので、自分の言動や行動から思考に至るまで、自分が知っている事は全て自分の中の他人も知っている事になる。
その自分の全てを知っている「自分の中の他人」を現実の他人に投影し、それを現実の他人だと認知しているのだ。
そうした認知に大きな影響を及ぼす物が自己肯定感である。
自己肯定感が高ければ自分を肯定する投影が行われるが、自己肯定感が低ければ自分を否定する投影が行われる。
自分を否定する投影が行われると、先ずは理想の自分を演じ本当の自分を隠すようになる。
その根底にある物は「見捨てられ不安」があるのだが、これは下の方で書いているのでここでは触れない。
こうなると、本当の自分を知られたくない気持ちが強まり、その気持ちの強さに比例して、投影された他人の自分に対する否定が強まって行く。
故に、自他境界が曖昧な状態になると、監視、盗聴、盗撮されている感覚に陥り、自分の中で作られている他人の考えや思い、そして言葉など(自分自身の自己評価が他人に投影された物)が声として感じれば「幻聴」となり、頭に直接届くようなら「音声送信」の様に感じられ、自分の考えがダダ漏れのように誰かに伝わっている様に感じれば「思考盗聴(思考伝播)」や「サトラレ」と言う言葉になり、自分の中で作られている他人が人格を持つに至れば多重人格になる。
こうした心理が、聴覚の補完に影響を与えれば幻聴は起こり、視覚の補完に影響を与えれば幻視や被害妄想となる。
それは、心理状態が感覚の補完に影響を及ぼし、その結果、世界を正確に認知する事が困難になる事を意味している。
故に言動にも未分化の特徴が出る。
例えば、盗聴されていると思える要因が、盗聴する側の感覚だったり、聞く物で聞かれると思えたり、「される」感覚を「する」感覚で話したり、一人称と二人称と三人称の交錯など、立場的感覚が交錯した言動がしばしば見受けられる。
これらは、まるで統合失調症の「了解不能」と呼ばれる症状のように思われるが、初期の時点ではまだ心の問題なので病気とは言えない。
しかし、自他境界が曖昧な状態はストレスを生み、ストレスが継続すれば脳細胞がダメージを受ける事となり、脳細胞がダメージを受ければ機能障害を起して病気となる。
それが精神疾患である。
そして、こうした自他境界の曖昧性を助長させる有害な物が、スマホでありSNSでもある。
何故なら、スマホやSNSによるコミュニケーションは、目の前に相手いない為に、必然的に心の中に作られている他人を思い浮かべてのコミュニケーションとなる為、スマホ上で「投影」が行われている状態である。
それは自他境界が曖昧な状況をスマホ上で作り出している状態であり、殆どの人はその自他が曖昧な状態に気付かずに現実と認識している。
故に、スマホやSNS依存の人の自他境界が崩れ始めると、スマホ乗っ取りやハッキング、データ流出などで自分が監視されているかのような感覚に陥る。
「投影」の対象が現実の他人からスマホに変ったと考えれば分かり易いだろう。
(詳しく知りたい方は「なぜ人は精神を病むのか: 心を蝕む二次元脳」で詳しく書いています)
こうして幻聴や被害妄想を個別に分析検証して行くと、それらが統合失調症の症状ではなく、統合失調症を含む精神疾患を引起す「要因」である事が分かって来る。
問題は、幻聴や被害妄想の原因が「投影」ならば、投薬治療では自他境界や世界観の曖昧性まで治療する事は出来ないと言う事だ。
それ故、治療の効果は期待出来ず、それが焦りとなってストレスとなってしまう。
そして治療に疑念を抱き始めると、オカルトや似非科学に興味を持ち始める。
オカルトや似非科学を信じ始めると言う事は、根拠も実態も無い在りもしない物を信じ、在りもしない物に怯えて暮らす羽目になる事を意味する。
その状態はストレスが永遠に続く状態であり、精神疾患の原因が供給され続け、悪循環に陥る事を意味する。
自分の心を投影した他人を現実の他人と思い込む事は、妄想と現実の区別が付かない事と同じである。
こうした観点からすると、統合失調症の症状の一つとされる「現実と妄想の区別が付かない」と言う症状も、症状ではなく原因であると言える。
盗聴調査の仕事をしていると、その事を実感する。
盗聴を疑う人の世界観は、テレビで見たとかネットで調べたとかの知識だけだ。
そして、盗聴発見器は買っても盗聴器を買う人はまずいない。
盗聴を疑う人の盗聴器とは、想像上の盗聴器でしかなく、妄想で作り上げた盗聴器で聞かれていると本気で思い込んでいるのだ。
それは知恵袋で盗聴などの質問に回答を寄せる人も同じだ。
実際の盗聴器など見た事も触った事も無い人が、聞きかじっただけの知識で回答を寄せ、デマを拡散し被害妄想者を追い詰めている。
つまり、経験の伴わない知識は妄想と何ら変わりは無く害でしかない。
故に、経験で学ぶ自然界の動物が統合失調症を発症する事は無く、発症するのは人間だけである。
統合失調症の人に限らず精神を病む人は、やたらと情報を求める傾向が強い。
しかし、情報を求める人は知らないから求めるのだが、元々知らない人に情報の真偽が分かるはずも無いので、鵜呑みに信じやすい傾向を持つ。
それは情報に左右されて振り回される事を意味する。
物事の真偽と言う物は自ら経験して学んだ「経験知から導き出される経験則」が必要不可欠である。
経験の伴わない情報や教えと言った「形式知」は、妄想と大差は無い。
自分が経験した事でなければ、頭の中だけの事なので妄想と変わらないのだ。
そうした形式知を全て現実だと信じてしまえば、現実と世界観が解離する事となり、解離が大きくなれば受けるストレスも多大になる。
こうした状況になった人は、打開策を求める。
それは相談であったり、治療であったり、スピリチュアルであったりする。
しかし、目前の問題を解決しようとしても、おいそれとは上手く行かない。
何故なら、それらの要因は親や生活環境が作っている場合が多く、治療以前に親の反省や生活環境の改善が求められる場合が多いからである。
余談だが、盗聴を気にする人と気にしない人がいるのだが、両者の違いは「ありのままの自分」を認めて愛せるか、認められず嫌悪するかの違いである。
ありのままの自分とは、自分の長所も短所も認めた上で、その全てを受け入れて愛するという事。
それが自己肯定感である。
短所も含めた自分を愛しているなら、短所は恥とは感じないので気にならない。
逆に、自分の短所を認められず、自分の短所を嫌悪していれば、自分の短所を恥だと思い知られたく無いと思う。
ありのままの自分を愛せない一番の原因は、親がありのままの子供を認めずに理想を押し付ける事から始まる。
親にありのままの自分を認められずに育てられれば、往々にして子供は親の望む良い子を演じてしまう。
そして大人になってからでも理想の自分を演じ続ける傾向を持つ。
親の望む良い子を演じる背景には、ありのままの自分は愛されないと言った「見捨てられ不安」がある。
子供にとって、親から見捨てられる事は生存の危機となる。
故に、ありのままの自分を受け入れる事が出来なくなる。
ありのままの自分を受け入れられず、理想の自分を演じていれば、ありのままの自分と理想の自分の間に乖離が起きる事となる。
すると、ありのままの自分と理想の自分が否定し合う事となり、それが幻聴や妄想に反映されれば幻聴や妄想は自分に否定的な傾向を持つ事になる。
理想の自分とは、妄想で作り上げた自分でもあり、それが本当の自分だと思い込む事も、妄想を現実と思い込む事と同じである。
また親の望む理想の子供を演じてきた子供が成長すると、往々にして周囲の人の求める自分のキャラクターを演じようとする傾向を持つ。
厄介な事に、理想の自分を演じて生きていると、それが本当の自分だと思い込んでしまったり、本当の自分が何なのかも分からなくなったりもする。
つまり、自分が見えなくなってしまうのだ。
言い換えると、自他境界とは自分と他人を明確に分ける境界なのだが、そこに「自分」と言う物が無くなってしまい、「自分は何者?」と言う感覚に陥ってしまう。
こうなると、演じている理想の自分も、心の中で作られている自分も大差は無くなる。
演じている自分は本当の自分ではなく、本当の自分が何かも分からなくなってしまえば、自分を信じる事が出来ず、自分に自信を持つ事も出来ず、心は抑圧され続ける。
自分を信じられない者は、信じられない自分を他者に投影する為、他人も信じられず、他人は常に疑心暗鬼の対象となってしまう。
因みに、疑心暗鬼に捕らわれた人に通常の感覚で接すると痛い目に合う事がある。
例えばボランティア的にな無償行為。
健常者の感覚からすると、ハンディを背負った人を無償で援助するのは美徳好意で感謝される事は有っても恨まれる筋合いではないと考えるだろう。
しかし、ハンディを背負った人からすれば、下手なボランティア精神は自分ハンディを突き付けられ、自尊心を傷付けらたと思えたり、絶対裏があると勘ぐる人もいて、その結果犯人扱いされる事となり、その理不尽さに苛まれる事となる。
これは老人介護などの「取られ妄想」と原理は同じで、面倒見の良い人程泥棒などの犯人扱いされる。
行過ぎた教育も幻聴の要因となりうる。
子供の頃に必要なのは勉強ではなく、昔ながらの遊びで友達と遊ぶ事である。
昔ながらの遊びには社会性に必要な要素が多分に含まれており、昔ながらの遊びをして来なければ社会性が低くコミュニケーションに問題を抱える事になる。
コミュニケーション力が低ければ他人に対して疑心暗鬼が生じ易くなってしまう。
一日は誰にも等しく24時間しかない。
その24時間を何かに特化して費やせば、別の何かを習得する時間は削られる。
こうした事を「被害妄想解体新書」で詳しく書いている。
またこの記事を読まれた方は「被害妄想は曖昧性」「騒音の無い生活騒音トラブル」もあわせて読まれる事をお奨めする。
また、最新研究も含めて集大成として書いたのが「なぜ人は精神を病むのか: 心を蝕む二次元脳」である。
AR盗撮という言葉からASKAの状態がある程度分かる。
ASKAはスマホにAR盗撮のアプリを入れられていたと言っていた。
つまり、スマホで監視されていると思っていた訳だ。
ASKA曰く、ズームで200倍まで・・・
この感覚は、「される側」の感覚ではなく「する側」の感覚だ。
どんな高度な技術を使おうとも、基本的な事は変わらない。
盗撮するにはカメラが必要であり、そのカメラは本人に向けられなければ写らない。
自分で持っているスマホのカメラでは200Mのズームなど必要ない。
しかも、歩きスマホしていなければ、スマホは鞄の中かポケットの中で何も写らない。
そうした事からASKAの今の感覚が見えて来る。
つまり、自分の持っているカメラで、自分をズームで写す感覚。
それは他人目線と自分目線の混同を意味している。
つまり、自他境界が曖昧になっている事を示している。
そもそもAR技術とは拡張現実であり、ポケモンGOにも搭載されており、カメラで写した現実の風景にバーチャルの映像を合成する技術だ。
それは、現実の中に妄想が見えている事も示している。
他人が何を考えているのか、それは本人にしか分からない。
「私は人にこう思われている」とか、「人に嫌われている」とか「人に好かれている」と言った、自分に対する他人の思いとして感じる事は、全て自分の考えでしかない。
それは他人に自分を投影して見ているに過ぎない。
つまり、他人とは「自分を写す鏡」であり、自分の中で作られた他人でしかないのだ。
長所も短所も含めた「ありのままの自分」を愛し受け入れられる人は、他人に写る自分も肯定的に写るが、ありのままの自分を愛せず受け入れられない人は、他人に映る自分の姿が否定的に写り、その人にさも嫌われているように思えてしまう。
その他人に写った自分の姿を、実際の他人の姿だとだと思い込む所に「自他境界の曖昧性」が生まれる。
それは実際の相手の自分に対する思いではなく、自分の自分に対する思いでしかない。
つまり、他人と言う鏡に映った自己評価を見ているに過ぎない。
それを、相手の思いとして思い込んでいるからこそ、自分と他人の境界が曖昧になっている状態なのである。
また、ありのままの自分を受け入れられず愛せない人は、ありのままの自分に嫌悪を抱き、理想とする自分を演じようとする。
故に、現実の自分を突き付けられても、受け入れる事が出来ない。
すると、受け入れられない自分(コンプレックス)を相手に投影し、投影した相手を嫌悪する事で自尊心を守ろうとする。
分かり易く言えば、他人を悪者にすれば自分は被害者になれる。
被害者でいる限り非は相手にある事になり、自分に非がある事を認めずに済む為、自尊心が守られる。
故に、自分が不遇である責任を他者や社会に求め、自分を変えようとはしない。
自分を変える事は嫌悪する自分を認める事にり、自尊心が傷ついてしまうので受け入れられないのだ。
故に集団ストーカー被害などの被害妄想を主張する人達は、病気を否定し病気である事を認めようとはせず、病気や治療の話をされると自尊心を守る為に猛然と抗議する。
(病気と診断される事は、現実の自分を突き付けられる事になり、治療で治す事は自分を変える事になる)
また、治療を受けている人も治療だけに頼り、自己改善をしようとはしない。
それは一種の依存である。
そうした感覚を生み出す原点となるのは、ありのままの自分を認められずに育てられた家庭環境が多大である。
故に、被害妄想を持つ者の血縁家族も、医師などの専門家に丸投げ傾向を持つ場合が多い。
そこに「共依存」が見え隠れしているケースも少なくない。
間違えてはならないのは、ありのままの自分を認められないとは、単に否定されて育つ事を意味している訳ではない。
ありのままとは、過大評価も過小評価も無い正当な評価を意味する。
自他境界が曖昧になると、自分と自分の中の他人の区別が付かなくなる。
その結果、自分が知っている事は自分の中の他人も知っている事になる為、他人に知られていると感じ始める。
すると、最初は盗聴、盗撮、監視されていると思い始め、曖昧度が増して来ると幻聴が聞こえたり、相手の考えが伝わってくるように感じたり、自分の考えが他人に筒抜けの様な感覚に襲われる事となる。
その感覚は先入観を生み視覚や聴覚にも影響(補完)を与える。
自他境界の曖昧性により被害妄想に陥っていれば、他者の言動や視線を異常に気にし始める。
すると脳は、自分に対する悪口などを聞き漏らさないように過敏に反応する。
すると、些細な音を悪口のような声に脳が変換してしまい、悪口として聞えてしまう。
視覚も同様に怪しくも無い人が、さも怪しげに見えてしまう。
それが「疑心暗鬼」であり、疑心暗鬼の語源である「疑心、暗鬼を生ず」の由来でもある。
つまり、被害妄想を持つ人の「悪口を言われた」とか「怪しい人の怪しい行動」も、他人に写った自分の心が生み出した産物でしかない。
自分の感じる世界とは、自分が認識している世界観で作られている。
それは、自分の認識が変われば感じる世界も変わるという事でもある。
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隣人トラブルで多いのが、音や声が原因の物が多い。
それは時に事件にまで発展する。
また、集団ストーカーやガスライティングの被害を訴える人にも、「声が聞こえる」「音が聞こえる」と言う被害を訴える人は少なくない。
人は五感の情報で世界を認識しているので、存在しない声が聞こえていたらそれが幻聴であっても、その人にとっては存在しているとしか思えない。
以前は、録音して確認する方法を推奨していたが、「聞こえても存在しない声」で書いた人のように、録音を解析して声が存在していない事が確認されても、同じ所で同じ様に聞こえる人もいる。
しかも録音は、録音方法によって録音される音が変化してしまうし、機材も必要になる。
そこでもっと手軽で確実な方法を考案した。
幻聴が聞える人に、ある動画を見せると特有の反応が出る。
これは双極性障害や統合失調症、癲癇などの精神疾患の簡易的な判定にも使えると思う。
方法は簡単、1分程度で判別出来る。
まず最初にこの音声を聞く。(必ず先に進む前に、この音声ファイルを聞いて何と言っているのか確認する事)
何と言っているように聞こえるだろう?
恐らく「バババーバ」に聞えると思う。
次に、下記のリンク先の動画を見ながら何と言っているかを聞く。
注意事項 : 必ず動画を見ながら聞くようにする事。
リンク先の動画 ←クリック
恐らく、動画を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などに聞えると思う。
次に、この動画を目を閉じて、もう一度何と言っているのかを聞く。
本来なら、最初の音声ファイルと同じ様に「バババーバ」と聞えるはずである。
しかし、これが「バナナーナ」や「バザナーガ」など、「バババーバ」以外の聞え方をした場合、脳に機能障害が発生している可能性が高いと思われる。
さてこの判別法の原理を説明しよう。
最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを抜き取った物だ。
映像を見ずに純粋に音声だけを聞くので、脳の補完は行われない。
つまり音声ファイルで聞こえた声が、本来聞こえるべき声であり、最初にその聞える音声を確認しておく必要がある。
次に、映像を見ながら音声を聞くのだが、この映像は「ダダダーダ」と言う発音の映像に、「バババーバ」と言う音声が合成してある。
この「ダ」と言う発音と「バ」と言う発音には決定的な違いがある。
「バ」は破裂音であり、一度唇を閉じなければ発音する事は出来ない。
破裂音は「マ行」と「パ行」と「バ行」しかない。
脳は、口を閉じていない発音は、破裂音では有り得ないと判断して、似たような口の動きの発音である「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に補完してしまう為、映像を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などの声に聞えるのだ。
これを「音韻修復」と言う。
問題は、目を閉じて聞いた時にも「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に変換されてしまう事だ。
それは補完機能のON/OFFが出来なくなっている事を示し、補完要件が無くなっても脳に記憶されたイメージによって補完が続いている事を示している。
これは逆のケースで観察すると分かり易くなる。
癲癇の人にこの映像を見せた時には補完が行われず、映像を見ながらこの音声を聞いても「バババーバ」に聞えていた。
癲癇は、脳細胞のネットワークに起きる異常な神経活動である為、補完する神経が機能していないと考えられる。
過去、この画像を目を閉じても補完が行われていたのは、双極性障害(躁鬱病)や統合失調症などの精神疾患や不安障害などの神経症を持つ人であり、これらの疾患の人は補完が完全にOFFにならない人と考えられ、癲癇の人は補完がONにならない人と考えられる訳だ。
目を閉じて音だけ聞くのも、音声ファイルだけ聞くのも同じ事である。
つまり、最初の音声ファイルだけを聞いた段階では補完のスイッチが入っていないので「バ」に聞えるのだが、映像を見ると補完のスイッチが入る。
通常の人は映像を見て補完のスイッチが入っても、目を閉じれば補完のスイッチが切れるのに対し、脳に何らかの障害が発生している人は目を閉じても補完のスイッチが切れないと考えられるのだ。
聞え方の多くは、最初の一文字は「バ」に聞え、その後に続く文字に補完が見られる場合が多いので、スイッチがOFFになるというより、例えるなら「漏電的」な状態なのだろう。
この現象は聴覚だけでなく「視覚」に於いても同じ現象が起きている事を確認している。
例えば坂田利夫の写真が松山千春と同じ顔に見えていたりするのだが、雰囲気は違うが同一人物だと言ったりする。
これは一部の特徴的な部分から顔全体を補完している物と推測される。
また、「雰囲気は違うが」と言う部分が、リンク先の映像を見た後で目を閉じて聞いた時に、最初の一文字は合致しているが続く発音が「バナナ」の様に異なって聞えるのと同じ要因で発生していると考えられる。
この映像を見た後に、目を閉じて聞いても「バ」以外の声に聞える人は、補完要因が無い状態でも自分の抱いている世界のイメージによって補完が行われていると考えられる訳で、それが幻聴であると考えられる訳だ。
では何故、補完のON/OFFの切り替えが出来なくなるのだろうか?
精神疾患などの発症メカニズムから考えると納得しやすいと思う。
精神疾患はストレスによって引き起こされるのだが、ストレスホルモンは糖質なのでストレスホルモンが長期間分泌され続けると、血流の悪化する事により、必要な栄養素や酸素の供給が滞り、脳細胞がダメージを受ける事によって、脳の神経ネットワークがダメージを受けたり失われたりする。
その状態が脳の疾患であり、鬱病や躁鬱病、統合失調症などの精神疾患である。
また面白い反応を示す人もいた。
最初の音声ファイルを聞いた時には「バババーバ」に聞こえていた人が、映像ファイルで目を閉じて聞くと「バナナーナ」と聞こえ、もう一度音声ファイルを聞き直すと「バナナーナ」にしか聞こえなくなっていた。
つまり、ストレスで神経ネットワークがダメージを受ける事により、補完機能にも影響を受けると推測される。
また、脳の疾患と同じストレスによるメカニズムで、聴覚器官内にある有毛細胞にダメージを受けて発症する感音性難聴がある。
この感音性難聴も聴覚過敏を引き起こしたり、幻聴が聞こえる場合も有るのだが、その幻聴が聞えるメカニズムも「音韻修復」である。
因みに、映像を見ない段階で、最初の音声ファイルを聞いて「バババーバ」に聞えなかった場合、感音性難聴などの難聴系の疾患の可能性がある。
理由は、補完要因のない状態で音韻修復が行われていると言う事は、聞き取れていない部分を補完していると考えられるからである。
考えてみると、この「補完」と言う物が、全ての根源で一貫しているのかもしれない。
補完は見えない部分や聞えない部分を周りの情報から推測して行われる。
集団ストーカー妄想に陥っている人は「情報の非対称性」による逆選択状態にある。
その逆選択も「思考の補完」と発症要因は同じだ。。
故に、インターネットで調べ続ける限り思考の補完が行われ、集団ストーカーと言う補完が行われ続けるとも考えられる。
そして、脳のダメージにより目を閉じても音韻修復が続いてしまうのと同じ様に、脳のダメージ次第では情報を遮断しても集団ストーカーの補完が続いてしまうとも考えられる訳で、入院治療で情報が遮断されても集団ストーカー妄想が消えない人がいるのはこの為と思われる。
※ 電子ブック「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」アマゾンにて販売中!
以前は「集団ストーカーと統合失調症の判別方法」として書いていたのですが、記述内容がかなり古くなりましたのでリニューアルに伴い書き直す事にします。
まず、何が古く内容がそぐわないのか? についてですが、著書「集団ストーカーと言う被害妄想ガスライティングと言うマインドコントロール」でも書いていますが、かつては集団ストーカーは統合失調症の方の幻聴に過ぎなかった物が、様々な病の症状と重なっていますので「嫌がらせなのか精神疾患なのかの判別」としてタイトルも改める事にしました。
病の症状と言う以前に、病を発症する潜在的要因からも集団ストーカー的感覚に囚われる事も分かって来ましたので、以前書いていた内容では必ずしも病なのか実際の被害なのかの区別が付かなくなっています。
詳しくお知りになりたい方は著書を読まれる事をお奨めします。
さて、嫌がらせなのか精神疾患なのかの判別ですが、結論から言えば「映像に勝る物無し」です。
犯人や犯行を撮影するのでは無く、自分を24時間音声付で撮影する事です。
その上で、その画像を確認し、画像の音声を解析する事です。
また撮影記録は出来る限り残すようにしましょう。
その理由をご説明します。
今まで数多くの集団ストーカーに代表される被害妄想の方の調査を行って来ました。
中には複数年に亘り相談を受け続けている人もいます。
そうした中で様々な経験を積ませて貰いました。
そして分かった事は、幻聴や記憶障害は統合失調症に限った事では無く、鬱病や双極性障害などの精神疾患にも共通した症状なのです。
幻聴とひと括りにしていた物も、カクテルパーティー効果であったり、脳の補完であったり、聴覚過敏であったりする事も分かって来ました。
記憶障害も、単に短期記憶が無くなるだけでなく、過去の記憶が改ざんされたケースを何件も目の当たりにしました。
五感からの情報や、記憶も当てにならないのです。
例えば「隣室や隣家の騒音」と言う騒音被害ですが、騒音被害を訴える人は「騒音と感じるのには個人差がある」と言い、「他の人には煩く聞こえなくても自分には煩い」と言う話をよく耳にします。
しかしその個人差が問題なのです。
私が遭遇した人にはこんな人もいました。
聴覚過敏に陥っている人との電話で話した時、普通に話すと耳が痛くなるほど煩く聞こえるのです。
その人の電話のボリュームも確認しましたが、私には通常レベルの音の大きさでしか聞こえません。
そこで私がヒソヒソ話程度の声で話しても、まだ耳がキンキンすると言うので、声がでるか出ないか位の声で話して会話をしました。
これは極端な聴覚過敏の人の例ですが、もしその人が近隣の人に、騒音の個人差を理由に「静かにしてくれ」と要求したら、それは近隣の人に「生活するな」と言っているのと同じですので無理な話なのです。
問題は、聴覚過敏に陥っている人は、自分の聴覚過敏に気付いておらず、自分が聞こえている音が基準になっていて聴覚過敏を「個人差」と思っている所なのです。
自分が聴覚過敏である事に気付かず、通常の生活音が騒音に聞こえて、クレームを付けていたらどう言う事になるでしょう。
相手からすれば、最初は自分の生活音が煩かったかもしれないと、思い当たる所を改善するでしょう。
それでも原因は聴覚過敏ですから、騒音は止まる事はありません。
するとまたクレームを付けます。
すると相手は緊張した生活を強いられる事になり、やがては反発され無視されるか、引越しを余儀なくされてしまいます。
そんな事が続けば近隣の人から要注意人物としてマークされる事になるでしょうし、そんな事を繰り返していれば家主や管理会社から退去を求められる事にもなるでしょう。
本人からすれば、注意しても無くならない騒音は嫌がらせにしか思えないでしょうし、近隣の人から要注意人物と思われていれば、近隣の人の視線や態度もよそよそしくなるでしょう。
騒音と近隣の人の態度を見れば、本人は結託した嫌がらせに思えるかもしれませんね。
しかし客観的に見れば、聴覚過敏の人のレベルに合わせろ言う事が無理ですし、聴覚過敏である事に気付かない事こそ一番の原因なのです。
また「声が聞こえる」と言う人は、誰の声かより先に「声の存在」の確認が必要です。
実際にあった例ですが、誰もいない自分しか居ない部屋で誰かが喋り掛けて来るという事例がありました。
その人は確かに聞こえ、その人と会話もしていると言うのですが、理論的に考えて誰もいない部屋で誰かと会話する事等有り得ません。
そこで録音する事を提案し録音してもらいました。
しかし録音はその人の声だけしか聞こえません。
誰が聞いてもその人の声しか聞こえないのですが、不思議な事にその人が録音を聞くと、何度聞いても同じ声が聞こえると言うのです。
不思議な話しですよね。
本人には何度聞いても同じ声が聞こえるのに他者には誰も聞こえなければ、皆で自分を騙そうとしているとしか思えませんよね。
記憶障害はもっと厄介です。
記憶障害は記憶が無くなっている事にすら気付けません、記憶が無いのですからね。
自分が食べた物、自分が動かした物の記憶が無くなれば、誰かがやったとしか思えません。
参項の為に、アメーバブログの方に書いた記憶障害の人との会話の記述をそのまま転載します。
今何処にいるの?
小牧市。
小牧の何処?
犬山の近く。
今日は調子が悪い。
今何処にいる?
だから小牧。
小牧の何処?
今さっき話したじゃん。
え?聞いてないよ。
そんな会話を繰り返し、やっと用件に入った。
預けてある鞄の中にボイスレコーダーがあるんだけど、今日取りに行ってもいいかな?
19時なら大丈夫。
今何処にいるの?
だから小牧だって!
忘れないうちにメモしろよ。
何を?
ボイスレコーダー取りに来るんだろ?
何?ボイスレコーダーって?
だから、ボイスレコーダー取りに来るって電話じゃないの?
あれ?俺そんな話ししたか?
話す先から忘れているじゃん。
早急に病院へ行った方が良いぞ。
俺もそう思う。
ところで、預けたはずの財布が手元にあるんだけど、何で持っているんだろう?
それは一昨日、身分証明になる物が財布の中にあるからって取りに来て、金は封筒に入れて財布だけ持って行ったの覚えていない?
覚えていない。
これは、双極性障害と思われる人との会話ですが、酷い場合には話す先から忘れてしまいます。
本人には聞いた記憶や自分の行動の記憶が無くなっていますので、記憶に無ければ不審にしか思えません。
またこんな例もあります。
同居のカップルの女性が、男性に対して暴力を振るっていました。
暴力を振るっていた当時に、その女性から何故暴力を振るっていたのかの理由まで聞いていたのですが、その一年後にその女性は「暴力を振るわれていた」と記憶が書き換わっていたのです。
「した」と「された」が見事に逆転していたのです。
こうした事を目の当りにして来ると、人の記憶による話を鵜呑みに出来ません。
その人には双極性障害の診断が出ていました。
こうした事を目の当りにして来ると「客観的検証」の必要性を痛感します。
記憶障害系の検証には映像しか有りません。
それも24時間常時録画で自分を写し続けるのです。
そして不審に思った時間の映像や音声を確認する事です。
犯人が存在していれば必ず映りますし、自分の記憶に無い自分が映っていれば記憶障害です。
録画はHDDレコーダーに室内用防犯カメラを使用して撮影します。
状況によりカメラを増設して複数の部屋での撮影や、異なるアングルでの撮影も必要な場合もあります。
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外出時には偽装型カメラでの撮影が有効です。
これは犯人探しではなく、自分の行動の記録です。
徒歩の場合、ホームビデオカメラや携帯カメラで撮影しながら歩くと「変な人」と怪しまれてしまいますので、胸ポケットにボールペン型のビデオカメラを使用すると怪しまれずに済みます。
また、車で移送する場合にはドライブレコーダーを利用すると安全に撮影できます。
そうして撮影した映像を数年間は保管して置くと、記憶の改ざんが行われていた場合の客観的判断材料になります。
音声付の映像から音声だけを抜き取る場合は、Any Audio Converterが無料で使えます。
さて聴力過敏かどうかを簡易的にですが調べる方法もあります。
これは「声が聞こえる」タイプの人の判別法にもなります。
まず聞こえる音や声をボイスレコーダーで録音します。
使用するボイスレコーダーは外部入力端子付きの機種を選び、外部入力端子にピンマイクなどの外部マイクを接続して録音します。
本体マイクによる録音ではダメです。
本体マイクで録音する場合には工夫が必要で、本体を糸などで天井から耳の高さまで吊るして録音します。
外部マイクで録音する時にも、外部マイクを耳の高さまで吊るして録音します。
何故この様にマイクを耳の高さまで吊るして録音する必要があるかと言えば、耳の高さで録音すれば耳で聞こえているのと同じ音が録音出来ます。
そして最も重要なポイントは、テーブルや床などに置いて録音すると、床などの振動を拾ってしまうからです。
例えば、テーブルに耳を押し当てると家の様々な振動音が大きく聞こえます。
テーブルや床に置いての録音では、その音を録音してしまうので、聞こえている音を正しく録音できないのです。
聴覚過敏で最も重要な事は音圧レベルです。
騒音規正法も音圧レベルで規制されています。
騒音の測定で問題になるのが、音源と特定場所との位置関係です。
小さな音でもマイクの直前で録音すれば音圧は高くなり離れれば低くなります。
テーブルや床に置いての録音は、音源の上にマイクを置いて録音するのと同じですので、その様にして録音しても何の意味もありません。
聞こえる音を聞こえている状態で録音するには、振動の影響を受けないように弾力性のある糸やゴムで天上から吊るし、耳の高さで録音する必要があるのです。
録音型式ですが、出来る限り非圧縮で録音します。
ファイル形式としては、WAVやWAVA型式で録音します。
理由は、MP3型式では可聴域を超える周波数や可聴域未満の周波数を圧縮してしまうので、可聴域の範囲外の音の測定には向いていません。
また、マイク感度の切り替えが出来るボイスレコーダーなら高感度設定にしないでください。
高感度設定は増幅設定ですので、聞こえている音圧が増幅されてしまいますので、正確な録音とは言えません。
録音したファイルを、WaveSpectraなどの解析ソフトを使って解析します。
このソフトで解析すれば、ある程度の音圧も分かりますので、その音圧が騒音規正法の範囲内であれば誰にも文句を言えませんし、通常人が気にならないレベルの音が気になるのであれば、自身の聴覚過敏を疑って下さい。
声が聞こえるタイプの人は、このソフトの波形で他の音の波形があるかを確認する事で、声の存在の有無を確認できます。
声が聞こえる場合の重要なポイントですが、声が聞こえる時に「ノイズ」や「騒音」などが録音されていないか?
これが最も重要なポイントです。
事例で書いた「声が聞こえる」人が、同じ所で同じ声が聞こえる理由が、ノイズ等の騒音なのです。
ノイズや騒音を、脳が声として認識してしまう為に同じ所で同じ音声が聞こえるのです。
声が聞こえる人の大半は、ノイズや音声を脳が補完して音声に変換していますので、全くの無音の時に声は聞こえません。
全くの無音でも声が聞こえる様でしたら、統合失調症も視野に入れるべきだと思います。
人ごみの中で、声が聞こえる場合もボイスレコーダーの録音で有る程度判別できます。
人ごみの中で声が聞こえた時の録音を、再生して聞いても聞こえた声が録音されているのか否か、殆どの人が分かりません。
その理由は、そこに人がいないからなのです。
これも脳の補完の一つで「カクテルパーティー効果」と言います。
脳は視覚から入って来る情報も処理して音や声として認識しています。
録音だけを聞いた場合、視覚情報がありませんので声として認識しないのです。
つまり、聞こえていたのは脳に補完された声ですので、実際には存在しない声なのです。
例えばこの映像を見ながらなんと言っているのか聞いてみてください。
※注意 試したい方は、下の動画では無く、こちらで試して下さい。
リンク先には、動画の前に映像の無い音声だけが聞けるようにしてありますので、先に音声ファイルを聞いてからお試しください。
恐らく、ダダダーダ、ザザザーザ、ナナナーナ等と聞こえると思います。
しかし、目を閉じてもう一度聞くと「バババーバ」に聞こえると思います。
これが視覚情報に影響を受けた、脳の聴覚補完で「音韻修復」と言います。
この映像は、バババーバと言う音声に、ダダダーダと言う発音の映像を合成してあります。
「バ」と言う発音は、破裂音である為に一度唇を閉じないと発音出来ません。
しかし映像は唇を閉じていませんので、脳は「バ」の発音は有り得ないと判断して、似た発音の音に補完してしまうのです。
そして目を閉じて聞くと、視覚情報が遮断される為に、本来の「バ」に聞こえるのです。
しかし、この映像を目を閉じて聞いた時「バナナーナ」などに聞こえる人もいます。
「バナナーナ」に聞こえた人は双極性障害や統合失調症の人でしたし、映像を見ながら聞いても「バババーバ」に聞こえていた人もいました。
その人は癲癇でした。
この様に、この映像を見てどんな発音に聞こえるかだけでも、ある程度の精神疾患の可能性を見出せます。
精神疾患やこの映像の原理からすれば、それを理解する事も出来ると思います。
精神疾患は脳細胞がダメージを受け、神経ネットワーク回路が崩れた状態です。
脳の神経ネットワーク回路が正常に作動していれば正常に補完されるのですが、神経ネットワーク回路が崩れている為に正常に補完されないと考えられる訳です。
但し、受けているストレス次第でダメージを受ける部分は人によって異なる為、視覚や聴覚に然程ダメージを受けていなければ正常に補完されますので、正常に補完されたとしても正常に補完されなかったにしても、医師の診断を受けるまでは可能性の域を出ませんので予めご了承ください。