豊洲報道に見る情報の非対称性に於ける心理

築地市場の豊洲移転問題が連日報道され、都民に不安が広がっている。

毎日のように新事実が見つかったと報道され、ついには白紙案まで浮上してきている。

この状況は集団ストーカー妄想に陥る原理と全く同じである。

なので、豊洲移転問題は集団ストーカー妄想に陥る様子を客観的に見る事が出来るので取り上げる事にした。

 

まず、豊洲移転問題に対する報道のあり方にそもそもの原因がある。

東京系の全ての放送が、同じ方向を向いてしまっているのだ。

コメンテーターとして登場する専門家の顔ぶれは、どのチャンネルも同じ、当然言っている事も同じ。

相反する意見が全く取り上げられていないのだ。

これが「情報の非対称性」と言う状況である。

情報の非対称下では「逆選択(逆選抜)」が起きる。

そして不安に火を付けられた人々は、冷静な判断力や思考力を失い感情に支配されてしまう。

そして疑心暗鬼に陥り、全てを疑いの目で見てしまう。

疑いの目を持って見れば全てが怪しく見えてしまう。

これが「信頼」を失った状態である。

信頼が失われれば、真実を話しても誰も信じようとはしなくなり、真実は疑惑の対象となってしまう。

そして、豊洲移転の問題の根底には無知と無理解があり、専門バカが拍車を掛けている。

 

それをこれから解説して行こう。

 

まず無知の問題だが、豊洲市場の地下に謎の空間があると報道された時、知っている人と知らない人では反応が異なる。

建築に造詣が有る人なら建物の下の空間と聞けば、直ぐに「地下ピット」を思い浮かべるだろう。

それは何所のマンションにも普通に存在している空間である。

なので不思議とは思わず「そんなの当たり前だろう」と思う。

しかし、地下ピットはマンションの住人と言えど立ち入る事は出来ない空間なので、その存在を知る者は少ない。

地下ピットの存在を知らなければ、建物の下に謎の空間がると聞けば、そこに疑念が生まれる。

その疑念は想像を掻き立て、隠蔽や陰謀の可能性を思い描く。

そこに地下ピットの写真が公開され、そこに水が溜まっているのを目にする。

建築中の地下ピットに入った事が有ればそれは普通の光景だが、地下ピットの存在すら知らない人からすると、水が溜まっている事が特別の事のように思えてしまい、そこに欠陥を疑い始める。

それらの疑惑が土壌汚染の問題とリンクして不安が掻き立てられる。

しかし、リンク先の画像でも分かるように、施工途中ではそれが普通なのである。

そして、現場で働く人は雨の日に水が地下ピットに流れ込む光景も目にしている。

 

問題は地下ピットに対する無知が、都民だけでなく歴代の知事や専門家会議も同じであった事だ。

建築に地下ピットがセットになっている事を知らないからこそ、地下を作るとか作らないとか言う話しが出て来る。

それは、建築物に必要不可欠な物を、そこだけ作るか作らないかの議論でしかない。

それは、スマートホンを販売するのに、液晶はガラスだから危ないので液晶を付けるか付けないかの議論をするのと同じだ。

既にそこからボタンの掛け違いが発生しているのだ。

専門家会議は土壌汚染の専門家の会議であって建築の専門家の会議ではない。

もしそこに、設計担当者が入ってるか専門家会議のメンバーに地下ピットの存在を知る者がいれば盛り土案は変わっていただろう。

設計不在の会議だからこそ、地下ピットが考慮されていない盛り土案が提案される事になる。

 

地下ピットを考慮されていない盛り土案が決まってしまうと、設計や施工は頭を抱える事になる。

少し頭を働かせて考えてみよう。

水を然程使わない施設なら配管もシンプルなので建物の中に数本通せば良いが、水を多く使う施設では多くの配管が必要になる。

もし、配管を埋設してしまえば、地震などで破損すれば復旧は困難になる。

予め空間を作りそこに配管を通せば素早く復旧できる。

地下ピットは本来そうした目的で作られる設備だ。

また。建物には必ず基礎が必要である。

その基礎は地中に作ら無ければならないので、盛り土をしても結局掘り返す事になる。

盛り土を掘らずに基礎を作ろうとすれば、当然高床式にせざるを得ない。

高床式にすると、耐震強度が低くなる。

例えば、マッチ箱を土の上に置けば風が吹いただけで倒れてしまうが、マッチ箱を少し土に埋めるだけで倒れ難くなる。

耐震はそれと基本的に同じで、地中に埋没させた方が強度は増す。

しかも盛り土は重量物が乗るのには適さない。

何故なら、土が締まっていないので重量物が乗ると沈下を起こす。

建物自体は杭で支えられているので沈下はしないが、周りの土は次第に沈下して行く。

例えば、穴を掘ってそこに砂を埋める。

その砂に水を掛けると直ぐに沈下を起こす。

これは水締めと言って、埋めた時に出来た空間に水で砂が運ばれて、砂が締まった状態になるのでこれを「水締め」と言うのだが、盛り土にもそれと同じ事が起きる。

但し、砂の様に直ぐに起きるのではなく、時間を掛けてゆっくりと進行して行く。

するとどうなるかと言えば、建物の周りの土が沈下して建物が浮いた状態になり、建物の床下と地面との間にも自然に空間が出来てしまう。

勝手に出来てしまう空間は、予測も制御も出来ない。

つまり盛り土にしても、知らない間に空間が出現し、もし地中にベンゼンが残っていたら、ベンゼンは揮発性なのでその空間に溜まる事になる。

揮発性のベンゼンは濃度が濃ければ引火もする。

土壌汚染しか知らなければ、別の危険性に気付かない。

これが専門バカによるボタンの掛け違いである。

 

一旦議会で決まった事は、現場で覆す事は出来ない。

すると、限られた状況の中で最善の方法を模索する事になる。

自然に空間が出来てしまって予測も制御も出来ないなら、予め空間を作り制御した方が合理的だ。

本来有るべき地下ピットを作れば問題は無くなる。

土壌汚染には土壌汚染対策法と言う物があり、汚染土壌との接触を遮断するため、厚さ10cm以上のコンクリート舗装または厚さ3cm以上のアスファルト舗装などを施すとなっている。

地下ピットを作ればその規定はクリアー出来る。

そして建物以外の場所は、盛り土がそのまま生かされる。

地中に染み込んだ揮発性物質のコントロールは三つだ。

大気中に自然拡散させるか、コンクリートで押さえ込むか、揮発し易い状態にしてのフィルター換気するかだ。

限られた条件下で、最善を求めればあの形式に辿り着く。

なので、建築に造詣がある人からするとあの形状はとても合理的なのだが、それを知らない人からすると「違うじゃないか」と言う事になる。

 

地下水の問題は、共産党の議員団が視察して写真を公開した事に端を発する。

ここにも無知が発生している。

建築に携わった事が無い人は、工程と言う物を理解していない。

地下ピットに雨水が溜まるのは現場では常識である。

地下ピットに溜まった水を吸い出しても直ぐに溜まってしまう。

なので、地下ピットで作業する時だけ水中ポンプを入れ、水をくみ出してから作業する。

地下ピットは主に配管を設置するスペースである。

その配管工事が終わらない限り、ポンプも排気も動かす事が出来ない。

また、配管だけでなく配線も繋がなくては動かない。

当たり前のように水が入っていれば、配線する事も出来ない。

なので、地下ピットの作業は水の流入が少なくなってから行なわれる。

また、建築中に稼動させれば電気代などの費用が発生する。

その為、地下ピットの水抜きや清掃は最終工程になる。

そうした工程も知らない議員団が疑いの目を持って、排水設備が稼動する前の地下ピットに入れば、「何だこの水は!」と言う事になる。

作業員でさえ送風機で空気を送り込みながら作業する所に、入れろと言われれば当然拒否される。

拒否されれば「何かあるに違いない」と疑いを深めてしまい「酸欠の危険がある」と言う説明も、誤魔化しにしか聞こえなくなってしまう。

そして、建築に造詣がある人が酸欠の危険があるから当然だと言えば、それを知らない人には「擁護」に聞こえてしまう。

さらに、その水のphを計って強アルカリ性を示すと、自慢げに発表する。

しかし、工事現場に溜まった水の全てが強アルカリ性なのだが、議員団はその事を知らないから騒ぎ立てる。

その姿はまるで電磁波があるべき所で、電波探知機が反応したと騒ぎ立てている集スト投稿動画と同じだ。

マスコミが地下ピットへ入り、その水に手を入れて、底に溜まった白い泥のような物をすくい上げて、何でしょう?とリポートする。

それこそが工事現場の水を一瞬で強アルカリにする原因物質なのだが、誰一人として気付かずただの泥だと思って見過ごしてしまう。

その白い泥はコンクリートの粉塵が堆積した物で、乾いていれば粉塵だが水と混じれば泥になる。

粉塵の上に水が落ちれば、その時点で水と混ざり強アルカリになる。

現場の水が強アルカリである事を知らない人達は、更に疑念を深めてその水を調べ出す。

すると、アンモニアや亜硝酸やヒ素が出て来たと大騒ぎになる。

強アルカリの水にアンモニアや亜硝酸があるのは別に不思議な事ではない。

そこにもう一つ有るべき物質が検出されていない所に、アンモニアや亜硝酸の原因がある。

その物質とは硝酸である。

植物や動物が死ぬとアンモニアが発生する。

そのアンモニアを亜硝酸菌が分解して亜硝酸塩が出来る。

その亜硝酸塩を硝酸菌が硝酸塩に分解する。

亜硝酸菌はアルカリに強く硝酸菌はアルカリに弱いので、アルカリ下ではアンモニアの分解は亜硝酸までしか進まない。

もし地下水が上がってきた水で、その水に含まれていた成分だとしたら、硝酸塩まで分解されているので、硝酸塩が検出されなければおかしい。

これはアクアリウムの常識だ。

 

水の中に何かあるかもしれないと疑い、ある物だけを調べようとすれば、無ければおかしい物に気付けない。

このアンモニア分解の原理を知っていれば、アンモニアと亜硝酸しか検出されない事が、地下ピットに溜まった水が雨水の可能性の高さを示している事に気付けるのだが、知らなければそこに疑念が生じてしまう。

 

そもそもの話だが、ベンゼンと言う物質は無極性の為に水に溶けず、比重は水よりも軽いので水に浮く。

例えば同じ水より軽いアルコールは水に溶けて混ざり合う。

その理由はアルコールが極性を持っているから水と電気的結合を起こして水に溶ける。

しかし、無極性のベンゼンは水と電気的結合を起こさないから水に溶けない。

水に溶けず、水より比重の軽いベンゼンで地下水は汚染されない。

理由は簡単だ。

ベンゼンは水より比重が軽いので地下水面より下へは行けず、水と分離する物質だからだ。

その地下水面より上の土を除去していると言う事は、理論上そこより下にベンゼンは無いと言う事である。

ベンゼンの性質を知れば、4万倍のベンゼンの意味も分かってくる。

水位より下に行けないからそこに溜まるしかない。

人はその数値の大きさだけに目が行き、ベンゼンと言う物質の性質を知ろうとはしない。

だからこそ、人の心の中でベンゼンはモンスターと化し、過剰な恐れを抱く事になる。

しかし、ベンゼンが溜まっていた土はすでに除去され、もうそこにベンゼンは居ないのだ。

残っているのはベンゼンの破片と、人の心に作られたモンスターだけだ。

集団ストーカー妄想の犯人はそのモンスターと同じなのだ。

 

こうなってしまっては、怪しい物探しが止まらなくなってしまう。

何が何でも探し出そうとする。

すると基準値以下の、地中や海水に普通に存在するレベルでのヒ素でさえ、ヒ素があると言うだけで問題になる。

検出されたヒ素の0.003mg/Lと言う数字が一人歩きしてしまう。

例えば、主食の米に含まれるヒ素は0.14mg/L、ミネラルウォーターには0.05mg/Lも入っている。

それは福島原発の事故後に、自然放射能を測定して危険だと騒いでいた集ストさんと変わらない。

専門家は雨水に含まれるヒ素ではこの数値は有り得ず、海水と同じレベルなので地下水の可能性を疑う。

更に臭素が見つかったと言い、臭素は雨水に含まれず、海水に含まれるから地下水説を有力視する。

しかし、その比較に大きな間違いがある。

雨水と言っても、雨水をそのまま容器で受けた水ではない。

地表を流れて来た水である事を忘れている。

そこは湾岸エリアで隣は海だ。

地表には海水の細かな水滴が降り注ぎ、それは壁にも付着している。

そこを流れて色々な物質を取り込んで来た水である。

それを雨水と同じと考える所がそもそも間違っている。

 

こうなってしまっては、東京都民を納得させるのは、集ストさんを説得するより難しい。

一旦植え付けられた不安は簡単には消えない。

どれほど検査数値が安全性を示していても、データ偽装を疑われ信用されない。

ここまで風評被害が大きくなっては、豊洲のイメージは地に落ちている。

これが、偏った情報で生じる「情報の非対称性」による「逆選択」の状態である。

 

もし、東京でもこの様な放送がなされていたら、結果は違う物になっていただろう。

それは集団ストーカー妄想を持つ者達も同じだ。

自分の求める情報だけを探し続ける為に、自ら情報の非対称かを招く結果を生み、逆選択を引き起こす。

 

「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」の概略

被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」は、被害妄想は持っているが発病に至っていない人や、治療を受けていても被害妄想が無くならない人向けに書いた本です。

何故、被害妄想が生まれるのか、何故治療を受けても被害妄想が無くならないのか?

被害妄想を単なる妄想とか、病気の症状だと思っている限り、まず無くならないでしょう。

 

そもそも、被害妄想とは何か? 被害妄想は何故生み出されるのか? そのメカニズムを知らずに治そうとしても治るはずもありません。

逆にメカニズムを理解すれば、何処をどのように改善したら良いのかが分かります。

被害妄想は「疑心暗鬼」です。

疑心暗鬼は病気ではありません。

しかし、疑心暗鬼は不安を生み、その不安が病気を発症させる原因になるのです。

その疑心暗鬼は何故生まれるのか?

疑心暗鬼の語源は「疑心、暗鬼を生ず」です。

疑心暗鬼を生ずとは、疑いの心をもって見ると、なんでもないことでも疑わしく見えてくるということのたとえです。

つまり、疑う心。

自分を疑う、他人を疑う。

その疑う心が何故生まれるのか?

その原点に戻り、そこから改善しなければ疑心は消えないのです。

病気は治療で治せても、疑心の改善は出来ません。

「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」は、その疑心を改善する事を目的として書いた本です。

 

 

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被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する

うつ病や統合失調症の治療を受けても被害妄想が無くならない、この本はそんなお悩みをお抱えている方の為の本です。
治療を受けても被害妄想が無くならないのは何故でしょう?何故 被害妄想は起きるのでしょうか?そもそも被害妄想は病気の症状なのでしょうか?
治療を受けても被害妄想が無くならない方は、そこから見直すべきではないのでしょうか?
この本は、被害妄想が何故起きるのか、何をどうすれば被害妄想が消えるのかを書いています。
被害妄想でお悩みの方は、ぜひ一度ご覧ください。

客観視を取り戻す為に

被害妄想に陥っていると、客観的な判断力や思考力が失われ、全てに於いて主観的になってしまう。

一旦客観視を失い主観的になってしまうと、客観視を取り戻す事は容易ではなくなってしまう。

主観的になってしまった人に、客観視を取り戻させる為の有効な手段が「他人の振り見て我が振り直せ」である。

被害妄想に陥っている人は、自分がサスペンスドラマの主人公にでもなったような感覚を抱いている。

しかし、同じ様な被害妄想を抱いている人を見た時には、意外と客観的に見られる人も多い。

同じ様な被害妄想を抱いている人の行動を愚かしく滑稽に感じれば、自分も他人から見れば同じ様に見えていると理解させれば客観視が戻り易くなる。

つまり、サスペンスドラマの主人公になりきっている人に羞恥心を芽生えさせるのだ。

それを意図して書いたのが「電波な人々」と「電波な人々Ⅱ」だ。

しかし、この2冊は文章だけで伝えている為、文章を読んだイメージはそれぞれ異なってしまう。

イメージの相違は共通認識の相違であり、共通認識が違えば意思の疎通は図れない。

この、話し手と聞き手のイメージの相違は、被害妄想の解消に於いて大きな障害となる。

そこで、新たに書いたのが「電波な人々Ⅲ」だ。

この著書は、youtubeに投稿されている動画にリンクして、何をどの様に勘違いしているのかを解説する形にしている。

言葉による伝達はイメージの相違を生じ易いが、映像での解説はイメージの相違を解消して共通認識を得られ易く、客観視を復活させる為には有効な手段である。

例えば「電波な人々Ⅲ」でリンクを貼っている動画に、電磁波過敏症のテレビニュースをUPした動画がある。

その中に、帽子の中にアルミ箔を貼り電磁波対策をしている人の映像がある。

何の説明も無ければ、アルミ箔は電磁波を遮断すると思って納得して見てしまうだろう。

しかし、アルミ箔を貼った帽子で電磁波の影響が少なくなったと言っている時点で、電磁波過敏症では無い事を証明しているのだ。

何故なら、アルミ箔は電波を遮断する事は確かだが、電波を受信もしてしまう。

電波の受信は金属で出来ているアンテナで受信する。

「帽子の中にアルミ箔を貼ってかぶる」と言う事は、帽子の中にアンテナを設置していると同じ事だ。

アルミ箔なので受信面積が広く、より多くの電磁波を受信してしまう形状になっている。

しかも、そのアルミ箔は頭に密着しているので、受信した電波を体に直接流している状態になっている。

電磁波を集める帽子をかぶって症状が和らぐのであれば、電磁波過敏症では無いと言う事だ。

 

その映像を、こうした理屈を知っている人が見たら、実に馬鹿げた主張にしか聞えない。

番組自体は大真面目な番組だけに、馬鹿げた行為を大真面目にやっている姿が滑稽に見える。

その感覚を体験させれば、初期段階なら客観視を取り戻せる。

 

集団ストーカーと言う思想を知らない人の為の説明

洲本の事件やボウガンの事件で耳にする「集団ストーカー」と言う言葉。
何も知らない人なら「集団でのストーカー行為」などと理解するだろう。

また「被害妄想」なら説得で理解させる等、何らかの対処が出来ると思うだろう。

しかし、集団ストーカーと言う思想はそんな生易しい物ではない。
集団ストーカー思想はカルト宗教だと思えば分かりやすい。

神を犯行組織に置き換え、「神の御業」を「犯行」に置き換えた物が集団ストーカーと言う思想だ。

カルト宗教を妄信している人に「そんな神様はいない」と言っても「神は絶対にいる」と言うのと同じ様に、集団ストーカーなど存在しないと言っても「集団ストーカーは絶対存在する」と信仰を捨てない。

「神はいつも貴方を見守っています」と言う教えが「犯行グループは常に貴方を監視しています」に置き換えられる。

信仰していない人には「日常の出来事」でも、信仰している人には「神のご加護」と受け止めるのと同じ様に、日常の出来事を「ストーカー行為」と受け止める。
道で咳をする人に出あったり、マスクをしている人を見かけたり、そんな日常の何気無い出来事をストーカー行為と受け止める為に、集団でストーカーされていると言う事になる。

厄介なのは、そんな感覚を持って生活していれば継続的なストレス状態になり、自律神経のバランスが崩れて体調不良に陥る。
集団ストーカー思想では、その体調不良を電磁波や超音波による攻撃と教える。
そもそも宗教に入信しようと言う人は、宗教に救いを求めて入信する。
それは集団ストーカー思想に取り付かれる人も同じだ。

元々社会性が低い為に社会に馴染めず、ストレスを溜め込んでいる人達なので、集団ストーカー思想に出会う前から体調不良を抱えていたりする。
違う表現をするなら、集団ストーカー思想とは究極のネガティブ思考である。
集団ストーカー思考に出会う前からネガティブ思考の人が、集団ストーカー思考に出会う事で究極のネガティブ思考になる。

通常のネガティブ思考は単なるマイナス思考なのだが、究極のネガティブに陥ると、見えている世界、感じる世界も写真のネガの様に反転してしまう。

ネガもポジも同じ物を写した物なのだが、ネガに写っている世界とポジに写し出されている世界は全くの別世界だ。

ポジの写真ではにこやかに笑っている写真でも、ネガで見ると不気味に見える。
集団ストーカーを信奉する人が感じている世界は、そんなネガの様な世界なのだ。
つまり、集団ストーカー思想は感覚の反転である。
この感覚の反転で、彼等の感覚や被害を分かりやすく説明しよう。

恐怖の毒ガス「O2C」
この恐怖の毒ガスO2Cは人を死に至らしめ、地球の環境にも影響を与える。
そんな毒ガスが、至る所からばら撒かれている事実を知ってしまった。

自動車にも排出装置が秘密裏に組み込まれ、工場などにも排出装置が設置されている。
これは国家的な陰謀で、国家に不要な人間を人知れず合法的に抹殺しようとしているに違いない。

O2CとはCO2のCとO2を反対にしただけで、二酸化炭素の事である。
この二酸化炭素のように当たり前にある物を、O2Cと言う毒ガスだと思い込んでいるのが集団ストーカーを信じている人達である。

幻聴が聞える人の判定方法を考案した(隣人トラブル)

※ 電子ブック「被害妄想解体新書: 被害妄想を知り克服する」アマゾンにて販売中!

 

隣人トラブルで多いのが、音や声が原因の物が多い。

それは時に事件にまで発展する。

また、集団ストーカーやガスライティングの被害を訴える人にも、「声が聞こえる」「音が聞こえる」と言う被害を訴える人は少なくない。

人は五感の情報で世界を認識しているので、存在しない声が聞こえていたらそれが幻聴であっても、その人にとっては存在しているとしか思えない。

以前は、録音して確認する方法を推奨していたが、「聞こえても存在しない声」で書いた人のように、録音を解析して声が存在していない事が確認されても、同じ所で同じ様に聞こえる人もいる。

しかも録音は、録音方法によって録音される音が変化してしまうし、機材も必要になる。

そこでもっと手軽で確実な方法を考案した。

 

幻聴が聞える人に、ある動画を見せると特有の反応が出る。

これは双極性障害や統合失調症、癲癇などの精神疾患の簡易的な判定にも使えると思う。

 

方法は簡単、1分程度で判別出来る。

まず最初にこの音声を聞く。(必ず先に進む前に、この音声ファイルを聞いて何と言っているのか確認する事

 

何と言っているように聞こえるだろう?

恐らく「バババーバ」に聞えると思う。

次に、下記のリンク先の動画を見ながら何と言っているかを聞く。

注意事項 : 必ず動画を見ながら聞くようにする事。

 

 リンク先の動画 ←クリック

 

恐らく、動画を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などに聞えると思う。

次に、この動画を目を閉じて、もう一度何と言っているのかを聞く。

本来なら、最初の音声ファイルと同じ様に「バババーバ」と聞えるはずである。

しかし、これが「バナナーナ」や「バザナーガ」など、「バババーバ」以外の聞え方をした場合、脳に機能障害が発生している可能性が高いと思われる。

 

さてこの判別法の原理を説明しよう。

最初の音声ファイルは、この動画の音声だけを抜き取った物だ。

映像を見ずに純粋に音声だけを聞くので、脳の補完は行われない。

つまり音声ファイルで聞こえた声が、本来聞こえるべき声であり、最初にその聞える音声を確認しておく必要がある。

次に、映像を見ながら音声を聞くのだが、この映像は「ダダダーダ」と言う発音の映像に、「バババーバ」と言う音声が合成してある。

この「ダ」と言う発音と「バ」と言う発音には決定的な違いがある。

「バ」は破裂音であり、一度唇を閉じなければ発音する事は出来ない。

破裂音は「マ行」と「パ行」と「バ行」しかない。

脳は、口を閉じていない発音は、破裂音では有り得ないと判断して、似たような口の動きの発音である「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に補完してしまう為、映像を見ながら聞くと「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」などの声に聞えるのだ。

これを「音韻修復」と言う。

問題は、目を閉じて聞いた時にも「ダ」「ナ」「ザ」「ガ」に変換されてしまう事だ。

 

それは補完機能のON/OFFが出来なくなっている事を示し、補完要件が無くなっても脳に記憶されたイメージによって補完が続いている事を示している。

これは逆のケースで観察すると分かり易くなる。

癲癇の人にこの映像を見せた時には補完が行われず、映像を見ながらこの音声を聞いても「バババーバ」に聞えていた。

癲癇は、脳細胞のネットワークに起きる異常な神経活動である為、補完する神経が機能していないと考えられる。

 

過去、この画像を目を閉じても補完が行われていたのは、双極性障害(躁鬱病)や統合失調症などの精神疾患や不安障害などの神経症を持つ人であり、これらの疾患の人は補完が完全にOFFにならない人と考えられ、癲癇の人は補完がONにならない人と考えられる訳だ。

目を閉じて音だけ聞くのも、音声ファイルだけ聞くのも同じ事である。

つまり、最初の音声ファイルだけを聞いた段階では補完のスイッチが入っていないので「バ」に聞えるのだが、映像を見ると補完のスイッチが入る。

通常の人は映像を見て補完のスイッチが入っても、目を閉じれば補完のスイッチが切れるのに対し、脳に何らかの障害が発生している人は目を閉じても補完のスイッチが切れないと考えられるのだ。

聞え方の多くは、最初の一文字は「バ」に聞え、その後に続く文字に補完が見られる場合が多いので、スイッチがOFFになるというより、例えるなら「漏電的」な状態なのだろう。

この現象は聴覚だけでなく「視覚」に於いても同じ現象が起きている事を確認している。

例えば坂田利夫の写真が松山千春と同じ顔に見えていたりするのだが、雰囲気は違うが同一人物だと言ったりする。

これは一部の特徴的な部分から顔全体を補完している物と推測される。

また、「雰囲気は違うが」と言う部分が、リンク先の映像を見た後で目を閉じて聞いた時に、最初の一文字は合致しているが続く発音が「バナナ」の様に異なって聞えるのと同じ要因で発生していると考えられる。

 

この映像を見た後に、目を閉じて聞いても「バ」以外の声に聞える人は、補完要因が無い状態でも自分の抱いている世界のイメージによって補完が行われていると考えられる訳で、それが幻聴であると考えられる訳だ。

では何故、補完のON/OFFの切り替えが出来なくなるのだろうか?

精神疾患などの発症メカニズムから考えると納得しやすいと思う。

精神疾患はストレスによって引き起こされるのだが、ストレスホルモンは糖質なのでストレスホルモンが長期間分泌され続けると、血流の悪化する事により、必要な栄養素や酸素の供給が滞り、脳細胞がダメージを受ける事によって、脳の神経ネットワークがダメージを受けたり失われたりする。

その状態が脳の疾患であり、鬱病や躁鬱病、統合失調症などの精神疾患である。

また面白い反応を示す人もいた。

最初の音声ファイルを聞いた時には「バババーバ」に聞こえていた人が、映像ファイルで目を閉じて聞くと「バナナーナ」と聞こえ、もう一度音声ファイルを聞き直すと「バナナーナ」にしか聞こえなくなっていた。

つまり、ストレスで神経ネットワークがダメージを受ける事により、補完機能にも影響を受けると推測される。

また、脳の疾患と同じストレスによるメカニズムで、聴覚器官内にある有毛細胞にダメージを受けて発症する感音性難聴がある。

この感音性難聴も聴覚過敏を引き起こしたり、幻聴が聞こえる場合も有るのだが、その幻聴が聞えるメカニズムも「音韻修復」である。

因みに、映像を見ない段階で、最初の音声ファイルを聞いて「バババーバ」に聞えなかった場合、感音性難聴などの難聴系の疾患の可能性がある。

理由は、補完要因のない状態で音韻修復が行われていると言う事は、聞き取れていない部分を補完していると考えられるからである。

 

考えてみると、この「補完」と言う物が、全ての根源で一貫しているのかもしれない。

補完は見えない部分や聞えない部分を周りの情報から推測して行われる。

集団ストーカー妄想に陥っている人は「情報の非対称性」による逆選択状態にある。

その逆選択も「思考の補完」と発症要因は同じだ。。

故に、インターネットで調べ続ける限り思考の補完が行われ、集団ストーカーと言う補完が行われ続けるとも考えられる。

そして、脳のダメージにより目を閉じても音韻修復が続いてしまうのと同じ様に、脳のダメージ次第では情報を遮断しても集団ストーカーの補完が続いてしまうとも考えられる訳で、入院治療で情報が遮断されても集団ストーカー妄想が消えない人がいるのはこの為と思われる。

聞こえても存在しない声

本人には聞こえていても、存在していない声がある。

集団ストーカーの被害を訴える人には「声が聞こえる」と言う人が多いが、その声は本当に実在するのか?

その一つの答えがこれだ。

 

これは集団ストーカー被害を訴える人が録音したICレコーダーの録音ファイルをスペクトラムアナライザーで解析した映像だ。

本人は聞こえる声に対して二度返事をしているが、音の波形は本人の「ハイ」と答える声以外に際立った変化は示していない。

声の波形はこの人の「ハイ」と言う時の波形の様に、全体的な変化を示すが、この人の「ハイ」と言う前後にそうした変化は見られない。

定期的に波形に変化がある部分があるが、それはアナログの目覚まし時計の音であり、それは録音者にも確認している。

つまり、相手の声は存在していない事を示している。

 

集団ストーカーの被害を訴える人は、証拠を取ろうとボイスレコーダーで録音しようとする。

しかし、ボイスレコーダーに録音されなければ「機械の性能が悪い」若しくは本人にしか聞こえない「脳内送信」などと考える。

また、自分の行動を指摘される内容が聞こえる為、「盗聴や盗撮」を疑う。

また、自分にしか聞こえないのは、超音波やらマイクロ波やらテレパシーを使ったテクノロジー犯罪が行われていると言う人も多い。

しかし、このファイルを録音した人は、録音ファイルの同じヶ所で同じ声が聞こえると言う。

これは録音データなので、電波やテレパシーなどが出る様な類の物ではない。

またファイルの再生は私の事務所で行っているので、異なる環境でも同じ様に聞こえている。

 

では何故本人には聞こえるのだろうか?

それが「脳の補完」なのだ。

 

この録音ファイルには本人の声以外に「ノイズ(雑音)」が録音されている。

この録音ファイルから聞こえる雑音は「雨音」と「目覚まし時計の秒針の音」が録音されている。

問題はこのノイズである。

脳の補完は、こうした雑音などのノイズを声として変換する場合と、「雑音の中に何か隠れているかも知れない」と脳が感じ、雑音の中に脳が勝手に声を作り出してしまう為に起きる。

その為、ノイズや雑音の無い「無音」の所で補完は起らない。

無音の場合、耳がボーンとした様になる場合が多い。

補完により聞こえる声は、その人の精神状態によって補完される為、自分しか知らない内容が使われる。

別の言い方をすれば、自分の行動を全てを知っているのは自分だけなので、補完によって聞こえているのであれば、自分の行動を指摘されたり考えているだけの事が声として聞こえるのは当然と言える。

また、自己否定している様な人であれば、悪口や誹謗中傷として聞える人も多い。

 

問題は、聞こえている人が何処まで自覚しているかである。

 

私の知人で双極性障害と思われる病気を発症した者がいるが、その人は弟や母が精神科に強制入院された経験から病状を知っており、自分が発病する以前から症状などの知識を持っていた。

その知識は形式知ではなく、経験知として持っていた。

その為、発病を自覚する事が出来た。

その人に声が聞こえ始めた時、私にこう言った。

「幻聴が聞こえ始めて、もう一人の自分と会話するまで酷くなった」

病気の症状である事を発病前から経験知で認識していた為、「誰か」ではなく「幻聴」との自覚を持てた。

これが全く症状などの知識を持っていなかったり、形式知だけの知識であれば自覚する事は難しいだろう。

 

こうした補完によって聞こえている場合、聴覚過敏も同時に出ている場合が多く、音に敏感になっている人が多い。

原因で最も多いのはストレスである。