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集団ストーカー問題を研究して分かった事がある。
それはインターネット・マインドコントロールと呼ぶべきような状態が発生していると言う事だ。
そして集団ストーカーやガスライティングとは、統合失調症などの病気ではなく、被害を主張する者によるインターネットを通じたマインドコントロールである。
集団ストーカーやガスライティングと言うマインドコントロールは、当たり前に存在していても見過ごされてしまっている物や現象を「犯行手口」と言う先入観を与え、それを探させる。
それまで気にも留めず見過ごしてきた事を、先入観を与えられ、気付かされてしまう事で、それまでにも存在していたにも拘らず「身の回りで起き始めた」と錯覚させられてしまう。
ここではそれをインターネット・マインドコントロールと呼称し、順を追って説明して行く。
このインターネット・マインドコントロールの状態は、集団ストーカー問題に限った事ではなく、ワンクリック詐欺等の振り込め詐欺から、抗議デモ活動まで幅広く作用していると考えられる。
またインターネット・マインドコントロールは、リアル世界のマインドコントロールと何ら変わらないが、インターネットと言う特異性がリアル世界のマインドコントロールより陥りやすい状態を生み出しているとも言える。
マインドコントロールに陥りやすい資質
まず、マインドコントロールに利用される誰もが持つと言われている心理がある。
その資質とは、権威性であったり、希少性あったり、コミットメントの一貫性であったり、返報性など様々な心理である。
これらの心理を巧みに利用し、「思考停止状態」にしてマインドコントロールは行なわれるとされている。
その為、誰でも陥る危険性が有ると言われている。
しかし、それは正しくも微妙に違ってもいると思う。
いや、そこに違和感を感じない所が問題だと思う。
それこそが、マインドコントロールに陥りやすい資質なのだろう。
これを読んでいる人に少し質問したい。
学校で学ぶ学問は本当の事なのか?と言う疑問を持った事は?
報道されるニュースは実際に起きている事なのか?
そんな疑問を持った事は無いだろうか?
学校で学んだ事だから正しい、報道されている事だから本当だと考えている時点で、自分で考えず、自分で経験もせずに、全て本当の事だと思い込んでいるのではないだろうか?
それは学校や報道と言う権威で信じ込んでいるのであって、その時点で「思考停止」ではないだろうか?
逆に、何かと陰謀論を信じる人は「社会性」と言う面から見れば、社会性に問題があるのではないだろうか?
なぜなら、社会性の基本は「信じる事」であり、何かと陰謀論を信じる人は「社会性の基礎」に問題があるとも言える。
質問を続けよう。
学校で学ぶ学問と、他人の妄想との違いを考えた事があるだろうか?
もし、学校の先生が自分の妄想を教えていたら?学校で学ぶ事も妄想でしかない。
例えば世界を騒がしている「タリバン」とは「神学生」と言う意味であり、中世ヨーロッパでも神学により科学が否定されていた時代もある。
あのアメリカでさえ、今でも子供を学校に通わせずに親が神学を教えることが許されている。
妄想と現実を分ける物とは何だろう?と考えると、それは経験しかない。
「インターネットマインドコントロールに気付いた経緯」で書いた、ネットでワンクリック詐欺の相談に乗っていた人は「無視する事」と相談者にアドバイスをしていながら、自分が登録されると「不安」を抑えきれなくなってしまった。
彼は対処法の知識はあった。
それは間違った知識ではない。
しかし、それを信じる事が出来なかった。
ではその知識とは何処で学んだのだろう?
学校?友達?弁護士?ネット?
何であろうと学んだ事には変わりはないだろう。
しかし、その知識と誰かの妄想で作られた知識と、区別が付くだろうか?
この例には深い意味合いが含まれている。
「経験を伴わない知識」は他人には平気で使えるが、自分に事が及ぶと不安を抑えきれずに恐怖を覚える。」と言う事である。
この原理は後で説明するとして、妄想と現実の違いは「反復検証が出来る事」である。
検証出来なければ、どれほど理論的な裏付けがあろうとも妄想と変わりは無く、検証しなければその人にとっては妄想と変わりはない、つまりは経験しているかどうかである。
目線を変えて、言葉と言う思考の道具を持たない動物はどのようにして学ぶのだろう?
動物達は経験から学んでいる。
だから、動物の世界には間違いはあっても嘘はない。
人間は言葉と言う思考の道具を持っている。
それは一人の考えを多くの人に伝える為には役立つが、その反面嘘も生まれる。
その嘘を見抜くのも経験しかない。
権威性とは、考えもせず、経験もせず、権威に判断を委ねている状態であり、それは思考停止ではないのだろうか?
希少性も、本当に自分に必要な物かの考えも無しに、希少という言葉に踊らされるだけではないのだろうか?
それは、思考停止ではないのだろうか?
交通事故を騙る振り込め詐欺を例に少し考えてみよう。
一度でも交通事故を経験した人なら、話しの内容を不審に思うだろう。
警察からの電話で弁護士? 警察や弁護士が示談? 警察が裁判の話? 事故ったその日に慰謝料やら示談金? など不審な話で埋まっている。
一度でも事故を経験していれば、事故と言う物は100%の過失は極めて珍しい事を経験で知る。
過失の比率をめぐって論争が繰り広げられるのが事故である。
その交渉に当るのが保険屋であり、無保険車ならともかく、通常は保険金から支払われる。
一度でも事故を経験した事があれば、こうした事は経験しており「おかしい」と気付く。
2度経験していれば「嘘」を確信するだろう。
しかし、経験していない人は「警察」とか「裁判所」とかそうした肩書きを言われると、「そう言う物なのか?」と信じてしまっても不思議ではない。
これが「権威性」による思考停止であり、警察やら裁判所やら弁護士と言う肩書き(権威)で思考を止められている。
つまり、そうした肩書き(権威)を名乗られる事により、それ以上思考するのを止めている状態である。
これはあくまでも交通事故を騙る振り込め詐欺の例だが、権威性による思考停止は至る所に見受けられる。
その一つに「評価」がある。
何かの購入を考える時に、専門家や専門誌、大勢の評価や口コミを気にする事も権威性。
メーカーやブランドに拘るのも一つの権威性。
発言者が誰なのか?を気にするのも権威性。
有名人が使っている、高名な学者が考案した、TVで紹介された等、商品以外の外部性に左右されるのも権威性であり、情報ソースの提示を求めるのも権威性の現れてある。
こうした権威性に捕らわれやすい事が、思考停止に落とし込まれる資質となっている。
その資質を作っている物は?と考えると受験勉強にたどり着く。
本来学問とは、知識で得た事を経験したり、経験で知っている事を理論的に知る事であり、知識と経験のフィードバックが不可欠である。
フィードバックされていない知識と経験は妄想と変わらない。
受験勉強とは、知識だけを詰め込むあまり、経験する時間を奪っている。
それは、嘘を見抜く経験も少ないと言う事でもある。
現代の教育は、自ら考える能力を育てる教育ではなく、こうした教育を受けてきた人は、安易に答えを求める傾向がある。
安易に答えを求めるには、思考や判断を誰かに委ればよい。
本来、経験のフィードバックで知識が事実である事を確信するべき所を、権威で代用しているのである。
情報ソースの提示も、その情報が信じられる物かの判断を、情報の発信元の権威に依存しているのであって、自分で考えたり自分で判断しようとしている訳ではない。
「頭を使う」と言う事を、もう一度考え直してみよう。
九九を言える子供と、足し算を指で数えてする子供、どちらが頭を使っているだろうか?
九九は「記憶」であり、指で数える事は「思考」であり、指を動かしているだけ脳を使っている。
つまり、九九を覚えるより、指で数を数えている方が、より脳を使っている。
指で数えるとは、一つの確認作業であり、その確認作業の経験があるからこそ、九九を確信して信じられる訳でもある。
例えばこの問題
問題:この長方形の周りの長さは
多くの人が問題を読む前に、図のイメージから反射的に面積と判断し、頭の中で「21㎡」と瞬間的に答えを出しているだろう。
しかし問題の答えとしては「20cm」である。
瞬間的に答えが出る=頭が良い 本当にそうなのだろうか?
そこを少し考えてみよう。
この四角形の問題はマインドコントロールに陥りやすい資質を象徴した問題である。
そもそも頭が良いとはどう言う事なのだろうか?
「考える」と言う行為は「思考」である。
しかし、21㎡と答えを出した時に「思考」していただろうか?
3cmと7cmと言う数字を見て、反射的に面積と判断して、四角形の面積の公式「面積=縦×横」が頭に浮かび、公式に数字を当てはめて、九九で瞬間的に答えを出す。
瞬間的な判断も、公式や九九も、記憶や反射であり、思考はしていない。
つまり、思考領域である前頭葉は使われていないという事である。
今の教育は、この延長にあり、より早く答えを出す為の教育である。
今の教育は、知識は身に付いても知恵は身に付かない教育になっている。
何かのCMにも有ったが、日本の教育は2+5=□と問題を解かせる教育で、□+□=7と問題を考えさせる教育になっていない。
言い換えれば、何かに興味を持ち、自分で調べて考えるのではなく、暗記する教育であり、自分で調べて考える作業より、効率的に答えを求める為の教育。
体験授業と言いながら、部分的にしか体験させず、さも体験したかのように思わせる教育。
それは前頭葉が発達しにくい教育であり、思考停止に陥りやすい資質でもある。
最も効率の良い答えの求め方は、答えを誰かに聞く事である。
最近は、それが当たり前のような風潮になって来ているように私には思える。
例えば、私がパソコンを覚えた1999年頃は、とにかく触って使ってみて、どうしても分からない事があれば書店で立ち読みしたり書物を買って来て、失敗を繰り返し、色々な事を試しながら独学で覚えた。
今のネットの掲示板等を見ると、自分で調べる前に人に聞く傾向が強いように思う。
集団ストーカー被害を主張する人を見ていると、この傾向が強いように思われる。
キーボードを打つのは早いし、かなり難しい事も知っている、私も知らないような専門用語も沢山知っている。
それなのに、NumLockを知らなかったり、ローマ字入力とカナ入力の切り替えを知らなかったりする。
ソフトの使い方は知っていても、パソコンの操作はあまり知らない。
また、HP作成ソフトやブログを書いている人に見られるのだが、タグを知らない人が多い。
そんな人が、自分のHPにタグを貼り付けるだけのレンタルカウンターを設置すると勘違いを起こしたりする。
本来自分のHPにカウンターを設置する場合、CGIやPHP等のプログラムを自分のサーバーにUPして設置するが、タグを貼るだけのカウンターはレンタルしている所のサーバーにあるプログラムで呼び出して表示させている。
その為、レンタルしている所がサーバーエラーを起こしたり、メンテナンスしたりすれば当然止まる。
しかし、タグの意味を知らなかったりすると、自分のサーバーと言うか、自分のHPに「何かされている」と勘違いしてしまう。
そのサーバーですら自分のPCの中にあると思い込んでいる人もいる。
ウイルス攻撃やハッキングを受けていると言い、その手口等を色々説明して来る人が、ウイルス対策ソフトやファイアウォールも入れていなかったりする。
そんな人が、PCの専門家を自称していたりもする。
成功者の話を聞く時でも、成功の秘訣を聞きたがり、苦労話は聞きたがらない。
成功は失敗や苦労の結果であり、失敗や苦労こそがノウハウである。
成功と言う結果だけを求めてもノウハウが無ければ行き詰る。
安易に求めた答えや、部分的な経験で知ったつもりになっていれば、その知識や経験を生かす時に必ず「知らない事」が多発して壁に当る。
それが他人事であれば気にもならないだろうが、それが自分の身に危険が及ぶ様な事であれば、あの人と同じ様に不安や恐怖を感じる事になる。
それは人間関係でも同様である。
つまり、マインドコントロールに陥り易い資質とは、経験のフードバックを持つ知識と、経験のフィードバックを持たない知識のバランスであり、フィードバックされている知識が少ないほど資質は高く、多いほど資質は低くなる。
また、知識と経験がフィードバックされていても、総量が少なければ資質は高く、多くなるほど資質は低くなる。
この事を踏まえて次に進もう。
マインドコントロールの手法
マインドコントロールの手法は色々言われて入るが、単純化すれば基本的には3つの段階に分かれていると考えられる。
第一段階は「引き込み」
第二段階は「落とし込み」
第三段階は「コントロール」である。
引き込みとは、言わば客集めである。
その手法はローボールであったり、希少性であったり、権威であったりする。
この引き込みの手法は通常の商行為でも使われている。
「残りあとわずか」と言うキャッチ、アンケートと言うローボール、ブランドと言う権威などなど。
問題は「落とし込み」と「コントロール」である。
基本的に、落とし込みとは「不安」を植え込む事であり、コントロールは「不安を解消する方法」の提示である。
カルト宗教等では、不安を植え込む為に使われるのが、世界破滅等の予言であったり、前世からのカルマであったり、先祖供養であったりするのだが、そもそも宗教に救いを求める時点で不安を抱いている。
元々不安を抱えている人には「引き込み」や「落とし込み」は必要ない。
不安を抱えている人なら、不安を恐怖に摩り替えてしまえば良い。
そこに、不安を取り除くグッズを提示して買わせるのが霊感商法であり、メシアが登場すれば布教になる。
振り込め詐欺も、基本的に相手に不安を与えて振り込ませる。
振り込め詐欺の手法は、相手に不安を与えて落とし込み、不安を解消する方法として「振り込み」をさせる、つまりコントロールである。
つまり「不安」こそが最も重要な要素である。
不安と言う核心を理解した上で、マインドコントロールに使われる手法や付け込まれる心理に触れて行こう。
ローボール
ローボール人は遅い玉を投げられれば思わず受けてしまう。
そして徐々に早いい球を投げられれば、早い玉でも取ろうとする心理である。
つまり、自分が決めたことには責任を取ろうとする心理を利用したテクニックである。
具体的には最初に受け入れやすい条件を提示して決断させ、その決断を有効にするにはと、徐々に条件を加えて行き、通常なら契約もしないような不利な契約をさせるテクニックである。
合意性
周りの人に同調してしまう心理。
この同調性を利用した昔ながらの手法が「さくら」である。
買おうか買うまいか迷っている時、一人が買えば次々と買い始める心理である。
この心理の中にも不安と欲が存在している。
もし買い遅れて、なくなってしまえば損をする、その損をするという不安が合意性の中にある。
権威性・希少性
著名な人や団体、肩書き、今ならお得、残り僅か、そうした本来の価値ではない「外部性」に価値観が左右される心理。
TVで紹介された、とか有名人も使っているとか、などは馴染み深いだろう。
この心理には、思考停止と不安がある。
権威とは、自分では良し悪しを判断出来ない時、その判断材料として権威が必要となる。
その原点は、自分が損をしない為の判断基準でもある。
希少性も、買い遅れに対する不安の植え付けでもある。
返報性
これは社会性の基本でもあるのだが、何かをしてもらったら返そうとする心理である。
親身になってくれる相手を裏切る事は後味が悪く、カルト宗教等ではこうした心理を巧みに利用する。
何かをしてもらっても返さなければ、そこに不安が生じる。
好意性
自分を褒めたり高く評価してくれる人に好意を持つ心理。
自分の事を肯定的に受け止め、その人を好きになる事を好意の返報性と言う。
集合的無知
曖昧な状況にいる時に、判断基準を周りの人に求めようとする。
しかし、周りの人も同じよな曖昧な状況にいる時、周りの人も同じ様に判断基準を他人に求め、その結果、皆が間違った方向に行ってしまう現象。
分かりやすく言えば、裸の王様現象。
裸の王様のお話しで「王様は裸だよ」と言った子供以外の登場人物は、集合的無知に陥っている。
これも、自分だけが他者と違う不安に起因した心理である。
コミットメントの一貫性
矛盾しない自分でいようとする心理。
自分が取った行動に責任を持とうとしたり、自分の発言に責任を持とうとしたりする心理。
例えば、せっかくポイントカードを作ったから、その店でポイントを貯めようとしたり、嘘の上塗りもコミットメントの一貫性である。
集団圧力(集団同調)
これは、集合的無知を意図的に行なう物と理解すればわかりやすい。
集団の中の一人以外の者が、わざと間違った答えを出すと、その一人は間違いと分かっていても、間違った答えを言わないと不安になる心理。
先入観
先入観とは前持って作られた観念。
その観念によって真に自由な発想が阻害される。
マインドコントロールは、先入観を植え付ける事で、自分達の都合の良い思考に導く。
緊張と緩和
これはお笑いの原理としても知られる。
緊張の後の緩和が笑いを生む。
その逆に緊張が緩和した瞬間に緊張させれば、恐怖を覚える。
この手法はゾンビ系のゲーム等に使われている。
少し強めの敵を倒して、緊張がほぐれた時に、突然強敵が現れれば緊張は倍増すし、そのときに恐怖を覚える。
そして、延々と続いた緊張の後に、緩和をもたらす存在は救世主的存在となり、心を許し易くなる。
宗教系のマインドコントロール
まず引き込みに使われるのがスピリチュアルである。
このスピリチュアルも一つのローボールで、宗教を名乗ると警戒される為、本来の宗教名を名乗らずスピリチュアルを名乗る。
一つの例として、「手相の勉強をしています」などと街頭で声をかけて、お金は要らないから手相を見せて下さいと言って手相を見る。
そこで褒め言葉を連発した後で「気になる所があり、それは自分では分からない」等と不安を植え込む。
褒める事で好意の返報性を抱かせてガードを下げ(緩和)、ガードが下がった所に不安(緊張)を植え込む。
そして、先生等もっと上の人に見てもらった方が良い(不安解消の提示)などと、サロン等に誘われる。
そこで、見てもらうにはお金が必要と言われ、払えない額ではない金額を提示され、そこで「このままでは大変な事になる」等と、更なる不安を植え付る。
その不安の解消として提示されるのが、セミナーへの参加や高額な霊感商品で有ったりする。
セミナーに参加すれば、世紀末だの前世のカルマだの先祖供養だのの話を聞かされ先入観を植え付けられる。
話を聞いて、胡散臭く思って信じないと思っていても、何かの拍子にふとその話しが脳裏をよぎった時に、ついその話に関連付けて考えてしまったりする。
その時点で、すでにマインドコントロールの影響を受けている。
こうなると、先に植え付けられた不安が増大してくる。
この不安が増大している時点ですでに思考は奪われている。
そして思考停止状態になった所で、メシアの登場。
気が付けば入信している。
またある宗教では、悩みを持っている人に近付き、親身に相談相手になることで好意の返報性を抱かせて入信させる。
「悩み」は不安を伴っている為、不安を植え付ける手順は要らず、好意の返報性と不安解消の提示をするだけで落とし易い。
振り込め詐欺系のマインドコントロール
振り込み詐欺系にも電話系、はがき系、ネット系などがあり、年々手口が巧妙になってきている。
巧妙なオレオレ詐欺の手口の一例。
最初に「オレだけど」と、電話番号が変わったと電話がある。
その時は当然声が違う事に気付くのだが、風邪を引いたので声がおかしい等と信じ込ませる。
この時は、電話番号の変更の話だけなので、さほど警戒されていない。
これが最初のローボールである。
電話番号の変更の電話があれば、その番号を登録する。
その番号を登録してしまえば、次に電話をするとその番号が表示され名前も表示される。
名前が表示されれば、その人だと思って電話に出てしまう。
すると、声の違いに気付かず、その人の声に聞こえてしまう。
これも一つの思考停止である。
そこから、会社で穴を開けただの、事故っただの、借金があるだのとの話が始まる。
主に子供を思う親心を不安にさせる口上が使われる。
その電話の多くは2時台が多く、3時までに振り込ませようとする。
それは、時間的制限を持たせる事で思考停止に陥らせ、確認作業をさせる時間を与えない為である。
子供を思う気持ちが強ければ、不安と焦りで思考が止まり、振り込め詐欺の注意喚起のポスター等目に入らなくなってしまう。
その不安を解消する方法が、振り込む事である。
しかしこの詐欺は、3時を過ぎれば成立しなくなる。
理由は振込みは3時までしか出来ない事であり、3時を過ぎた振込みは翌日に振り込まれる。
振り込まれる間に時間に確認されてしまえば、振込みを止められる。
次は、脳のメカニズムに話を進めよう。
マインドコントロールに陥る原理
ここまで「不安」や「恐怖」、そして「思考停止」と言う事に触れて来た。
では、不安や恐怖と思考停止にはどの様な関連性があるのだろうか?
その解説に移って行こう。
これは「集団ストーカー」関連のページで以前から書いている事なのだが、脳の「前頭極」の機能が関係している。
前頭極は、将来予測や過去の意思決定の評価などを行なうと考えられている。
その前頭極のもう一つの役割は、危険回避である。
危険を感じた時に、考えて行動していては遅れてしまう。
その為、危険を予測した時に、瞬時に行動して危険を回避する防衛機能である。
そのメカニズムは、危険を予測すると前頭極が前頭葉から理性を奪い、扁桃体と直接繋がり扁桃体主体の脳に変わる。
その時、前頭葉は使われず、思考停止状態になる。
そして、扁桃体は感情の領域であり、不安や恐怖を感じるのもこの扁桃体である。
前頭極は、不安により活動を始める。
つまり、不安を与えられる事で、前頭極を働かしてしまえば「思考停止」状態に陥る事になる。
しかし、単に不安を感じるだけでは前頭極は働かない。
前頭極が働くには、自分に符合するキーワードが必要であり、符号キーワードがあると、前頭極は瞬時に働き、思考は不安解消にしか働かず、感情的な思考や行動になる。
その瞬間、頭が真っ白になる様な「ハッ」とした感覚になると言う。
つまり、危険が我が身に及ぶ事が予想されると働き出し、その時の行動原理は「逃走か闘争」になる。
これは不安や恐怖から逃れると言う意味であり、それがある時には逃走であったり、篭城であったり、信仰であったり、従順であったり、訴えであったり、改善であったり、抗議であったり、要求であったり、強要であったり、闘争であったりするが、それらの原点は不安の解消である。
これが「不安」と「恐怖」そして「思考停止」のメカニズムなのだが、ここでマインドコントロールに掛かりやすい資質が関係してくる。
変な話だが、受験勉強にいそしんで来た人は、脳の神経の結びつきが弱い傾向があり、前頭葉も発達していない可能性がある。
熱心に勉強して来たのに変な話に聞こえるかもしれない。
しかし、受験勉強で使われるのは尾状核(学習と記憶の領域)で前頭葉ではない。
前頭葉が最も活性化するのは人の顔を見て会話をする時である。
つまり、受験勉強で友人とのコミュニケーションが少なかった人は、前頭葉の発達に問題がある事が推測される。
また、脳神経を発達させるのは五感からの刺激であり、受験勉強には五感からの刺激は少なく、その分、脳神経のネットワーク結合が弱い事も推測される。
オウム真理教の幹部に高学歴者が多かったのはこの為と思われる。
これが、知識と経験のフードバックの重要性であり、経験は五感からの刺激を伴い、脳の神経ネットワーク結合を強固にする。
しかし、これだけでは長期にわたるマインドコントロールは出来ない。
長期にわたるマインドコントロールには、先入観を持たせる必要がある。
先に、先入観を持たせてしまえば、黒い物でも白と思わせる事ができる。
それも脳のメカニズムであり、そのメカニズムとは「基準」である。
それを理解しやすい物に「ルビンの壷」がある。
顔が見えると壷は見えなくなり、壷が見えると顔が見えなくなる。
しかし、「これは顔の絵です」と先入観を植え付けられて見れば、壷が見えても錯覚と思ってしまう。
どちらも見えるのが当たり前なのだが、先に先入観を植え付けられる事で、片方が正しく片方は錯覚だと思わされてしまう。
つまり片方が基準と言う先入観を植え付けられれば、もう片方は間違いとなってしまう。
裸の大様風に言えば「壷が見えたら愚か者」と先入観を持たせられれば、壷に見えていても「顔に見える」と言う心理である。
次は下の赤い丸をクリックしてみよう。
下の赤い丸をクリックすると、大きな赤い丸の画像が出る。
その赤い丸は暫くすると赤い色が消える。
その赤い丸を、色が消えるまで見続けると、色が消えた時に赤かった部分が青く見えるはずだ。
この赤い丸が青く見える理由が、基準である。
赤い丸を見続けると、脳はそこが赤であると認識する。
つまり、赤く見えている所の基準が赤になる。
白(基準)を0、赤をプラス、青をマイナスとした場合、赤を見続ける事で、赤い部分の視覚の基準は赤になる。
見えている赤い色を+5 としよう。
赤を見続ける事で基準が+5 になれば、元々の基準であった白は-5 になっている。
本来の-5 は赤の反対色である青の領域であり、基準が+5 になっている時に突然赤が消えて白になると、白は-5 になっているので青く見える。
この様に、脳は何を基準として見るかで見える物が異なる。
先入観とは、その基準を変える働きをする。
その顕著な例が、集団ストーカーの被害を主張する人達である。
通常何処にでもある当たり前の事を「犯行の手口」と言う先入観を植え付けられ、犯人の存在しない犯行に怯えている。
その代表的な物が「咳払い」であり、「ゾロ目のナンバープレート」である。
咳は誰でもするのだが、「ワザとらしく咳をして、監視している事を仄めかして来る」と言う先入観を与えられ、咳をしている人を犯人だと思い込む。
冬場や花粉症のシーズンなどは、そこら中で咳をしている人がいる。
だから、集団で狙われていると思い込んでいる。
ナンバーは4桁で、その4桁を、ABCDとすると二つの組み合わせはAB、AC、AD、BC、BD、CDの6通りある事になる。
それぞれに0~9までの数字で同じ数字が揃うのは、00、11、22、33、44、55、66、77、88、99の10通りであり、00~99までは100なので10/100で一つの組み合わせに10%同じ数字が揃う確立がある。
組み合わせが6通りあると言う事は、10×6で60%あると言う事になる。
60%の確立の物に出会わない方がおかしい。
このゾロ目のナンバーも、元は「警察」や公安から狙われていると思い込んでいた人が、警察車両は「8ナンバー」である事から、警察車両を指す言葉として使われていた。
しかし、この「88」は分類番号だったのだが、88の意味を知らない人がナンバーと思い込み、それがゾロ目のナンバーへと拡大解釈されて行った経緯がある。
その「8」ナンバーの本来の意味は「特種用途自動車登録」であり、キャンピングカーや街宣車等の改造車も8ナンバーである。
確立上60%もあるゾロ目に加え、ポケベル世代の語呂合わせや電話番号や住所、生年月日が加われば、ほとんどの車が怪しく思えてしまう。
その他にも同じ色の服と言う物があるが、彼等の言う服の色など赤系・青系・黄系・白系・黒系の5色である。
その中で季節感に合わせて着るのだから、同じ色の服を着ている人がいるのは当然である。
つまり、犯行の手口とする基準を、大多数の物にされてしまい、存在しない犯人に怯えている訳だ。
しかし、こんな馬鹿げた事に何年も何十年も悩み続けている。
それほどまでに、先入観を植え付けられると、効果は持続すると言う事である。
これを、彼等が使う言葉では「アンカリング」と言う。
アンカリングとは「条件付け」と言う意味なのだが、彼等はアンカリングという言葉にアンカリングされている事に気付いていない。
「怪しい」とは「知らない」という事である。
何処にでも当たり前にある事でも、気にしていなければ見過ごされて気付く事もない。
見過ごして気付かなかった事を「犯行の手口」とアンカリングされ、それを「探して」しまう。
元々何処にでもある事なので、意識して探せば何処にでも見つかる。
それが恐怖心に拍車を掛けてスパイラル化して行く。
そうした事は、調査現場で嫌と言うほど見て来た。
戸建て住宅の電話の保安器には、必ずアース線が地中に延びている。
十数年も住んでいれば、毎日見ているはずなのに「こんな物は見た事がない」だから、この線で送信されていると言う人もいた。
また、切妻の屋根には「母屋」や「棟」「桁」があり、図面にも描いてあるのに「30年住んでいるが見た事が無い」。
だから、それが盗聴器だと言う人もいた。
これらは全て、それまで存在に気付かなかった事に気付いただけで、以前から当たり前にあった事を怪しんでいるだけである。
この先入観は、しばしば冤罪をも生む。
犯人と決めて掛かる事で、不利な証拠だけを重視したり、良くも悪くも取れることを悪い解釈だけに受け取ったりする。
その悪い解釈を聞かされる事で、聴く人にも先入観が植え付けられてしまう事になる。
それは逆のケースもあると言う事でもある。
被告となった時点で被告=犯人と言う先入観が発生してしまう。
その為裁判は「言った者勝」の側面も持っている。
さて、ここで少し目線を変えてみよう。
占いは当るのか当らないのか?
占いと言うのも、一つの先入観であり、アンカリングであり、それは一つのマインドコントロールでもある。
例えば「今日は良い事があります」と書かれていたとする。
すると「良い事がある」とアンカリングされ、良い事を探して関連付けてしまえば、「占いは当る」と思え、探したり関連付けなければ「占いは当らない」と思える訳だ。
占いは読んでも読まなくても、その日に起きる事は変わらない。
占いを読まなければ気付きもせず見過ごしてしまう事を、先入観を持たせて探させるから目に止まるだけである。
つまり、占いも、集団ストーカー被害も、原理は同じである。
カルト宗教等のマインドコントロールでは、社会と隔絶され集合的無知の状態に置かれる。
本来社会には色々な考えを持った人がいる。
自分とは違う考えを持った人も沢山いる。
そうした人と出会い、そうした人の考えに出会う事で、自分の考えの間違いに気付き修正されて行く。
しかし、カルト集団のように、社会から隔絶され、同じ価値観、同じ考えだけの人達の集合では、異なる考えに接する機会はなく、間違いが是正される事もない。
その為、全体が間違った方向へ進んでしまう。
それが「排他的集団に於ける集合的無知」である。
つまり、自分が身を置く集合の中で、大多数が同じ意見であればそれが基準となり、異なる考えは異端になるのだが、その身を置く集合が全体の中の小さな集合であれば、全体の中ではその集合こそが異端になる。
異端が基準になってしまえば、大多数の社会に馴染めず、自分が身を置く集合に居場所を見出し、抜けられなくなってしまう。
カルト宗教とインターネットの類似性
インターネットの世界は、カルト宗教に酷似している。
カルト宗教は親和性と排他性を併せ持つ集団である。
入信させる為の親和性、異なる考えに対する排他性を併せ持ち、その排他性により集合的無知が発生する。
インターネットのコミュニティーも同じ性質を持つ。
インターネットのコミュニティーも、カルトと同じ様に同じ価値感、同じ考えの人の集合であり、カルトと同じ様に親和性と排他性を併せ持っている。
インターネットのそうした集合の中では、カルトと同じ様な集合的無知が発生する。
例えば私の専門である「盗聴」に関する「相談掲示板」を例に説明する。
こうした相談掲示板に相談すれば、それを見た人は親切に答えようとする。
これがインターネットの親和性である。
リンクを張った掲示板は排他性は出ていないが、集合的無知が発生している。
盗聴に関して知らない人達が、聞きかじった情報を持ち寄り、間違った方向に話が進んでいく。
これが、集合的無知である。
詳しく知らない人同士が議論しても意味は無い。
2ch等の集団ストーカー系の板では、専門知識を持った人が否定論を書けば、犯人扱いされて聴く耳を持たない。
それが「排他性」である。
彼等は異なる意見を書く人を「工作員」と呼ぶが、彼等の言う工作員とは宗教で言う「悪魔」と同じ意味合いを持ち、異教の神や異教徒と同じ意味合いで使われている。
それ自体が先入観の植え付けであり、先入観を植え付けられた人は、その先入観に影響されて物を見る。
こうなると、カルトとなんら変わらない。
そのカルトと同じ環境では、カルト宗教の使うマインドコントロールと同じ状況が生まれる。
同じ意見や価値感の人達が集まるコミュニティーの多数意見が、全体の多数意見とは限らない。
しかし、コミュニティーの中で多数意見であれば、全体の多数意見の様な錯覚を覚えてしまう。
それは、集合的無知が発生する要因である。
そして、インターネットの中の多数意見が、社会全体の多数意見とは限らないし、インターネットの少数意見が現実社会でも少数意見とは限らない。(サンプリングの偏りの危惧)
インターネットと言う世界自体が、インターネットが出来る環境にいる人だけが使う世界であり、その時点で同じ環境にいる人だけの集合でもある。
そもそも声高に叫ぶ人は、不満を持っている人であって、不満を持っていない人は何も言わない。
ネットにしろ現実社会にしろ、声高に叫ぶ人の声だけが耳に入る。
しかし、声高に叫ぶ人の全体での割合は、極めて少数派である事の方が多い。
言い換えれば、少数派である為に声高に叫ばなければ誰の耳にも届かないから声高に叫んでいる。
インターネットでのコミュニティーは、単なる趣味趣向であれば問題は無いのだが、不平不満のはけ口になったり反社会性を持つとカルト化する。
その代表的な物が「ネトウヨ」や「似非右翼」である。
それが、インターネットの特殊性であり、インターネットマインドコントロールが発生する要因である。
検索エンジンを見直してみる
集団ストーカーやガスライティングの被害を主張する人のHPやブログにこんな事が書かれていたりする。
「googleなどで検索すると何十万件もHITする」
その大半が「被害を訴えている人」の物であり、こんなに沢山の被害がある。
当たり前の事なのだが、そうした記述は検索エンジンを使って集団ストーカーやガスライティングと言うキーワードを検索した事を表している。
ではその検索エンジンをもう一度見直してみよう。
無数の情報が存在するインターネットの世界で、検索エンジンは必要な情報を探す為に必要不可欠なツールである。
必要な情報のキーワードを入力すれば、瞬時に入力したキーワードが含まれる記事を表示してくれる。
後は、タイトルや表示されている記事の一部を参考に、見たい記事を選んでクリックすればその記事が見られる。
インターネットの世界で検索エンジンを使わず、求める情報を探す事は至難の業だろう。
それほどまでにインターネットの世界での検索エンジンに対する依存は高い。
しかし、この便利な検索エンジンには意外な落とし穴がある。
求める情報だけ選んで見ると言う事は、「情報の非対称性」や「集合的無知」が発生する危険性が高いと言う事でもある。
例えば、集団ストーカーで検索した場合、その大半が「被害を訴える人」のページであり、その被害に異を唱えるページは極端に少ない。
それこそが「情報の非対称性」その物であり、そうした偏った情報は「逆選択」や「集合的無知」を生む。
しかも、検索した人は異を唱えるページはスルーして、求める情報だけを閲覧する。
それこそが無意識で行なう「排他性」である。
キーワードを入力して必要な情報だけ表示すると言う事は、不要な情報をシステム的に排除していると言う事であり、それはシステム的な排他性でもある。
システム的な排他性は、便利ではあるがその反面、逆選択や集合的無知の危険性を含んでいる。
その危険性が及ぶか否かは、使う人の資質だろう。
その資質が「経験と知識のフィードバック」の量である。
インターネットマインドコントロールに陥る原理
ここまで、マインドコントロールに付いて書いて来た。
それを踏まえて書いて行く。
説明しやすいので集団ストーカー被害者を例にしてインターネットマインドコントロールを説明して行く事にする。
まず、集団ストーカーの被害を主張する者は、ネットで言われているような統合失調症等の精神疾患者達ではなく、インターネットによってマインドコントロール状態に陥った人達である。
しかし、マインドコントロールの原点は「不安」であり、不安感は精神疾患共通の症状でもある。
その為、精神疾患者はマインドコントロール状態に陥り易く、集団ストーカーを訴える者には精神疾患者が多い。
それは、集団ストーカー被害者が槍玉に挙げている宗教でも同じである。
また、カルト宗教の教祖の多くが精神を病んでいるのと同じく、ネット上でコントロール化しているサイトやブログの主の多くに病歴がある。(本人は陰謀と主張していたりする)
つまり、精神を患った者の妄想で作られたページが、不安を持つ者をマインドコントロール状態に落とし、マインドコントロール状態に陥った物が、宣教師の布教活動の如く行動して増殖しているのが、集団ストーカーと言う現象である。
さて、その原理なのだが、その原点も「不安」である。
不安を持つ者はその不安を解消する物を探そうとする。
その不安とは、体調不良であったり、仕事であったり、人間関係であったり、生活であったり、様々である。
例えば、仕事でストレスが溜まれば自律神経に影響が出る。
自律神経のバランスが崩れれば体調不良になり、調子の悪い箇所の診療科に行っても異常は見つからない。
しかし、体調不良は治まらず、色々な所の調子が悪くなり、その度に医者に行っても異常は見つからず、不安を抱える事になる。
そしてネットで調べ始め、同じ症状で悩んでいる人のページにたどり着く。
そこにはそれは電波攻撃と記され、「精神病に仕立てる為の攻撃」と書いてある。
その状態には、マインドコントロールの要素が全て満たされている。
第一に「不安感」、同じ症状と言う「自分に符号するキーワード」、精神病に仕立てられると言う「先入観の植え付け」、電波攻撃等の言葉による「持っていた不安」の「恐怖」への転換。
そして、集団ストーカーという犯罪を世に知らしめると言う「不安解消の提示」
そして前頭極が働き、他の意見は届かなくなる。
その実態はと言えば、体調不良が出た時点では自律神経失調症である。
最初から心療内科に行けば良いのだが、自律神経失調症と言う病気を知らないが為に、一般科を受診してしまう。
鬱病や統合失調症にも自律神経症状はあり、同じ症状だと思えたページは、精神疾患の妄想で書かれたページだったりする。
しかし、そのページを見て「精神病に仕立てられる」と言う先入観を植え付けられてしまった為に、心療内科へは行こうとしなくなる。
そして攻撃と言う先入観を与えられ、ストレスは一気に倍増し精神を病み始める。
因みに自律神経症状は鬱病等の危険信号でもある。
そして、その人もまたブログ等で被害を訴え始め、コントロール拠点の一つとなり被害者を増やしていく。
それはまるで人間に感染するインターネットウイルス(プログラム)である。
これはあくまでも自律神経失調症の例であり、一例でしかない。
最も深刻なのは、インターネットの普及に伴い、若者のコミュニケーション能力が低下して来ている事だ。
いや、恐らく若者のコミュニケ-ション能力の低下は、インターネットの影響ではない。
インターネットの影響は二次的な物だろう。
一番の原因は教育にある。
コミュニケーション能力を身に付ける時期を勉強に当て、コミュニケーション能力を育てない教育。
その結果、コミュニケーションをネットに求めてしまい、人格形成に問題を抱えてしまう事になる。
実はこれも集合的無知の要因である。
現実世界には様々な考えや価値感を持つ人がいて、そうした人の考えや価値観に接する事で間違いに気付き修正されて行く事は、「マインドコントロールに陥る原理」で書いた。
ネットによるコミュニケーションは、同じ価値感、同じ考えで集まり、親和性と排他性を併せ持つ事になる。
嫌いな相手とはコミュニケーションを取らず、気の合う相手とだけコミュニケーションを取って育てば、社会に出た時に色々な意見や価値観の混在する社会に出た時の順応性が育たない。
インターネットコミュニティーでのやり取りを見ていて思う事がある。
それは意見の一致を計ろうとする傾向だ。
意見など一致する必要は無い。
異なる意見がある事が普通なのだ。
その異なる意見を知り、異なる意見も尊重し合うのが社会でもある。
意見を一致させると言う事は、お互いの意見を押し付けあう事でもある。
お互いに納得する必要等無いのに、納得するまで論議しようとする。
それも一つの排他性である。
自分が身を置く集合の中で、大多数が同じ意見であればそれが基準となり、異なる考えは異端になるのだが、その身を置く集合が全体の中の小さな集合であれば、全体の中ではその集合こそが異端になる。
異端が基準になってしまえば、大多数の社会には馴染めず、自分が身を置く集合に居場所を見出し、抜けられなくなってしまう。
つまり、ネット依存である。
社会に馴染めなければ、社会に対する不平不満が出てくる。
つまり、ネトウヨ系のコントロールを受けやすくなる。
社会に馴染めなければ、社会での人間関係も上手く行かず、悩みや不安を抱える事になる。
コミュニケーションが上手く取れないと色々な面で問題が生じる。
例えば仕事上での失敗をした時、上司とコミュニケーションが取れていれば叱られ方に差が出来る。
同じ失敗をしても、コミュニケーションが取れている相手には手心が入り、コミュニケーションの取れていない相手には手心は入らない。
それが差別に感じ、孤立感を深めて不安を感じる。
ネットでのコミュニケーションは、気に入らなければ切り捨て、気に入った物だけ受け入れていれば良い。
それと同じ様に、仕事も気に入らなければ止めてしまう。
そんな事を繰り返していれば、生活も苦しく再就職も困難になり、将来に対する不安も出てくる。
ネトウヨは、そうした不満や不安を持つ人に、先入観を与える。
集団ストーカーの被害を主張する人が、異なる意見を唱える人を「工作員」等として敵対視するのと同じく、自分の境遇を正当化する為に仮想敵を作り出す。
ここにもマインドコントロールの要素が満たされている。
最大要因の「不安」が存在している事、自分の境遇を連想させるキーワード、仮想敵と言う先入観の植え付け、仮想敵との抗争と言う「不安解消の提示」
ネトウヨも集団ストーカーも人間に感染するネットウイルス的サイクルは同じであり、排他性や反社会性などカルトと変わらない。
インターネットマインドコントロールとは、現実世界のマインドコントロールのように、引き込みや落とし込みなど必要としない。
HPやブログさえ作っていれば、要件を満たした人が勝手に集まって来て、要件を満たしている人に不安と、不安と自分を関連付けるキーワード、先入観の植え付け、そして「不安解消の提示」さえ揃えれば、誰でも陥る現象である。
こうした要件をプログラムとして見るならば、インターネットマインドコントロールはヒト感染型ネットウイルスと言っても過言ではない。
そしてウイルスの様に感染した人の中で変異しながら感染して行く。
抗議集会や抗議デモとの関係
このインターネットマインドコントロールの原理は、抗議デモや抗議集会の呼びかけ等にも存在する。
同じ不安を抱えた人の集まるコミュニティーで、不安を増大して先入観を与えて不安解消の提示として、抗議デモや抗議集会を呼び掛ければ良い。
アメリカの反格差デモも、この要件を満たしている。
高い失業率に不安を抱える若者に「1%の金持ち、99%は貧乏」と言う先入観を与え、不安解消の提示として「ウォールストリートを占領せよ」とのデモを呼びかけている。
このデモの広がりも、インターネットである。
しかし冷静に考えると、ウォールストリートを占拠した所で何も変わらない。
チュニジアやリビアでは国家が崩壊している。
そのデモもまたインターネットが関係している。
同じ不安や不満を抱える人が国民全体の多数派になれば、インターネットで国家ですら崩壊してしまう。
日本でもフジテレビの抗議デモ等が行なわれている。
その参加者や賛同者には、ネトウヨや集団ストーカー被害を訴える人も少なくは無い。
そもそも、その主張はフジテレビの番組編成が韓流に偏っている事に対する抗議である。
見たくなければ見なければ良いと思うのだが、彼等はそう言う問題ではないと言う。
しかし、それは好きな物だけ受け入れて、嫌いな物は排除しようとする心理ではないのだろうか?
つまり、排他性。
その主催者の一人はかなり異常性を発揮している。
また、逮捕もされている。
その逮捕された主催者は似非右翼でもある。
こうした事からも「インターネットマインドコントロールに陥る原理」で書いた自律神経失調症の例と同じサイクルを持っている事が分かる。
ネトウヨや似非右翼は国粋主義の皮を被った選民思想が見え隠れする。
今まで見下してきた国の台頭に脅威を感じて排斥しようとしている様に見受けられる。
それはバブル期にアメリカで起きた排日運動と同じではないのか?
ここで少しネトウヨ(ネット右翼)と言う物を考えて見よう。
ネトウヨには諸説あるが、説によって共通している説もあれば異なる説もあるのだが、その見解の違いはネットウイルス的な見方をすると矛盾しなくなる。
その見解の相違は、変異である。
集団ストーカーも、変異を繰り返して今日に至っている。
変異を繰り返してきた現在の型をだけを見ても本質は見えない。
ネトウヨはネット上だけの存在だったのが、似非右翼になると現実世界とリンクしている。
それを別々の物と考えるより、変異と考えた方が正しいだろう。
実は集団ストーカーも同じ経緯をたどっている。
ネットがさほど普及していなかった頃は、集団ストーカーはネットだけの話だった、それがネットの普及とリンクして変異を繰り返しながら増殖し、街頭演説をしたりNPO法人を設立するまでになっている。
ではネトウヨの本質は?と言えば、そのネーミングが示すようにネット依存者が原点である。
マインドコントロールの原理でも書いたが、前頭葉が活性化するのは人の顔を見て話しをする時である。
ネットに依存していればその機会は失われ、前頭葉が活性化されない。
少し話を変えよう。
子供の脳と大人の脳の違いがある。
子供の脳は扁桃体主体の脳であり、成長するに従い前頭葉主体の脳に変わる。
脳は筋肉と同じ様に使えば発達し、使わなければ退行する
ネットに依存していれば前頭葉は発達せず、子供の脳のように扁桃体主体の脳に退行する。
子供は自分のわがままが通らないと癇癪を起こしたり、感情的な行動を取るのは扁桃体主体の脳だからである。
ネットに依存していれば脳は退行して感情的になり、それが右傾化となって現れる。
それがネトウヨである。
インターネットの環境の変化も考慮しなければならない。
私がネットを始めた1999年頃は、まだPCもさほど普及しておらず、ネットもまだあまり普及していなかった。
コミュニケーションも携帯電話はあってもメールは普及しておらず、携帯接続のネットはI-Modeが始まったばかりだった。
その為、その当時にはネット依存と言う言葉すらなかった。
しかし、ネトウヨはその当時からいた。
そして、ネットの普及とリンクしてコミュニケーション手段も携帯メールなどに変化して行った。
その変化と共にネット依存が増加して来ている。
それはネトウヨを取り巻く環境も変化して、ネトウヨ予備軍やコントロールを受けやすい人が増加していると言う事でもある。
そのネット依存の傾向が、好きな物だけ受け入れて、嫌いな物の排除であり、ヘイトスピーチもこの域を出ていない。
マインドコントロールに陥らない為には
マインドコントロールの影響を受けなくするには、どんな時でも自分の中でアンチテーゼを持つことである。
常に逆の立場、逆の視点を持ち、更に第三者としての視点を持ち、常に疑問を持つ事である。
答えを誰かに求めず、疑問を持ち続け、考え続けていれば思考停止に陥る事は無い。
そして何よりも経験を積む事だ。
安全な道、楽な道を選ばなければそれだけ経験は積み重ねられる。
どんなに考えようと、経験のフィードバックが無ければ自分の考えに自信が持てず、他人の意見に影響されてしまう。
大切な事は、先を知る事である。
怖がって先を知らなければ、何時までも恐れる事になる。
恐れの先には新天地があり、新天地を知れば恐れは無くなり、自分の居た世界が小さく見える。
ネットウイルス的に言えば、経験はワクチンであり、アンチテーゼは予防法である。
感染してしまった人の処方は病気と同じ様に進行状態によって違う。
初期症状であれば、目を見た質問形式の会話を続ける事で回復する。
中期であれば会話に経験と言うワクチンが必要になり、どっぷり浸かった末期の人は自然回復を期待するしかない。